歴史を動かすビジネス作法

質素で飾らない、偉大な科学者アインシュタイン

「私にはぜいたくです。部屋を変えてください」と求める

アインシュタインは1922年(大正11年)、日本を訪問しました。時期は11月17日から12月29日までの43日間。当時の出版社「改造社」の創業者・山本実彦が招へいに成功したのです。その時に新聞などに記録された様子から、彼の人物像を垣間見ることができます。

11月17日16時過ぎ、神戸港に到着したアインシュタインと、その妻・エルザ夫人を、山本実彦夫妻や各大学教授たちをはじめ、多くの観衆が出迎えました。日本へ向かう船上でノーベル賞受賞の知らせを受けたことも手伝い、それは大変な熱狂ぶりでした。当時のドイツ大使館は「凱旋行進のようだ」と報告しています。

アインシュタインは帰国までの43日間で、東京・仙台・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡をまわり、計8回の講演を行いました。どの会場も超満員で、入りきれないほどの人が押し寄せたとか。また講演の合間をぬって、浅草・松島・日光・広島の宮島などを観光し、古典舞踊や歌舞伎などの日本の伝統芸能も堪能したそうです。

翌日、東京の帝国ホテルに宿泊したとき、用意された部屋を見たアインシュタインは、「たいそう気に入りましたが、私にはこの部屋はぜいたく過ぎます。もっと質素な部屋と取り替えてくださいませんか」と言ったそうです。「私は礼を尽くし、あなたにできるかぎりのことをしたい」という山本の主張で、要望は叶えられなかったのですが、その言葉からもアインシュタインの質素な性格がうかがえます。

夫妻の荷物はトランクが5つだけで、洋服はどれも驚くほど質素なものばかり。朝と昼食は、ほとんどホテル内のレストランかルームサービスを利用しましたが、それも1品か2品、手軽なものだけでした。運んできた給仕に対しても、「いちいち丁寧にやさしい調子でお礼をいった」そうです。

プライベートを重視、オンとオフを使い分ける その一方で、夫妻はプライベートを重視しました。連夜、宴席への招待が多いため、ホテルへ帰るのはいつも夜10時すぎでしたが、どんなに遅いときでも入浴を欠かさなかったそうです。床に就いた後は、どんなことがあっても、誰が訪ねてきてもドアを開きませんでした。「自分が寝床に入るときは、すべてを忘れて安眠のみを心がける。他の学者は、夢のなかで方程式を考えたなどというが、自分はすべてを忘れ、ただ安らかに眠り続けるだけです」と彼は話しています。

朝は8時頃に起きたようですが、9時半ごろまでは部屋付きの給仕も入れず、ドアノブには「ノックをしてはいけない」と書いた札を下げていました。そのわずか1時間が、思想や研究にふける大切な時間だったそうです。

「私は、小泉八雲の著書によってはじめて日本を知り、その国民性にはふかく共鳴しています。私の知識を日本の人に与えるとともに、また日本からも何物かを得て帰りたいと思っています。私の学説はすべて確信の上に立っていますが、それでもどこかでさらに新しい発見があるかも知れないと思い、いまなお怠らずにそれを研究し続けています。私は日本に1ヶ月余り滞在する予定ですが、その間も研究に時間を費やしたいと思います」

と話したように、忙しい日々の間も研究を忘れない一方で、「公私のけじめ」をきっちりつけるのが、アインシュタインの姿勢だったのでしょう。日本食では天ぷら、昆布の佃煮をいたく気に入ったそうです。

ホテルのボーイに、チップ代わりの粋な贈り物

連日、汽車で各地を回り、日本各地の風景を楽しんだアインシュタインでしたが、人力車に乗ることは辞退しました。当時の日本では一般的な移動手段でしたが、それを初めて見たアインシュタインは人道的でないのでは、と解釈したようです。そこにも彼の人柄があらわれているようです。

帝国ホテルに滞在中、アインシュタインは手紙を配達しにきたベルボーイにチップを渡そうとしましたが、ちょうど手元に小銭がありませんでした。そこで、アインシュタインは「手ぶらで帰すわけにはいかない」と、部屋にあった2枚の便箋にペンを走らせました。うち1枚には「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追求よりも、多くの喜びをもたらす」。もう1枚には「意志あるところに道は開ける」と記しました。「あなたの運がよければ、このメモ書きは普通のチップよりもずっと価値が高くなるでしょう」と、それを手渡したそうです。

そのメモ書きは、なんと95年後の2017年にベルボーイの子孫宅から発見され、オークションにかけられた結果、2枚で180万ドル(約2億円)という値段で落札されました。もしかすると、天才科学者はそんな未来までも予想していたのかもしれません。

「世界各地を歴訪して、このような純真な心持のよい国民に出会ったことはない。日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく、日本家屋の構造も自然に叶い、一種独特の価値がある。この点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。福岡では畳の上に座り、味噌汁もすすってみた。私は日本国民の日本生活を、ただちに受け入れることのできた一人であることを自覚した」

日本を去るにあたってのアインシュタインの言葉です。この他にも「とにかく日本の風習の中で、保存すべきものまで破壊しようとする気風には感心しません」と述べるなど、お世辞の中にも、日本人への忠告を発していたように感じとれます。いずれにしても、彼が滞在した43日間とその足跡は、大正デモクラシーのさなかにあった日本に、さまざまな影響を及ぼしました。彼に接した人々は、講演内容以上に、その言動からも多くのことを学びとったのでしょう。

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:読売新聞、大阪朝日新聞、『関門・福岡のアインシュタイン』ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

アインシュタインの「人との接し方」から学ぶビジネス作法
~振る舞いの一つひとつが、
あなたのキャリアにもたらすもの~

アインシュタインの数々のエピソードからは、常に謙虚であり、会う人一人ひとりに対し物腰の柔らかく親切に接している様子が伺えます。そうした優しい人柄で日本などの海外にもファンがおり、多くの人から好かれた人物だったのでしょう。

アインシュタインのこうしたあり方からは、現代のビジネスマンも学べる点があります。来日して帝国ホテルに滞在した際、手紙を配達しに来たベルボーイや、ほかのホテルスタッフへの丁寧な対応から、彼がかかわる一人ひとりに対して自分ができ得る有益なこととは何かを常に考えて、日頃から実行していたことが分かります。 この「目の前の相手に自分ができることとは何かを考え、行動する」ことは、ビジネスの場においても重要なことです。職場で例えるなら、近くに困っている人がいたとき、何かできることはないか声をかけたりすることです。これは親切であるべき、という感情の話に留まらず、ビジネスマンが成功する大事な要素の一つでもあります。自分の持つノウハウを使って、周囲の困りごとに真摯に対応しようとする姿勢は、社内での評価の対象となり、やがて出世の機会にもつながります。人とのかかわりが増えるので、人脈もできます。そうしてできた人脈を経由して、思いがけずやりたかった仕事が舞い込んできたり、会社を紹介してもらえる可能性もできます。そのため、もっとおもしろい仕事や会社に出会えるようになりたい、とキャリアアップを志す人はとくに、こうしたアクションを意識的に実践してみるのはいかがでしょうか。目の前の人に対し、自分ができる限りのことをするというのは、いずれ自分にも良いことが返ってくる、重要なビジネス作法なのですね。

宮崎 真佐樹

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザー

アドバイザー

人材紹介会社にて法人営業を経験した後、キャリアアドバイザーとして求職者の転職支援をサポート。
現在は高年収層の管理部門の転職支援を担当している。
人材業界に14年の経験があり、多数の方の転職支援の実績を持つ。

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