序章
日本企業がアフリカの明日を創るとき

2016年8月27日、ケニア・ナイロビで開かれた
TICAD Ⅵのジャパンフェアの会場を視察する安倍晋三首相
写真提供:内閣広報室

2016年8月末、アフリカ・ケニアの首都ナイロビに3,000人の日本人と約100社の日本企業が集結しました。大企業から地方中小企業、ベンチャー、NPOまで。第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)が開催されたのです。

会議には安倍晋三首相ら日本の閣僚も多数参加しました。テレビや新聞、ウェブなどでその報道をご覧になった方も多いはずです。日本の政治家とビジネスパーソンがアフリカの一都市にこれだけ集まったのは史上初めてでしょう。

アフリカの発展を願って日本がアフリカ諸国と共催するかたちでTICADを初めて開いたのは1993年。以来2013年まで計5回のTICADは日本で開催、アフリカ諸国の首脳を招いてきました。アフリカで開催されたのは今回がはじめて。主要テーマの1つは、「日本の民間ビジネスをも巻き込んだアフリカ経済発展」です。

つまり日本企業に、アフリカをもっともっと盛り上げてもらおうというわけです。たくさんの日本企業と日本のビジネスパーソンがケニアに集まったのは、TICADのテーマが「ビジネス」に直結するものだったからです。

エチオピア・アディスアベベにあるandu ametの工房でスタッフと

andu ametの製品はエチオピアの最高級シープスキンからできます。

andu ametの職人たちがひとつひとつ手作業でバッグをつくる。

2004年エチオピアのアディスアベバでファッションショーを開催。地元の素材を使って。

2005年ガーナの職業訓練校でフェアトレードプロジェクトを立ち上げ。

そんな日本のビジネスパーソンの一人として、TICAD会場を取材したのが、私、鮫島弘子です。2010年にアフリカ・エチオピアで、皮革製品の企画・製造・販売を手がける『andu amet』(アンドゥアメット)の工房を立ち上げ、以来、製造をエチオピアで、販売を日本を中心とする先進国で行っています。

コーヒーの原産地としても知られるエチオピアですが、実は羊革の中でも世界最高峰といわれるエチオピアシープスキンの特産地でもあります。エチオピアシープスキンの特徴は、触れた途端に思わず幸せな気持ちになってしまう吸いつくようになめらかな肌触りと、軽くて丈夫な素材のしなやかさ。andu ametでは、その極上のエチオピアシープスキンをふんだんに使い、アフリカならではの色彩感覚と日本の繊細な伝統工芸の手法を取り入れたファッショナブルなデザインのバッグや小物を製造・販売しています。世界最高峰の素材を使用し、かつひとつひとつの製品が職人の手作業により生み出されますので、決して安いものではありませんが、ありがたいことにファンのお客様は年々増えています。

2002年青年海外協力隊員時代。デザイナーとして働く傍ら、地方でのポリオ撲滅運動に参加。

私は新卒で化粧品メーカーに就職し、新製品開発やデザインに携わっていました。でも、流行の移り変わりに伴い次々と製品が作られては廃棄されていく大量生産・大量消費のシステムに疑問を持つようになり、3年後に退職して、青年海外協力隊の一員としてエチオピアとガーナで活動しました。

3年間の協力隊活動を通じて得たのは、エチオピアシープスキンをはじめとする素晴らしい素材や、のちに製品デザインのインスピレーションの源となる豊かで雄大な自然、気高く魅力的なアフリカの人々との出会いでした。さまざまな出会いと、協力隊活動の経験をきっかけとし、アフリカの地でぜひファッション分野で起業したいと思うようになりました。

いったん日本に戻って外資系のラグジュアリーブランドでマーケティングの修業をして、2010年にエチオピアに舞い戻り、皮革製品の製造を行うビジネスを始めたわけです。

ただし、当時のアフリカでビジネスをしている日本人は総合商社やエネルギー関係のひとなどごくわずかで、私のような起業家やIT関係者の姿を見ることはほとんどありませんでした。

アフリカに対する日本の国際協力も、国同士による社会インフラの整備などが中心でした。学校や医療機関をつくったり、道路や港湾など物流システムを整備したり、あるいは戦争や紛争で疲弊した人たちをサポートしたり、といった具合です。それまでのTICADも、ビジネス支援というよりも日本の開発援助をテーマとしていました。

