後編
パナマ市の下水が、パナマの海と漁業を破壊する? 救ったのは、日本の下水処理技術でした

Supported by JICA

常夏の国パナマで水着姿を見かけないのは、下水のせいだった

パナマシティの海岸沿いを自動車で走っていたとき、あることに気づきました。常夏の国で海が目の前にあるのに、海岸で遊ぶ人や水着姿の若者を、まったく見かけないのです。

パナマシティの海岸通りからの風景。海辺には人っ子一人いません。
ちなみに空が暗いのはスコールが迫っているから。
気温は30度以上あって水着で散歩するのにちょうどいい気候です

マリンスポーツが流行っていない、というわけではなさそうです。ヨットハーバーはいくつもあり、豪華なクルーザーが並んでいたりします。

近年パナマは、アメリカはもちろんヨーロッパの人々の退職後の移住地として注目が集まり、多くのアメリカ人やヨーロッパ人が移住してきています。

パナマの国際空港とパナマシティの間の幹線道路沿いに建つ豪奢な超高層マンションの多くは、海外からの移住者を対象としたものだそうです。
ならば、ますますたくさんの海水浴客が海岸沿いを闊歩していそうなものです。

欧米の富裕層が海岸沿いのリゾートマンションに居を構え、ヨットやクルーザーで遊ぶ街。
マリンレジャーそのものは、とても人気があります

実は、パナマシティに面しているパナマ湾の海水はひどく汚染されているのです。国の人口の4割、88万人が住むパナマシティ。このパナマシティには、なんと下水処理施設がいっさいありませんでした。

このため毎日33万m2の下水がパナマシティからそのままパナマ湾へ垂れ流され続けてきました。

その結果、まず市内の河川から生き物の姿が消えました。
さらに、2001年からパナマ湾の魚介類は食用禁止となりました。

そういえば、マリスコ市場に並んだ太平洋産の魚介類は、キハダマグロをはじめとする外洋種ばかり。理由は、どうやら海岸の汚染に原因があったようなのです。

そこで日本が協力を申し出ました。

2007年に「パナマ市及びパナマ湾浄化事業」として、約194億円の円借款事業がスタートし、2013年8月には、パナマ初の下水処理施設が市内で稼働し始めました。施設の稼働に際しては、下水道の管理技術に卓越した横浜市環境創造局が協力し、国際協力機構(JICA)が多数の専門家を送り込み、現在に至るまで、指導にあたっています。

日本の下水処理技術が、パナマの海と自然を救う

パナマシティの下水処理施設を訪れました。

パナマシティの中心街から国際空港へと向かう幹線道路をしばらく走り、途中海岸側の脇道に入ると、広大な敷地に円形の水槽が並ぶ下水処理施設に到着です。

パナマシティ郊外の下水処理場の全景。地元小学校の児童たちが見学に来ています

施設の中に入ると、大勢の高校生たちが下水処理の模型の周りに集まっています。社会科見学のようです。

地元の高校生が下水処理の仕組みを勉強中。
下水処理施設は、パナマの学校教育に盛んに利用されています

こちらの下水処理場の事業を総括し、日本にも研修で訪れたことがある、タティアナ・デ・ハノンさんに話を伺いました。

「パナマは中南米の中でも順調に経済発展を続けている国です。この施設ができた2013年は7.5%、2014年以降も6%前後と高い経済成長率を誇ります。海外からの移住者も増えるなど人口も消費活動も右肩上がり。その結果、もともと下水処理施設がなかったパナマシティの河川や海岸の水質汚染はますます深刻になる一方でした」

日本で下水処理技術を学んだ、タティアナ・デ・ハノンさん

確かにパナマシティの発展ぶりには目を見開かされます。高層ビルが立ち並ぶ典型的な巨大都市の様相を呈しています。けれども、この街にはたくさんの人々が暮らし、働いているにもかかわらず、下水処理のシステムが存在しなかったのでした。

人口88万人のパナマシティは、超高層ビルが次々と建ち、その規模は拡大する一方。
にもかかわらず、3年前まで1つも下水処理施設がありませんでした

「下水処理施設が完成するまで、パナマ湾の海岸沿いを車で走らせるときには、必ず窓を閉めなければいけませんでした。強烈な悪臭が飛び込んでくるからです」

タティアナさんの話を伺って、なぜ熱帯の海岸の街、パナマシティで海水浴客や水着姿の人々を見かけないのか、疑問が氷解しました。海水浴を楽しむには、あまりに海が汚染されていたからだったのです。

2013年の下水処理施設の稼働後、2015年6月からは、「パナマ首都圏下水道事業運営改善プロジェクト」が始動しました。日本から5人の専門家が派遣され、下水処理施設の運営・管理、環境教育、工場排水の規制などを担当し、パナマ保健省の担当者たちを指導しています。

日本やブラジルでも研修を行い、パナマの担当者は参加しています。タティアナさんもその1人です。

「パナマの下水処理施設はまだ始まったばかりです。パナマ湾を昔のように美しい海に蘇らせるには、まだまだ時間がかかるでしょうし、さらなる施設の増強も必要でしょう。それでも、こうして多くの子供たちが下水処理の効果を見学することで、環境対策の必要性を1人でも多くのパナマ国民が気づいてくれれば、いつか水着で海水浴を楽しめるようなパナマの海を取り戻すことができるはずです」

環境保全は最大の経済成長策だ

パナマの下水処理施設で技術指導を行う日本人専門家たちと

ミレイ・エンダラ環境大臣はパナマの環境対策についてこう語ります。

「パナマはこれまで経済成長を優先してきました。しかし、一番の産業であるパナマ運河の運営には、実は熱帯雨林の保全がむしろ不可欠だったように、パナマの水産業と国民の衛生管理のためには、下水処理施設の配備による川や海の水質改善が不可欠です。その結果、農業や漁業といった食ビジネスも持続的な成長が可能となります」

ミレイ・エンダラ環境大臣。パナマでは、女性のリーダーが目立ちました

パナマを取材して改めて、環境保全と経済発展を二律背反の問題ととらえていた時代は終わり、環境を守ることが経済発展につながる。それが21世紀の新常識であることを気づかされました。

経済がものすごい勢いで発展する一方で、下水処理などがまったく行われていなかったのは、かつての高度成長時代の日本の姿でもあります。1960年代から70年代にかけての日本沿岸は、下水や工場排水が垂れ流しになり、高い経済成長と引き換えに、深刻な公害問題を引き起こしました。

その後、下水や工場排水の処理技術が発達し、日本全国に配備されるようになって、日本沿岸の水質は劇的に改善しました。2020年に開催予定の東京オリンピック・パラリンピックでは、東京湾のお台場海浜公園がトライアスロンの競技候補地となり、アスリートたちは東京湾を泳ぐ予定です。

かつての東京湾の汚染ぶりを知る人たちからすれば(私もそのひとりです)、東京のお台場近辺で泳げるというのは夢のような話です。

そう考えると、パナマ湾が美しい海岸に復活することも決して夢物語ではありません。日本の経験が、対象国の環境改善に役立ち、経済成長の一助となる。
その恩恵は、良い循環となって日本にも返ってきます。

この連載の前編の冒頭でも紹介したように、パナマにおける日本の協力の結果、パナマ運河は新運河がスムーズに開通し、日本のエネルギー需給のカギを握る米国産シェールガスの輸入にもつながりました。

私自身、毎回取材のために勉強させられます。パナマに続き、また世界のどこかで進められている日本の国際協力の現場に足を運んで、日本のみなさんにお伝えするつもりです。