• なぜ、物流インフラがアフリカの 発展にとって最大の必要条件なのか?
  • アフリカの物流インフラづくりに 日本が協力できること
  • モザンビーク・ナカラ回廊をつくる!
  • ケニアのモンバサ港が東アフリカの 「シンガポール」になるとき
  • 日本の知恵と技術と金が、 アフリカの物流を変える!
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21世紀最も有望なビジネス市場として世界中から注目されるアフリカ。
ただし、その成長に絶対に欠かせないことがあります。

それは

なぜ、物流インフラの整備が、アフリカの成長にとって不可欠なのでしょうか?

理由は2つあります。

[1]アフリカ大陸は巨大で、かつ鉄道が発達していません。このため人の移動手段は、物流の要として、自動車が主役となります。自動車が主役となるためには、道路が適切に舗装されて、大陸の隅々にまで通る必要があります。道路の充実が、社会の発展と経済成長のカギを握っているのです。

[2]アフリカには、港を持たない内陸国が16カ国もあります。こうした国は、自国の港がないため、単独でアフリカ大陸外の欧米やアジアと貿易することができません。資源を輸出するにも、物資を輸入するにも、近くの沿岸国の港を借りるほかないのです。

このため、内陸国は沿岸国と仲良くすることが重要です。沿岸国は自国の港を整備して、国際貿易の拠点とすることが重要です。

幹線道路を整備し、拡充した沿岸国の港と内陸国をつなぐ。アフリカの経済発展には、一国を超え、複数の国を巻き込んだ、経済の「回廊」づくりが、必要なのです。

今回私が取材したインド洋に面したケニアやモザンビークは、まさに東アフリカの貿易と経済の拠点になり得ます。インド洋に面したケニアやモザンビークの港湾を発展させ、ウガンダやマラウィなどの内陸国と幹線道路でつなげば、大きなビジネスチャンスが生まれるのです。

物流インフラが充実すれば、アフリカが、中東、ヨーロッパ、インド、東南アジア、中国、そして日本とを結んだ「環インド洋経済圏」のハブとなる。中世に栄えた「インド洋の時代」が21世紀に蘇ろうとしています。

アフリカの発展には物流インフラの改善が欠かせません。そしてその改善に今、日本の国際協力がどう役立っているのか、JICAアフリカ部の倉科芳朗さんに解説いただきました。

アフリカ54カ国のうち16カ国が内陸国です。アフリカの4分の1の人が、港を持てないという「ハンディキャップ」を抱えているわけです。つまり、単独で欧米やアジアと貿易ができません。

現在も、これからも隣の沿岸国の港を借りているわけですが、港湾設備も道路も整備されていないため、貨物を運ぶのにものすごく時間と手間がかかるため、物流コストがかさみます。

このため、アフリカは、経済が未発達で、人々の収入が少ないのに、物価が高く、人件費も高い、という状態にあります。

道路が未整備だと、アフリカ大陸内での貿易や、自国内での経済発展もむずかしくなります。経済だけではありません。一般の人が、学校に行ったり、病院に行くのも一苦労ですから、社会生活も充実できませんし、教育水準も上がりませんし、医療の普及も妨げられてしまうのです。

そんなアフリカの物流インフラを改善としようと、日本の知恵と技術とお金で、アフリカの沿岸国の港湾と内陸国とを幹線道路で結び、巨大な経済の「回廊」をつくるプロジェクトが、いくつも進行中です。

モザンビークでは、インド洋に面したナカラ港を開発し、マラウイなど隣国までを結んだ「ナカラ回廊」の構築がスタートしました。

ケニアでは、モンバサ港を開発し、ウガンダ、ルワンダなどの隣国までを結んだ回廊づくりがスタートしています。

こうした複数の国を結んだ経済「回廊」が機能し、地域の経済が活性化するためには、道路や港などハードの整備もさることながら、「通関業務」というソフトの簡素化が必要となります。

