「健康な従業員が収益性の高い会社をつくる」という「健康経営」––。
2015年11月、新たな経営戦略として注目を集めるこの考え方をテーマとしたセミナーが、
名古屋を皮切りに東京、大阪の3都市で開催された。
ここでは、各会場で定員一杯となる来場者が集まったセミナーから、いくつかのプログラムの内容を紹介する。

今後のビジネスに勝つための
経営戦略の1つー健康経営

 昨今、「健康経営」という言葉をテレビや新聞などでよく見かけるようになった。これは「従業員の健康を、企業や社会に不可欠な資本として認識し、健康づくりを促す仕組みを構築。それにより収益性の向上などを目指す取り組み」のこと。今後を見据えた経営戦略の1つとして、数多くの企業に注目されているが、具体的な取り組みとしては「従業員の健康状態の把握」「従業員の健康増進を推進するための体制整備」「生活習慣病対策やメンタルヘルス対策」「長時間残業対策などの実施・運営」などが挙げられる。

 また、この取り組みによって従業員の健康保持・増進が実現すれば、治療が長期に渡る生活習慣病などが減り、増加し続ける国民医療費を抑制する効果も期待される。国民医療費の過剰な増加は、健保組合などの財政悪化を招き、保険料を上昇させる。その結果、企業の負担が増えることを考えれば、経営に対する影響も小さくないのである。さらに、今後、少子高齢化がさらに進むことを考えても、高年齢層の従業員の健康を維持することが企業の生産性を大きく左右することは想像に難くない。

 そのため、政府も「健康経営」の推進に積極的に取り組んでいるが、その一環として、2015年3月に経済産業省が東京証券取引所と共同で、従業員の健康管理を経営戦略として実践している22の企業を「健康経営銘柄」として選定したのは記憶に新しいところだ。

 このように「健康経営」が注目を集める中、名古屋(11月5日、会場:名古屋東京海上日動ビルディング)、東京(11月10日、会場:東京大学 伊藤謝恩ホール)、大阪(11月12日、会場:AP梅田大阪)の3都市で開催された「健康経営セミナー」では産学官各界から招かれた有識者により「健康経営」の状況や取り組みが語られた。

産学官で活発化する
健康経営を巡る動き

 名古屋と東京会場で基調講演を行ったのは、内閣官房参与を務める大谷泰夫氏。「未病と健康経営」と題したこの講演で大谷氏は「健康と病気の間にある『未病』の状態での健康管理の重要性」を説明。「これからの医療は、病気や怪我を治すという感覚ではなく、(病気や怪我までいかない)体調や体質の変化などと共存する意識を持つ必要がある」と語った。また、未病で重要なのは「行政や専門家から受動的に提供されるものではなく、提供されているサービスなどを個人が自己決定・選択すること」だと述べ、個人の行動変容の必要性を強調。そして「未病がこれからの高齢化社会の医療や健康のキーになり、大きなマーケットにもなる。その中で企業は、サービスを提供する立場、または自社の健康経営を実行する立場から、色々な切り口で未病を考えてもらいたい」とまとめた。

 また、健康経営は研究機関でも重要な研究テーマとして取り組みが進められている。

 東京大学政策ビジョン研究センター 健康経営研究ユニット特任教授の尾形裕也氏による東京会場の特別講演「『健康経営』と企業経営」では「健康経営とは何か」という基本的な内容に加え、「健康経営の推進がアベノミクスの日本再興戦略の取り組みの1つに位置付けられている」といった「アベノミクスと健康経営の関係」などについて解説。

 講演終盤には、欠勤するほどではないが、体に不調を抱えたまま仕事をして生産性が低下した状態を指す「プレゼンティーイズム」による損失が、日本の企業や組織においても大きいことなどを明らかにした同研究ユニットの取り組みを紹介。併せて、プレゼンティーイズムの損失をはじめとする健康関連総コストを把握し、健康リスクの評価を継続的に行うことで「健康リスク改善によってコストが減少するなどの労働生産性に係るデータを取得し、従来の健診・レセプトデータを活用した分析手法より多面的に健康課題を明らかにする枠組みの構築を目指す」研究が行われていることが説明された。

