歴史を動かすビジネス作法

戦わずして、敵を虜にした福澤諭吉 その不思議なまでの「人間力」の高さ

ルールを簡素化し、塾の発展にいそしんだ

「慶應義塾は一日も休業した事はない。この塾のあらんかぎり大日本は世界の文明国である、世間に頓着するな」
欧米列強の脅威に、日本中が不安を覚えていた幕末、慶應義塾を立ち上げた福澤諭吉は、塾生たちをこういって励ましたそうです。1864年には35人だった塾生が、3年後には100人を軽く超えました。やがて三田に引っ越し、屋敷地の広さは30倍にもなりました。

諭吉は物事に頓着しない人でしたが、塾の運営には情熱を注ぎ、毎日建物の中を見回ったそうです。「清潔を心がけよ、金銀の貸し借りはするな、門限は21時」などの単純なルールを徹底させ、障子や行燈(あんどん)への落書きがあると自ら削り取って「貼り直せ」と命じました。

「人間が人間の仕事をして金をとるに何の不都合がある」と、日本初の授業料の制度を設け、目上の人間に対する旧習だった「水引き・熨斗(のし)袋も不要」と公言。また、「益もなき虚飾に時を費やすは、学生の本色にあらず」と、廊下や塾舎では教師に対して丁寧なお辞儀は無用とし、お互いに目礼で済ませるようにしました。今では当たり前のことですが、当時としては画期的なことだったのです。

諭吉は相当な変わり者で、アメリカ旅行中に幕府の上役と衝突したことから、帰国後に 「引っ込んで謹慎せよ」と、外出禁止令を出されたことがあります。しかし、諭吉は「かえって暇になってありがたい」と意に介さず、謹慎する間に「西洋旅案内」などの著作を完成させてしまいました。そうした、諭吉の飄々(ひょうひょう)とした性格から生じた教育姿勢が、多くの若者たちの心をとらえ、塾の発展につながったのでしょう。

2度にわたり、暗殺の危機に見舞われた諭吉

一方で、諭吉のような先駆者はしばしば反感を買うこともあります。1869年から70年にかけてのことですが、三田の福澤邸に出入りしていた増田宋太郎という22歳の若者がいました。諭吉と同郷の中津藩の元武士で、過激な攘夷(じょうい)思想の持ち主でした。その日も表向きはニコニコしながら表敬訪問しつつ、「今日こそは」と、諭吉を暗殺しようとやってきたのです。

当時、まだ明治維新まもないころ。急激な社会の洋式化、諭吉のように欧米文化を取り入れた者に反発する者が多くいた時代でした。幸いだったのは、当日は他に来客があり、諭吉はその人物と酒を飲みながら話し込み、とうとう深夜1時を過ぎてしまいました。

外で待たされていた増田は、すっかり緊張感をなくしました。殺意も失せ、その後なぜか慶應義塾に入学してしまいます。諭吉の人間性に魅了されたのでしょう。「これは私が大酒(たいしゅ)夜更(よふか)しの功名ではない、僥倖(ぎょうこう)である」と、当の本人からそのことを聞いた諭吉は後に語っています。

指一本触れずに刺客を退ける

その増田の旧友で、同い年の同郷人・朝吹英二(あさぶき えいじ)も、諭吉を憎んでいたひとりでした。朝吹は先の増田と同時期に、諭吉の身のまわりの世話をし、供として従っていましたが、次第に諭吉への反感を募らせます。

いつしか暗殺の機会をうかがうようになっていた朝吹はある晩、諭吉が大坂で緒方洪庵(おがた こうあん)の屋敷を訪問した帰り、2人きりになったので、「ひと思いにやろう」と決意。身構えたとき、急に近くにあった寄席(よせ)の太鼓の音が鳴り響き、朝吹は「気」をそがれてしまいました。

「その時もし殺していれば、私は切腹して相果てるか、召し捕られて斬罪に処せられたかでありましょう。事なきを得たのは何よりで、そのまま帰りました。先生の好運はいうまでもありませぬが、私もまた好運でした」と後に回想した朝吹。彼もまた慶應義塾に入学し、卒業後は実業家として成功、三井財閥の中心人物となりました。もちろんその後は改心し、晩年の講演で、この暗殺未遂事件のことを語ったのです。

ちょっと作り話めいた、諭吉の強運を示すエピソードですが、面白いのは増田も朝吹も暗殺失敗後に慶應義塾へ入学したことです。2人とも攘夷思想に染まった過激派でしたが、諭吉をすぐに刺さなかったのは、最初からその人間性に圧倒され、気勢をそがれてしまっていたのかもしれません。

おそらく、諭吉に反感を覚えていた人は彼らのほかにも大勢いたでしょう。しかし、彼は自慢の剣術の腕前を見せるどころか、指一本触れずに刺客を退けました。そして当の刺客たちも諭吉の人間性に惚れ込み、その教え子となってしまったのです。本当の大人物とは、諭吉のような人のことを言うのかもしれません。

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:『福澤翁自伝』『慶應義塾入社帳 第一巻』ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

不思議な運命をたどった福澤諭吉から学ぶ
~自然体でいることの魅力~

何度も暗殺寸前までいった福澤諭吉ですが、そのたびに幸運に救われ、さらには暗殺者になりうる人物とも仲良くなってしまう…という不思議な運命を持った人物でした。福澤諭吉自身は気づいていなくても、知らぬ間に周りの人を魅了してしまうような魅力を持っていたのでしょう。

転職活動の中でも自分が気づいていないうちに、面接官に自身の魅力が伝わり「合格」するケースは多数あります。例えば「面接っぽくない面接で、ほぼ雑談で終わってしまったけど合格した」「自分の経歴をそこまでアピールできなかったが、面接官との話は盛り上がって次の選考に進んだ」という話をよく聞きます。これは面接官が「今後、この人と一緒に仕事をするイメージが持てるか否か」という観点で面談を行い、合格にしたということが考えられます。もちろん大前提として、スキル・経験がある程度条件に一致しているということは必要ですが、現場の人や今後上司となる人との面接は「これから一緒に仕事をやっていけそうかどうか?」の確認の意味も込めて実施されることが多いのです。

また相手にとってもそうですが自分自身にとっても、今後10年20年働くかもしれない企業での面接なので、「実際にこの人たちと一緒に働けそうかどうか」という視点を持ちながら面接に挑むことはとても重要です。面接なので「相手に評価される場」と考えてしまいがちですが、それを意識しすぎると「自分をよく見せよう」という余計な意思が働いてしまって、普段の自分を出せなかったり、質問に答えるだけ答えて相手のことがよく分からないまま、面接が終わってしまうこともあります。

そうならないためにも、面接に挑む場合は「自分も企業を選ぶ」という視点も持ちつつ、お互いを知るために「対話」を意識してみてはいかがでしょうか。そうすることでフラットに会話をすることができ、お互いの相互理解に重点をおいた面接ができると思います。

江口 遼

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザー

アドバイザー

IT業界向けの法人営業を担当した後、IT領域専任のDODAキャリアアドバイザーとしてITエンジニアの転職をサポート。その後、新規事業開発、マーケティング企画業務を経て現在は管理職やスペシャリストなどエグゼクティブ層の転職支援を行っている。GCDFキャリアカウンセラー、国家資格キャリアコンサルタントの資格保有。

年収査定

あなたの適正年収はどれくらい?