モザンビークは、ポルトガルの植民地から1975年に独立し、社会主義路線をとりましたが、77年から92年まで内戦が続きました。結果、経済は停滞し、アフリカでも最貧国のひとつとなってしまいました。

そのモザンビークは、大きく羽ばたこうとしています。

政情が安定した上に、本来の地理的な条件が、経済面から注目されようとしているのです。インド洋に面したアフリカ東海岸南部に位置し、いくつもの良港を抱えているモザンビークは、グローバル時代にきわめて有利な場所にあるのです。

中世から近世にかけては、中東やインド、そして中国から船が往来し、さらにはポルトガル船もやってくるなど、モザンビークの港は、インド洋貿易の要として繁栄しました。

再三記しているように、16世紀には日本からの天正少年使節団がモザンビーク島で半年を過ごしているなど、日本ともかかわりがありました。

アフリカが資源国として、世界最後の巨大消費市場として、輸出入双方の面で注目される今、天然の良港を有するモザンビークは、自国はもちろんマラウイや南アフリカなど近隣諸国をも巻き込んだ国際経済の拠点となり得るのです。

すでにその萌芽が芽生えています。

モザンビークの稼ぎ頭は、首都マプトにあるモザール社のアルミニウムの精錬事業です。モザール社はモザンビークと南アフリカ、日本の三菱商事の共同出資で98年にスタート。モザール社のアルミ工場周辺は経済特区に指定され、オーストラリアから輸入したボーキサイトを南アの電力を活用してモザンビークで精錬、ヨーロッパなどに輸出する、洗練された加工貿易のかたちを一気に確立しました。

モザール社の成功を背景に、マプトと南アの首都ヨハネスブルグが道路で結ばれて「マプト回廊」ができあがり、アフリカ南部有数の経済圏となろうとしています。

このマプトの成功を受け、モザンビークでは、港を整備した上で、隣国までを結ぶ道路網を構築し、周辺地域で農業開発や工業開発を行い、国際的な経済ネットワークをつくりあげる「回廊」事業を次々と始めています。

今回私が取材したのは、「回廊」の代表事例となりそうな、北部の港ナカラと北部最大の都市ナンプラ、さらにその奥のマラウィまでを結ぶナカラ回廊プロジェクトです。

南部の首都マプトの急速な発展に比べ、モザンビーク北部は開発が遅れていました。けれどもナカラは水深14mもある天然の良港であり、巨大船舶を停泊させるのにうってつけです。中世から近世にかけては、インド洋貿易の拠点ともなったナカラ。このナカラを中心に今、日本の国際協力でさまざまな改革が進んでいます。現地を取材しました。

ケニアの首都ナイロビから東南に下って460キロ。インド洋に面した港町モンバサ。人口66万人。ナイロビに次ぐケニア第2の都市です。

モンバサは今、アフリカ東海岸の「シンガポール」となることをめざし、いくつものインフラ開発事業に着手しています。

開発事業は主に3つ。1つめが、コンテナバースの拡張工事。2つめが、周辺の道路延伸と拡張工事。そして、3つめが、経済特区の選定と建設です。

なぜ、コンテナバースを拡張しているのか。なぜ道路を広げようとしているのか。なぜ経済特区を設けようとしているのか。

それは、モンバサが、ケニア自身はもちろん、近隣の内陸国であるウガンダ、ルワンダ、ブルンジなどにとって唯一最大の輸出入の拠点になり得るからです。

こちらの地図をごらんください。

ケニアには、このモンバサを輸出入の拠点にして、首都ナイロビを抜け、地熱発電で発展するオルカリア(こちらに関しては、電力開発のコーナーで、改めて詳しくレポートします)を通り、国境を越えてウガンダに至る「北部回廊」をつくろう、という広大な構想があります。

アフリカにとって、物流インフラの整備は経済発展の必要条件。港湾整備と回廊づくり、国境を越える際の通関業務の簡素化がすすめば、経済の血の巡りは一気によくなり、経済発展に拍車がかかります。