けれども、時代は変わりました。
アフリカは世界中のビジネスパーソンから注目を浴びています。現在約12億人の人口は20代中心で若々しく、2050年には2.1倍の24.7 億人、2100年には実に3.7倍の43.8億人に膨れ上がると予想されています。世界にとって最後の、そして最大のビジネスの場になるのではないか、とみなされています。

アフリカで日々ビジネスを行っていると、経済の胎動を肌で感じます。まだまだインフラは未整備で、治安の問題もあります。でも、スマートフォンが一気に普及し、SNSではさかんに情報交換がされ、ITベンチャーが生まれ、金融ビジネスが育ち、人々は、ファッショナブルな装いをまとい、未来へと突き進もうとしています。

今回、私は、国際協力機構(JICA)の協力を得て、「日本がアフリカとともに成長できるビジネス」の今と未来について、ケニア・ナイロビで開かれたTICADⅥの現地取材をしました。アフリカですでにビジネスをしている企業、これから本格的にアフリカ市場に参入しようとする企業、約100社が日本から大勢のスタッフを会場に送りこんできました。アフリカビジネスの最前線を行く彼ら彼女ら(実は女性が多いんです!アフリカで活躍するビジネスパーソンは。私だけではありません!)から伺った話は、アフリカのビジネスの今を知るのに最高の教材です。

アフリカスキャンを立ち上げ、ケニアで活動する澤田霞さん

ただ、TICADのイベント会場を訪れただけでは、リアルなアフリカビジネスの「今」と「未来」は見えてきません。そこで、アフリカの中でもいちばん成長株とみなされている国の1つ、ルワンダを訪れ、そこで展開されているさまざまなビジネスの現場を歩きました。その取材の模様もこの連載の後半でお伝えします。

ルワンダ、と聞くと2006年公開の映画『ホテル・ルワンダ』でも描かれた1994年のルワンダ虐殺を思い浮かべる方も少なくないでしょう。自国民が自国民を襲う悲劇。当時人口700万人に満たなかったルワンダで、80万人とも100万人ともいわれる国民が命を落としました。今でも、検索エンジンに、日本語で『ルワンダ』と入力すると関連キーワードとして『ジェノサイド』や『治安』が上位に挙がります。

ルワンダの首都キガリの美しい街並み

あれから二十数年。今のルワンダは、どうなっているでしょうか。なんと高付加価値農業とITで急成長中のとても美しい国に進化していました。ゴミひとつ落ちていない首都のダウンタウン。奇麗なカーブを描く並木が並んだ道路。丘と谷とが織りなす景色に美しくフィットした住宅街。洗練された街並みが広がっていました。

実際、英語で「RWANDA」と検索すると、観光資源や農業、経済成長、ルワンダに生息するゴリラの話など、ポジティブな記事がたくさん挙がってきます。この国は大きく変わろうとしています。

そして、ルワンダの急成長の背景には、なんと日本による国際協力と、日本の企業と日本の地方自治体と大学、そして日本の起業家たちの存在がありました。

ルワンダのIT拠点「Kラボ」で学ぶ若き起業家や学生たち

アフリカでいまどんな日本企業やビジネスパーソンが活動しているのか。どんなビジネスチャンスがあるのか。日本企業がアフリカでできることはなにか。アフリカで羽ばたける日本企業はどんなところなのか。そんな日本企業の進出に、日本の国際協力はどう寄与しているのか。

少子高齢化が進む先進国日本。まだ貧しいけれど若くそして人口が増えていくアフリカ。両者がビジネスの現場でタッグを組めば、明るい未来が広がるはず。エチオピアで皮革製品をつくり、日本のお客様に買っていただいている一起業家として、私自身がそう信じています。

だからあえて、ひとりのビジネスパーソンの視点で、アフリカのビジネスのいまと未来を、日経ビジネスオンラインの読者のみなさんに、たっぷりお伝えいたします。読み終えれば、きっとみなさんも、私のように、アフリカでビジネスをしたくなるはずです、きっと!

以上のチャンスとハードルを念頭に置いて、本編を読んでいただければ、アフリカビジネスの「ツボ」がつかめるはずです。

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