オフィス経営の分岐点

「ビル経営はブルーオーシャン」
髙木ビルの髙木秀邦氏に聞く

若きリーダーが語るビル経営の未来

2018/03/20
オフィス経営の分岐点

虎の門髙木ビルなど都内で10棟を運営する髙木ビルの専務取締役、髙木秀邦さんは、中小オフィスビル経営に大きな可能性を感じていると語る。もともと同社の三代目だった高木さんは大学卒業後にミュージシャンを志し、信託銀行系不動産会社勤務を経て、家業である髙木ビルに入社した。その2年後に起きた東日本大震災を経験して、これまでのビル経営の姿勢を根本から問い直すことになったという。髙木さんに、家業を継いだタイミングやビル経営への思いなどを聞いた。(聞き手:編集部)


髙木秀邦さん

髙木秀邦さん

――髙木さんが「出世ビル」や「BIRTH」などの新しい取り組みに挑戦しているのは、なにかきっかけがあったのでしょうか?(参考:ビルからの転出も歓迎 敷金を半額にした「出世ビル」

髙木(髙木秀邦氏 以下、髙木)私が髙木ビルに入社してちょうど10年目になります。東日本大震災が起こる2年前に入社しました。当時は、手前味噌になりますが老舗の優良貸しビルといった会社で、ビルは満室稼働で経営的にも盤石でした。これも自分で言っちゃうとあれなんですけれども、殿様状態なんですよね。入社したものの、私がやることは実はあんまりないんじゃないかぐらいに。

やっぱりバブル経済後の景気の落ち込みも乗り越えてきたので、すごく手堅いし、少しでも与信が悪い企業さんとはテナントで付き合わないみたいな雰囲気もありましたね。「テナントさんから文句なんて1つも言わせない、うちはこういうやり方だから嫌なら出ていってもらって構わない」みたいな状態で守ってきた。

確かに一時期は、そういう強さがないと守れなかった時代もあったと思うんです。ただ、私にはすごく違和感がありました。でも、こういうものなのかもしれないなという形でやっていて2年ほど経って東日本大震災が起きたわけなんです。これが一番の大きなきっかけです。

当時、新宿の超高層ビル群がめちゃくちゃ揺れたという報道、覚えていらっしゃいます?

震災後、テナントを引き留めるすべがなかった

――ありましたね。長周期地震動ですね。

髙木弊社では、西新宿の甲州街道沿いにビルを所有しています。震災の時は、ちょうど新宿のビルにいて、すごい揺れたんですよ。そうしたら、震災後に西新宿の超高層ビルからテナントがかなり転出しました。それによって、新宿エリアではビル市場が荒れてしまったんですよね。

西新宿髙木ビル(写真提供:髙木ビル)

西新宿髙木ビル(写真提供:髙木ビル)

すると、空室の出た超高層ビル群に、周辺の中小ビルにいた優良企業が次々と移転していきました。中小ビルにとっては、テナントを引き抜かれた形になったんです。当時、うちの新宿のビルも、11フロア中8フロアのテナントが移転してしまいました。しかも、うちの賃料よりも大幅に低い水準で超高層に入居したケースもあったんです。さらに1年間はフリーレントを付けて、引っ越し代もビル側が負担するという。

こんなことがなぜわかったかというと、テナント様から直接聞いたからなんです。ほとんどのテナント様は何も言わずに出ていっちゃたんですけど、何社かは私にざっくばらんに話をしてくれました。「実は移転の誘いが来ていて、賃料などの条件は髙木さんのところよりも大幅に低いよ」と。「もし、髙木さんもこの条件に合わせてくれたら、残りますよ」と。

ビルオーナーとしては、本当にのど元にナイフを突き付けられたような思いだったんですね。正直におっしゃっていただけて、うれしいという思いもありました。でも、今苦しいからと言ってその様な一方的な条件を呑んでしまい、これまで長年髙木ビルが積み上げてきたブランドや価値を崩してしまっていいのか。すごく悩んだんです。

でも、そのときに初めて気付いたんです。何も持ってないなと。大手のビルに対抗する術(すべ)を持っていない。引き留める術(すべ)がない。

西新宿髙木ビル(写真提供:髙木ビル)

――お金しかない…。

髙木経済条件しかない。しかも、話をしてくれた経営者とは、長年、入居してくれていたにもかかわらず、そのとき初めてお会いする人ばかりだったんです。「こんな関係はいったいなんなんだろう」と思ったんですね。

まだ駆け出しのぺえぺえで、業界のこともまだあまり分かってない状態で、胃が痛くなるほど考えました。私は会社を守っていかなきゃいけないし、事業を承継していかなきゃならない。そして、本当の意味で腹を決めました。全部お断りすることにしたんです。「残念ですが、どうぞ出ていってください。またお付き合いいただくことができるかもしれないので、いまは心苦しいですけれども、どうぞ行ってください。これが貴社のステップアップになることを祈っています」と言いました。

それで、一気に空室を抱えてしまいました。でも「震災も落ち着けば、またすぐに埋まるだろう」とどこかで楽観視していたんですよね。見事に裏切られました。全然、問い合わせが来ないんですよ。今まで頼っていた仲介会社からも、いま移転する企業はないですよと言われると、ただ待っているしかない。待っている間は本当に地獄のような思いでした。自分から何もできないし、何をしたらいいんだろう。このときはずっと耐えているだけでした。

