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第1回・織田信長――豊臣秀吉

水谷 俊樹 作家・漫画原作者
日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2018年4月18日(水)

群雄割拠の戦国時代、武将たちは自らの命をかけ、権謀術数の限りを尽くして覇権を争った。その激戦に勝ち残るカギとなったのは、武勇のみならず知略に通じた武士たちをいかに配下に収め、働かせるかだった。人材こそが自らの命運を左右する――。この状況は、現代ビジネスでも変わらない。本コラムでは、作家で歴史漫画の原作も数多く手掛ける水谷俊樹氏が、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という、戦国三英傑の人材獲得、活用策について、企業経営の視点を交えて解き明かす。第1回は“天下布武(武力を使った天下統一)”を掲げた織田信長と、信長の期待に応えて抜擢された豊臣秀吉から考察する。

織田信長は、草履取りからスタートした木下藤吉郎(豊臣秀吉)を見いだし、実地に教育を施した(イラスト=月岡エイタ)
“天下布武”を掲げた織田信長は、草履取りからスタートした木下藤吉郎(豊臣秀吉)を見いだし、実地に教育を施した(イラスト=月岡エイタ)
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「食えぬなら、食えるところで働くだけよ」

 応仁の乱(1467~77)以降、室町幕府の凋落とともに、伝統や家格といった中世的なあらゆる体系が崩壊し、日本は約100年に及ぶ戦国の動乱へ突入する。

 戦乱の世は、身分の低い者が上の者を倒してその地位を奪う“下剋上”の時代だった。やがて守護大名に代わって、全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現。その数は150とも、300ともいわれ、彼らはそれぞれの地域で自らの領土を拡大するため、戦を繰り広げた。

 当然、戦をするには軍事費が必要となる。戦死者・負傷者が出た場合も、出費となった。にもかかわらず、なぜ戦国大名は、戦いつづけなければならなかったのか。

 その大きな要因は、当時の戦国大名(主君)と武士(家臣)の主従関係にあった。

 戦国時代の主従関係は、きわめてドライだ。

 戦国の武士は、無事泰平の世を生きた世襲制の武士のように、もっともらしい顔で「武士は、二君に仕えず」と言ったり、“清貧”という言葉を盾に「武士は食わねど高楊枝」などと痩せ我慢したりはしない。
「食えぬなら、食えるところで働くだけよ」

 彼らはそう言って、あっさり牢人(ろうにん、流浪人のこと)となり、主君を変えた。

 殺るか、殺られるかの“弱肉強食”の時代だ。戦国の武士は、家を存続させるため、よりよい生活をするために、武力も財力もある強い主君を求めた。だから主君である戦国大名は、何より強くなければならなかった。軍事費を捻出するためにも、常に他国・他領へ攻め込み、そこで奪い取った土地を彼らに恩賞として与えなければならなかった。