歴史を動かすビジネス作法

「贅沢は敵!」質素倹約に努め、生涯をかけて財政再建に取り組んだ徳川吉宗

突如、大奥のリストラを断行!

ドラマ「暴れん坊将軍」のモデルとなったことで知られる8代将軍・徳川吉宗は、29年もの長きにわたって将軍職の座にありました。これは11代将軍・徳川家斉(いえなり)の50年に次ぐ長期政権です。この間に吉宗が取り組んだのが「享保(きょうほう)の改革」という、彼の生涯を通じた一大プロジェクトでした。

吉宗が将軍に就任した享保元年(1716年)のころ、幕府は極度の財政難に陥っていました。また先々代の家宣も在位3年で急死し、先代の家継が就任まもない8歳で世を去ったため、幕政は混乱の極み。吉宗はこれを立て直そうとしたのです。

吉宗のモットーは質素倹約。自ら1日2食・一汁三菜の粗食、着物は木綿に限定するなど、贅沢を戒めたことはよく知られています。また有名な「大奥」の改革にも着手します。大奥には正室や側室たちのほか、その世話をする女中たちを含めると3000~4000人もの女性が暮らしていました。その運営費は莫大で、財政難の大きな原因のひとつでした。

ある時、吉宗は「大奥中から25歳以下の美女を集めよ」と命令。そうして選ばれた大勢の美女たちに暇を告げて城外へ出し、実家へ帰してしまいました。一見、冷たいようですが「この者たちは美人なので、城外へ出れば良縁もあるだろう」という計らいでした。

世継ぎをもうけることも将軍の立派な仕事でしたが、そのために何十人、何百人もの女性を閉じ込めておくことは無益、と吉宗は考えたのでしょう。ともあれ、こうして大胆なリストラを断行し、コスト削減を実現したのです。

スポーツイベント「狩猟」を三十数年ぶりに復活

倹約に努める一方で、吉宗は鷹狩りや鹿狩りをはじめとした「狩猟」を何度も行いました。実は、狩猟は「生類憐れみの令」で有名な5代将軍・綱吉の時代に禁じられていたのですが、吉宗はそれを三十数年ぶりに復活させたのです。

吉宗の時代は、徳川家康が1603年に幕府を開いてから100年。人々は平和を謳歌していましたが、それは同時に怠惰や奢侈(しゃし)といった「弛(ゆる)み」を生んでいました。幕府の精鋭部隊「旗本五番方」ですら、満足に乗馬もできない者が増えてしまっていたそうです。

「御家人太平になれて 武芸を怠らむ事をなげかせ給ひ ひたすら講武の事を沙汰せられける」と幕府の記録(徳川実紀)にあるように、吉宗は「このままでは幕府はダメになる」と思ったのでしょう。自らも鍛錬を欠かさなかったのはもちろん、幕臣たちに弓・馬・剣・槍・水泳の練習を課すなど、武芸の奨励に努めます。

特に、将軍自ら行う狩猟は何千・何万人もの人員が動員される大規模なスポーツイベントであり、軍事演習でもありました。その経費も莫大でしたが、吉宗はこうしたことには費用を惜しみませんでした。結果として狩猟地には多くの休憩所が開かれるなど、地域の活性化にもつながったのです。

春の恒例行事「花見」を庶民に広める

狩猟はそれだけにとどまらず、普段は江戸城から出ない将軍にとって、外を視察するという機会も兼ねていました。その成果が「桜の名所」です。吉宗は1720年に浅草の隅田川沿いや飛鳥山に桜を植樹するよう命じました。そこに狩りで訪れて「殺風景」と思ったのかもしれませんが、一説に花見客による地域活性化を見越したともいわれます。

それまで「花見」といえば、貴族や武士たちが楽しむ行事でしたが、それ以降は庶民にも広まり、春の桜は江戸の名物となりました。浅草の長命寺(ちょうみょうじ)で「桜もち」が売り出されるなど、新たな食文化も生まれて地元の収益が増え、潤ったといいます。

吉宗が生涯をかけて取り組んだプロジェクト「享保の改革」は、幕府の財政難を好転させるなど大きな成果を上げましたが、その一方で「贅沢は敵」とばかりに奢侈を戒め、増税なども行ったため、庶民は苦労したようです。しかし、軍紀の引き締めや、花見などの新たな庶民文化を芽生えさせた点など、その功績は決して小さくなかったといえるでしょう。

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:『徳川実紀』『徳川吉宗の武芸奨励』『江戸名所花暦』ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

徳川吉宗の財政改革から学ぶビジネス作法
~目の前の利益ではなく、
中長期的な視点でものごとを考える大切さ~

幕府が財政難に陥っているときに将軍に就任した徳川吉宗。まさに当時の幕府は混乱状態でしたが、吉宗が行ったストイックな質素倹約や、数々の改革の成果によって幕府の財政はかなり持ち直したといわれています。そんな彼の改革で特徴的なのは、短期的な小手先の改革ではなく、中長期的な視点での取り組みが多いことです。例えば大奥のリストラですが、これは中長期的な視点で幕府の財政状態を捉えなければ、女性たちをコストとして判断しなかったでしょう。さらにそのリストラした女性たちも若い美女ばかり…。本来であれば彼女たちがいること=メリットと考えるでしょうが、コストカットをしたほうが幕府の安定につながると考えたその裏には、冷静な判断があったのだと思います。しかも、いくらでも行き先がある女性たちを優先的に辞めさせたということで、女性たちの気持ちも傷つかず穏便にリストラができたというのですから、その手腕には驚きです。

また三十年ぶりに復活させた「狩猟」も軍事演習を兼ねていたといわれていますが、当時幕府に危機が迫っていたというわけではありませんでした。しかし中長期的な視点で見たときに、この平和に慣れてしまった状態を「危機」だと感じたのでしょう。これらの取り組みでも感じられるように、吉宗はものごとを長いスパンで捉え「何が大事なのか?」をベースに改革の内容を考えていたように思えます。

ちなみに転職活動においても中長期的な視点を持って面接に挑むことは、とても重要なことです。面接における中長期的な視点…というとピンとこない人も多いと思いますが、具体的には「生涯における自分のキャリアビジョンを持つ」ということです。このような視点は、一定のレベルに達している管理職やエキスパートに求められる傾向があります。というのも企業はそうした人材に対して、直近の業務をこなすことよりも、企業の中長期的なビジョンに共感し、事業の課題を解決してくれることを期待しているケースのほうが多いからです。その時に企業が求めることは「今まで培ってきたスキルや経験を自社にどう活かしてくれるのか」というのはもちろんですが、それよりも「企業のビジョンを理解し共感してくれているのかどうか」という部分です。

そしてその企業のビジョンに共感できるかどうかについては、個人のビジョンが大きく関わってくるので、大前提として自身のビジョンを明確化しておく必要があるのです。もし今後、自身のキャリアビジョンを考える機会があれば、
「自分は何をやりたくて、将来どのような人間になりたいのか?」
「そのために自分がどのような意思を持って、どのように社会に貢献していきたいのか?」という中長期的な視点で考えてみてはいかがでしょうか。

三橋 祐輝

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザー

アドバイザー

2008年にパーソルキャリア株式会社に入社し約6年間、日系・外資系製造業の営業担当として採用支援に従事。現在は管理職やエキスパートとして活躍するハイクラスの製造業エンジニアを中心とした転職支援を担当。転職希望者の強みを引出し、企業の事業課題に基づいたポジションメイク提案を得意とする。

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