そうこうしているところで、当時は震災による電力不足の問題が起きて、計画停電もあって、残っているテナント様といろいろな向き合う機会ができました。節電をどうしようか、余震が来たらどう対応するか、修理をどう進めるか、備蓄品をどうしようか。そうやって、結構、ひざを突き合わせてリレーションを取るようになったんですよ。

そこで、私も社員も、そんなことを初めて聞いたとか、本当はこうして欲しいとか、こんなふうに思っていたんだという「テナント様の本当の声」を多く聞くことができたんですね。本当に猛省しました。今までなんてテナントさんから遠くにいたんだろうかと。お客さんの顔色を見ない料理人みたいなもので、食べている人の姿を見ないで料理を作って、はい、おしまいなんてやっていたら、お客さんが喜ぶわけない。

テナント様にもいろいろな話を直接聞きに伺ったりとか、仲介会社さんにもこっちから行って、いろいろな担当者に会いに行って、いろいろな関係者に会いました。仲介会社のある方には、「髙木さんのビルはいろいろ厳しいので、僕が連れてくるお客さんはだめだと思いますよ」と言われました。「そんなことないです」と答える日々を繰り返していました。

すると、だんだんと問い合わせが増えていって、震災の不安が収まってきた1年後ぐらいから、徐々にいい形でテナント入居が決まってきたんですよね。やっぱり貸しビル業って、箱を置いておいたって何にもならないんだなということを真の意味で痛感したのが震災です。目が覚めました。向かうべき方向性が見えたんですね。

「お前に家業を継げるほど甘くない」

――もともと髙木さんは3代目なんですよね。

髙木そうです。祖父が起業しました。

――あるメディアのインタビュー記事(https://listen-web.com/hidekuni-takagi/)によると、いったん髙木ビルに入ろうと思ったらお父さんから拒絶されたと出ていました。

髙木はい、拒絶っていうと言い過ぎかもしれませんが(笑)、認めてはもらえませんでした。大学在学中からプロとしてミュージシャンをやっていました。自分で好き勝手やっていながら、実家の家業をいずれ継げばいいという甘えた根性がどこかに残っていたんでしょうね。父に入社の意思を伝えたら、「お前、何を言っているんだ。いまのお前がすんなり入れるほど甘くない」と言われました。

当然、それは正しいわけです。それで目が覚め、このままの自分ではダメだと思って、全部自分で一からやり直そうと思い就職活動しました。大学のときはやってなかったので、こんな大変なんだと(笑)。

その後、信託銀行系不動産会社に入って、売買仲介営業を担当しました。ここで結果が出ないのであれば、もう二度と父の前には立てない。自分がどこまでできるかチャレンジすべきだなと考えていましたね。おかげさまで社内表彰の常連になるほど営業成績もよくなって、かなりいろいろな取引などの経験も積めたあたりで、「そこまでやれるなら入社するか」と声を掛けてもらいました。

入社のタイミングはちょうど虎の門髙木ビルの建て替えをスタートする年でした。建て替えでは、常に現場に足を運びました。杭工事のときにはヘルメットをかぶって、深夜でも現場に行って。泥んこになって見ていると、本当に隅々までビルのことが分かってくるんですよ。

虎の門髙木ビル(写真提供:髙木ビル)

虎の門髙木ビル(写真提供:髙木ビル)

虎の門髙木ビル1階にある館銘板(写真提供:髙木ビル)

虎の門髙木ビル1階にある館銘板(写真提供:髙木ビル)

虎の門髙木ビルのことになれば、地中から、壁の中から、床の一個一個の素材から、色の指定番号から何から全部すべて私が決めたので、頭に入ってます。すべての工場検査に立ち会って、エレベーターは名古屋に、機械式駐車場は四国へ、電気設備は青森にと、どこにでも行きました。鉄ってどうやってできているんだろうとか、鉄骨って何でこうなっているんだとか、そういうハードの部分も全部、見て体感して知っておかないと、ビル経営に説得力が出てこないと信じてました。

――お父さんは出世ビルやBIRTHについてはどういう反応を示したんですか。

髙木最初は「いったい何をやりだすんだ?」という感じだったですね。なぜそういうことをやる必要があるんだ?みたいな。でも反対はしなかったですね。「時代の流れがどんどん変わってきて、ビル経営は今までのままじゃだめだということだけは分かった」とよく言っています。「だけど何したらいいか俺にはもう分からない。それはお前らが見つけるしかないんだな」ということを理解してくれたので、反対はしなかったですね。任せてくれたというか、やるだけやってみろと。そして、結果が、収益UPだけでなく、髙木ビルのブランド力向上にまで及ぶようになり、「新たな不動産の価値」として理解し支持してくれました。

――今、中小ビルオーナーのなかには事業承継で悩んでいる方が多いと思います。一つには、大変なビル経営という仕事を子供に託していいんだろうかという悩みもあるようです。

髙木ビル経営、実は楽しいですよ。

――楽しいですか。

髙木めちゃくちゃ楽しいですよ。承継する側がやりたくないと言っているという話も聞きますが、今やっているオーナーさんたち、例えば高齢になってしまったオーナーさんたちが、自身の子供がやりたいって思える様に楽しくビル経営やっていましたか?ということもあると思うんですよ。

これからは、昔よりももっと楽しくビル経営をできるアイデアが増えていて、新しいことにチャレンジする土壌も確実にできています。もっとビル経営が楽しくなる世の中になってきたということは、声を大にして言いたいです。だって土地と建物があるって、たぶんものすごいアドバンテージだと思うんですよ。


文:編集部、写真:菊池くらげ(特記なき写真)

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