モンバサは、歴史的にも地理的にも東アフリカの経済発展の拠点となり得る条件を有しています。

複雑な入り江の奥に位置するために、どんなサイクロンが来ても荒れることのない静かな港。インド洋に面し、中東、ヨーロッパ、インド、東南アジア、さらには遠く中国や日本とも貿易をするのにうってつけのロケーション。

地理的に恵まれた天然の良港をめぐって、中世の昔からモンバサの港を巡ってさまざまな国の人々が争奪戦を繰り広げました。

中東のイスラム商人が船で訪れ、インド洋の貿易の要として栄えてきました。大航海時代になるとポルトガルなどヨーロッパの船がこの港を活用するようになり、オマーンとポルトガルがこの港を奪い合うようになりました。

19世紀末、ケニアがイギリス植民地領になると、イギリスは、モンバサからナイロビ、隣国のウガンダ首都カンパラを結んだケニア鉄道を敷設し、まさに今構想中の「北部回廊」の礎を築きました。

そして21世紀。モンバサは再び歴史の表舞台に立つチャンスを得ました。

港のすぐ脇には美しい珊瑚礁があり、リゾート地としての可能性も秘めている。すでに国際空港もあり、海外からの人のアクセスにも適しています。

モンバサの潜在力を見越して、ケニアでは、経済特区に選定し、さまざまな産業の誘致を行おうと計画しています。

ただし、モンバサの現状は問題が山積です。

すでに大きな港がありますが、出入りする貨物の総量は港の物流処理能力をはるかに超えています。港にはコンテナが山積み。付近も道路にまであふれ帰っています。

そのうえ、首都ナイロビに向かう道路も、舗装はされているものの片道1車線。モンバサ市内は常に大渋滞で、市内を抜けるのにも一苦労。通関業務も近代化されていないために時間がかかります。

せっかく港についたコンテナが船から荷揚げされるまでに、なんと1ヵ月以上もかかることがあり、目的地に着くのに1ヵ月半かかるのも珍しくないそうです。

物流インフラの脆弱さが経済成長のボトルネックとなる。解消するには、荷揚げしたコンテナをさばくコンテナヤードを大幅に拡張し、港の周囲の道路網を拡張し、延伸して、渋滞を解消するしかありません。

そこで日本の出番です。現地で日本の国際協力がどう機能しているのか。JICAケニア事務所の野田光地さんに案内いただきます。

有史以来近世に至るまで、インド洋は世界経済の中心地でした。中東、インド、東南アジア、中国、ヨーロッパ、そしてアフリカ東海岸。インド洋をぐるっと囲んで、人々が、物資が、文化が、行ったり来たりしました。

中でもアフリカ東海岸には天然の良港がいくつもあり、さまざまな国の商人でにぎわいました。今回取材した、ケニアのモンバサも、モザンビークのナカラとモザンビーク島も、まさにそんな歴史ある港です。

近代になって鉄道が登場し、現代になって自動車が登場するまで、世界の物流を担っていたのは、圧倒的に「船」でした。ゆえに物流において最も重要な装置は「港」でした。アフリカ東海岸の港町は、今よりはるかに栄えた国際都市だったのです。

ヨーロッパによる植民地化、独立後の混乱や内戦といった不幸を乗り越え、いま、アフリカは再び歴史の表舞台に立とうとしています。同時に、中国、東南アジア、インド、中東、そしてアフリカ東海岸に囲まれた、環インド洋経済圏が、世界で最も成長の余地のある地域として立ち上がってきます。

今回取材した国際港が、幹線道路の開発とセットになって、自国はもちろん隣の内陸国までをも巻き込んだ巨大な物流回廊として完成するとき、それはアフリカの新時代を象徴する経済圏がいくつも誕生するときでもあります。

そんなアフリカの物流革命に、日本の知恵が、技術が、資金が、企業が、重要な役割を果たしている。アフリカと日本の関係は、これからますます深くなっていく。現地を歩き回って、そんな実感を持ちました。

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