 さらに、東京会場最後のプログラムでは、日本医師会副会長の今村 聡氏が登壇。「医師会(かかりつけ医、産業医等)を活用した健康経営への取組」と題した講演が行われた。

内閣官房参与大谷 泰夫 氏

東京大学 政策ビジョン研究センター
健康経営研究ユニット 特任教授
尾形 裕也 氏

日本医師会 副会長今村 聡 氏

 今村氏は、日本再興戦略の中で「健康寿命の延伸」が謳われていることを紹介し、その実現のためには「生活習慣病予防や重症化予防への取り組みが必須である」と語った。

 このような取り組みにおいて、「健康経営」を進める企業の役割は大きいが、健康経営に取り組む企業を増やす後押しなども重要である。今村氏は講演で2015年7月に設立された「日本健康会議」について紹介し、この組織の目的が「経済界・医療関係団体・自治体のリーダーが手を携え、健康寿命の延伸と共に、結果として医療費の伸びを緩やかにすること」と併せて、「健康保険組合など保険者と連携して健康経営に取り組む企業を500社以上とすること」や「協会けんぽなど保険者のサポートを得て健康宣言などに取り組む企業を1万社以上とすること」などを2020年までに実現するという活動指針を解説。「健康経営」について具体的な目標を掲げていることが説明された。

 そして、これらの取り組みを効果的に推進していくためには「特定健診、事業主健診などによって個々の加入者、就労者の健康状態を把握した上で、医師会、かかりつけ医、産業医、健康スポーツ医が連携し個々の加入者、就労者の健康問題に対して適切な対策を講じる仕組みが必要不可欠」だと語り、このことは重症化予防の取り組みでは特に重要なことを強調した。

 例えば、職域における重症化予防の取り組みでは、健保組合が委託した業者から重症化リスクの高い加入者へ保健指導を行うケースが多い。しかし、それでは加入者の就労状況や地域のかかりつけ医の下でどんな治療をしているかを踏まえた助言や指導を行うことは困難である。そこで産業医とかかりつけ医の連携、さらには全体をまとめる医師会の積極的な関与が必要になるということだ。

 以上のように、健康経営を巡る動きは、各企業内の取り組みだけでなく、政策展開や研究機関・団体での研究や活動など、様々な方面で活発化しているようだ。

データ分析により現状分析
および課題把握が可能に

 今回のセミナーでは、具体的な企業の取り組みや、健康経営を推進するためのポイントにも触れられた。

 大阪会場で、東京大学政策ビジョン研究センター 健康経営研究ユニット 特任助教の古井祐司氏が行った基調講演では「システムエンジニアは高血圧になりがちなこと」や「営業職員は高血糖になりがちなこと」など、職種ごとに発生しやすい健康リスクを具体的に挙げ、働き方が健康リスクに大きく影響することに言及。そして、そのリスクを従業員自らの努力で減らすことは難しく、データヘルス計画によって、リスクを“見える化”し「職場の仕事動線を踏まえた施策(後述のように外回りに行く前の体重チェックを義務付けるなど)」の有効性を示した。また、“見える化”した健康リスクを、同業他社と比較し、自社の状況を確認することの重要性についても、古井氏は実例を挙げて説明。「従業員の肥満化が進む運輸会社で、今年から1000を超えるすべての拠点に体重計を設置し、毎朝、全従業員が体重計に乗ることをトップダウンで義務付けた」が、それが実現できたのも、保健師が持ってきた自社と同業他社の健康リスクの比較データを見た社長が危機感を抱いたからだという。

 本セミナーでは各会場で、健康経営を推進し効果を挙げている企業の担当者をパネリストに迎え、「データヘルス計画とコラボヘルスの実現」をテーマにしたパネルディスカッションも開催されたが、古井氏の言葉通り、データ分析に基づき自社の特徴に合わせた施策を進めている事例が数多く紹介されたのが印象的であった。

 例えば、社員の生活習慣病改善プログラムとして、適切な食事指導や運動指導などを行ったサンエイでは、取り組みの前後に効果測定を行うことでPDCAサイクルをまわし、メタボ率を大幅に改善。この事例は、施策は実行するだけではなく、定量的な評価とブラッシュアップが必要なことを示唆している。

 さらに、社員食堂のメニューを一新して、社員のカロリーコントロールを図る活動を行う堀場製作所では「まず、産業医に現場を見てもらい、従業員の適正摂取カロリーを算出するところからはじめ、それを元に給食業者にメニューの策定を依頼した」という。これは外部の知恵や専門家を活用することで健康経営への第一歩が踏み出せた好事例である。「健康経営」実現の鍵は、以上の事例が示すようにデータに基づいた定量評価を実施し、企業の特性に合わせた施策を展開していくことであるが、経験のない企業が1から自力で行うのはたやすいことではない。今回登壇した多くのパネリストの話からも感じられたことであるが、健康経営のスムーズな実現には、「課題を可視化し、PDCAサイクルによる改善に必要な定量的評価を行う体制構築」や「状況分析と実情に合った保健事業の企画」など1企業内だけでは取り組むことが難しい課題について、経験から導かれた社外のノウハウや知見を活用していくことが有効であろう。

 今回のセミナーでは、登壇者の話に熱心に耳を傾ける来場者の姿が多く見受けられた。今後、「健康経営」を推進する企業の数が増え、国民の健康寿命が伸びることを期待したい。