• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

明治から続く玉ねぎ産地が消滅の危機

浜松のJAが打った起死回生の一手

自前の生産法人で農地再生

 2007年にJAとぴあ浜松が生産者に対して実施したアンケート結果では、高齢化が著しく進んでいる上に、60%以上の世帯で後継者がおらず、40%近くが規模縮小を考えているという事態が明らかになった。

 こうした状況下で、2010年7月に農業生産法人「とぴあふぁー夢」が設立された。とぴあふぁー夢が玉ねぎ産地振興のために取り組む事業は主に三つある。一つめは、遊休農地や耕作放棄地を再生しながら集約して、地域で規模を拡大したい農業者や新規参入の就農者に貸し出すこと。二つめは、研修生の受け入れと育成事業、三つめが農家にとって手間のかかる農作業を代行する作業受託事業と農業機械の貸し出し事業ということになる。現状では、一つめの遊休農地や耕作放棄地の再生と集約がメーンとなっている。

 一口に再生と言っても農地に関わる関係者は多岐にわたり、その調整は難しい。玉ねぎの場合、玉ねぎの生産者で構成される部会、農地の所有者(地権者)、農業委員会などがそうだ。こうした複数の関係者の調整をJAとぴあ浜松が担い、煩雑な調整をスムーズに進める。

 さらに、JAとぴあ浜松が窓口となって農地の貸し借りを行う。同JAは、規模を縮小したい農家から借り入れた農地を、規模を拡大したい農家や新規就農者に貸し出す。耕作放棄地については、いったん、とぴあふぁー夢に貸し出されて、同社が再生し、使える農地に仕上げる。この過程で、集約できるものについては一つの農地にまとめる(集積化)。再生・集積化された農地はJAとぴあ浜松に返され、JAとぴあ浜松はそれを希望者に貸し出す流れだ。

農地の再生利用を円滑に進めるための仕組み。JAとぴあ浜松ととぴあふぁー夢が両輪となって、農地の再生や貸し借り(再配分)を進めた。(全国農業委員会ネットワーク機構 全国農業会議所発行の『耕作放棄地解消活動事例集 Vol.9』に掲載の図を引用)
JAとぴあ浜松 営農生産部 営農指導課 係長の牧野公一さん(写真:佐藤久)

 こういった仕組みを構築した理由について、JAとぴあ浜松 営農生産部 営農指導課の牧野公一係長は次のように説明する。

 「農地に関しては担い手を探すのが中心で、畑が荒れても誰が再生するのかといった具体的な議論にはなかなかなりませんでした。誰かいるだろうではなくて、まずは子会社を作ってこの地域の息を吹き返すことがスタートでした」

 とぴあふぁー夢が設立された2010年以降は、同社とJAとぴあ浜松とが両輪となって、JAとぴあ浜松管内、特に篠原地区と新津地区の農地の再生や貸し借り(再配分)を進めていった。

農地がよみがえり、集約化も進んだ

 いったん放置された耕作放棄地を再生するのは、実にたいへんな作業だ。雑草が生え放題となっているのはもちろんのこと、長年の放置によって大きな木が茂ってしまっているような放棄地もある。草刈りをした後に、畑の畝の保温処理や雑草を防ぐために使う「マルチ」というシートがぼろぼろになって出てきたり、掘り起こしたところから石が大量に出てきたりする土地も多かったという。

 現在では、玉ねぎの作付け面積は次第に増えつつある。JAとぴあ浜松 西営農センター 営農アドバイザー(技術指導)の大久保恵係長は「玉ねぎの耕作面積は、2010年にとぴあふぁー夢が始まった年の118ヘクタールから、2017年の時点では153ヘクタールにまで増えました。耕作放棄地が解消された分、若い方がそれを受けていただいている状況です」と語る。

 再生と同時に集約化もかなり進んだ。前述の小松部長によれば、230カ所に分散していた農地も再生を進める中で110カ所に集約されたという。

JAとぴあ浜松 西営農センター 営農アドバイザー(技術指導)係長の大久保恵さん(写真:佐藤久)

