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輸出は農作物だけではない。次は農業のインフラを輸出する時代だ

日本の農業の力を世界に届ける 秀農業 加藤秀明 代表取締役

日本を訪れる観光客を通じて、日本食の素晴らしさは世界に認められるようになった。それに呼応するように、少しずつ食料品や農産物の輸出が増えている。だが、現時点ですでに「その先」を見据える男がいる。単なる農産物の輸出で終わらせず、インフラごと輸出する試みだ。IT企業戦士から転身し、これまでイチゴの栽培と輸出に取り組んできた秀農業代表取締役の加藤秀明氏に、インフラ輸出を考えるに至った経緯と将来の展望を聞く。

加藤 秀明(かとう ひであき)氏
1980年7月生まれ。秀農業代表取締役。愛知県一宮市出身。同志社大学経済学部卒業後、IT通信関係の企業で働いていたが心機一転、2006年から実家のある一宮市でイチゴ栽培と米づくりをはじめ、専業のめどが立った2009年に秀農業を設立した。「日本の農業の最大の問題は米余り。これを解決する方法がないかと考えた結論が、米づくりのインフラ輸出だ」と語る

まず、IT通信企業から農家へ転身したきっかけからお聞かせください。

加藤 一番の動機は、生きている実感が乏しかったことです。机を並べる同僚と会話もしないで、メッセンジャーソフトでやりとりする日々が、ばかばかしくなりました。生活が無機質で、季節の変化も感じない。もっと五感に触れる仕事ができないものかと思うようになりました。

 ちょうど、赴任先だった中国・大連のセクションがなくなり、帰国して都内をぶらぶら歩いていたとき、パソナ主催の農業研修説明会という看板が目に入りました。ふらりと入って説明を聞き終わると、たまたま来場していた南部靖之代表と話をする機会がありました。

 そのときまで私は、特に農業をやりたいとは思っていませんでしたが、感じていたまま「もっと五感に触れる人間らしい仕事をしてみたい」と話したところ、農業のインターンへの参加を強く勧められたのです。

 2006年4月から12月まで秋田県の大潟村に住み、農業研修を受けました。研修が始まって驚いたのは、農業の仕事自体は大変なのに、ストレスをまったく感じなかったこと。早起きも苦手なはずだったのに、植物の生育を見ながら仕事をするのが肌に合ったのでしょう。現地では自力で人生を切り拓いていく農家の方々の姿を見て、自分も農業をやりたいと決心がついたのです。

出会いに恵まれてイチゴの輸出に乗り出す

研修を受けて、すぐに農業でやっていけましたか。

加藤 やる気まんまんで研修を終えましたが、元手が100万円のみで住む場所もないものですから、結局、兼業農家をしている実家に8年ぶりに戻ることにしました。親は反対も賛成もしませんでした。困ったのは、右も左も分からないので行政に相談したところ、あちこちたらい回しされたこと。もっとも、当時は農業をやりたいと来る人などいなかったから、彼らもどう扱えばよいのか分からなかったのでしょう。

 最後にたどりついたのが、愛知西農協の元組合長で、ご本人も大学を出て自分で農業を始めた方でした。彼から農業のイロハを教えてもらったのですが、今でも頭に残っているのは、「オレが若かったら、イチゴをやっただろうな」というつぶやきと、「地元の人間から信頼感を得るには、米づくりをやったらどうだ。耕作放棄されている田んぼを借り受けて、努力している姿を見せるのがいい」というアドバイスです。

 元組合長は、助言してくれるだけではなく、すぐに動いてくれる人でもありました。私の実家には農地が0.5ヘクタールありましたが、それに加えて0.5ヘクタールを用意してくれたのです。また、忙しい人だったのですが、種まきの方法から、田んぼの起こし方、倉庫の片づけ方まで農家の基本を一通り教えてもらいました。おかげで米づくりで地元の信頼感を得ながら、イチゴでビジネス化する方針で、2007年初頭から自力で農業を始められました。

 ただ元手が底をつくのは目に見えていたので、最初の1年間は、午前中に農業をして、午後からはパソナで人材派遣の営業マン、夜はまたヘッドライトを付けて田畑を回る日々を続けました。

海外へ進出しようという気持ちはすぐに芽生えたのでしょうか。

加藤 2007年11月に岡山の農家の方とSNSで知り合い、彼が中国で農業をやるというのでご一緒したのが海外進出のきっかけです。現地に行ってみて、雑だけれども広々とした土地で大型機械を取り入れた企業的な農業ができることに感銘を受けました。中国・上海の農業科学院を紹介されて、2010年9月から2013年5月まで3年間、上海で日本式イチゴの栽培・流通・販売のプロジェクトを行いました。

 その間に「農家のこせがれネットワーク」の方々と知り合う機会があり、そこで意気投合した人たちと、イチゴとほうれん草入りのシフォンケーキを2010年9月に香港に輸出。その後、マレーシアや台湾にも進出しました。

 振り返ってみると、いい人との出会いに恵まれたと思っています。楽しそうに農業をしていたので、それで道が開けたのかもしれません。イチゴを海外に売るという構想も最初からあったわけではなく、まわりの人との取り組みのなかで、自然と出てきたことです。IT通信企業にいたときとは正反対で、農業は豪雨や台風などの自然災害で苦労はありますが、人間関係でストレスがないのがいいですね。