 これらの数値を見ると、JAとぴあ浜松ととぴあふぁー夢の取り組みで、作付面積の長期低落傾向に歯止めがかかったと言ってよさそうだ。実際に、現在も、この地域は「日本一の早出し玉ねぎ」の産地として市場からの高い評価を維持し続ける。

 農地の再生と同時に、玉ねぎづくりに挑む新規就農者の数も少ないながらも増えつつある。JAとぴあ浜松の牧野係長によれば、「2009年以降で43人が就農」している。内訳は、「既存の農業者で規模を拡大したい経営体で7人。親元での就農者が14人。就農経験がゼロの方では篠原地区8人、他が14人」というから新しい担い手たちが半数近くを占める。

 このまま新規就農者の数を増やせれば、再生した農地の受け皿ができ、産地振興に明るい光が差してくる。JAとぴあ浜松管区内で営農をスタートさせた新規就農者の中には、強い意欲を持って玉ねぎづくりに取り組む人も少なくない。

 新規就農者の一人が鈴木淳基(すずきあつき)さん(37)だ。就農してから今年でまる4年になり、現在は「1町歩2反」と1ヘクタールを超える畑を借りて営農している。

 「アルバイトで手伝ったときに、これは楽しいと思った」と就農のきっかけを語る鈴木さん。農業は未経験だったが、今では品質と味、収量にこだわる地域期待の若手玉ねぎ農家に成長した。地域の玉ねぎ名人のノウハウを貪欲に吸収し、自分のワザにしようとする姿勢は実に意欲的だ。

営農する畑で笑顔を見せる鈴木淳基さん。8月から3月までは玉ねぎづくりに全力を傾ける。その裏作として現在は冬瓜とさつまいもの生産をしている(写真:佐藤久)

 鈴木さんのスタイルは、品質の高い玉ねぎを生産するためにすべての作業を手作業でこなしていくもの。「規模や量ではなく、いいものを出荷したい」という姿勢を貫く。将来的にも「一町歩5反(1.5ヘクタールほど)くらいあればいい」と控えめだ。品質に納得がいかない玉ねぎは作りたくない、そのためには自分の手と目が届く範囲で作りたいという考えだ。

これからは新しい担い手づくりのステージに

 この地域の玉ねぎづくりは、農地の規模が小さいこともあって、もともとが手作業中心。いわゆる丹精込めていいものを作るのが一種の伝統になっている。「玉ねぎの種(たね)も、この地区だけで使われている、一般では手に入らない独自のもの」(前述・大久保係長)だ。栽培技術もその種に合ったものでなくてはならない。高品質と早期出荷は、こうした長年の伝統と農家の努力のたまものだ。その結果が、高値で取引される玉ねぎの生産につながっている。

 この地域の玉ねぎづくりの環境を見渡すと、作付面積の減少にはいったんの歯止めはかかったにせよ、農家の高齢化そのものは止まったわけではない。一定以上の生産量を維持していくためには、手作業中心の伝統を守りながら意欲ある担い手を増やしていくか、農地の集約化と機械化を進めてこれまでの伝統とは別の道を行くか、二者択一となる。

 とぴあふぁー夢の小松事業部長も、人材育成はその人の人生を背負うことで、あまりに重いと内面の葛藤を見せつつも、「これからは人。それが課せられた使命」と語る。

 小松事業部長はさらに続ける。

 「これまでとは明らかにステージが変わった。耕作放棄地ではなく、これからは優良な農地がごそっと出てくるようなタイミングになっている」

 伝統を守りながらの人材育成か長年の伝統との決別かの二択、そして今後の優良農地出現の可能性、こういった時代の変化に丁寧に対応していきながら、JAとぴあ浜松ととぴあふぁー夢の取り組みは今後しばらく続くことになりそうだ。