絶大な人気を誇る戦国大名、織田信長。今回は、一般的によく知られている彼の事績だけでなく、あまり知られていない人柄や側面も合わせて紹介しながら、その年収額に迫ります。はたして、気になる数字はいくら?

1

どんなことをした人だった?
改めて経歴から…

織田信長プロフィール

履歴書

履歴書

2

優れた軍略家にして有能な政治家、
信長の功績やマネジメントスタイルは?

主な功績

  • 功績
    功績

    「楽」とは規制が緩和されて自由な状態となった意味。当時は「座」という商人たちの組合のようなものがあり、商売人の新規参入が難しい状況にありました。信長はこれを撤廃させ、一定のルールを設けたうえで自由な商売(市)を許し、そこから税収を得ました。結果、信長の領地には人が多く集まり、経済が潤い、また軍事力も発展したのです。

  • 功績
    功績

    当時、各地に設けられた関所では、その場所を支配する寺社勢力などによって通行料金が徴収されていました。信長はこれを廃止し、彼らの既得権益を取り上げるとともに、諸人に自由な通行を許しました。これで領内の物価高の高騰が抑えられ、商業の活性化などにつながったのです。

  • 功績
    功績

    信長は茶碗や茶釜、茶さじといった茶道具(茶器)を買い集め、それを領地や金銭の代わりに家臣に与え、プレミアム化しました。家臣の滝川一益は上野(群馬県)一国より、信長所用の珠光小茄子(じゅこうこなすび)を欲しがったといいます。茶の湯(茶道)を政治的に利用した一方で、同時にその価値を大きく高めた文化人でもあったのです。

  • 功績
    功績

    信長にとって最後となった正月、彼は安土城を庶民たちに一般公開しました。無料ではなく、しっかり見物料1人100文(約1万円弱)を、自ら門の脇に立って受け取ったそうです。前年には京都で大規模な馬揃え(軍事パレード)も。当時最新鋭の技術と軍備で多くの人々を驚かせた信長。かなりのプロデュース能力があったことがうかがえます。

織田信長のマネジメントスタイル

「何ごとも、まずは実践!
厳しさと寛容さを併せもった合理主義者」

ここぞの場面で陣頭指揮!

桶狭間の戦い、稲生(いのう)の戦いなど、当時の大名としては珍しく、信長は戦場の最前線に出て武器を振るう機会が多くありました。京都に城を築く際は、自ら工事現場で指揮。大事な場面では、必ず自ら陣頭に立って部下を鼓舞したのです。

家柄より実力を重視!

身分にこだわらず、庶民とも頻繁に顔を合わせたという信長。合戦での手柄はもちろん、自身の主催による相撲大会を開催し、その中から優秀な成績を収めた者たちを召し抱え、住む家まで与えました。一方で長年仕えた家臣を「働きが悪い」として解雇したことも!

何度もチャンスを与える!

苛烈で冷酷なイメージを持たれがちですが、命令違反をした羽柴秀吉や、2度も裏切った松永久秀を許すなど、かなり寛容で人を信じる男でした。新しい料理人の作った献立が口に合わず叱り飛ばすも、もう一度機会を与え、次に出た料理は気に入って褒めたということもありました。

新兵器・鉄砲をためらいなく採用!

当時の鉄砲(火縄銃)は非常に高価な割に命中精度が低く、多くの大名家では主力兵器として運用されるに至っていませんでした。信長は「長篠の戦い」以降、他家に先がけ、火縄銃を大量導入し、有効に活用して勝利を得ていきます。この流れは秀吉・家康の時代へと受け継がれました。

3

織田信長の気になる年収は…

年収

年収

年収

父から家督を継いだ時は、まだ尾張一国にも満たない20万石程度の領地しか持っていなかった織田信長。
それから30年のうちに日本随一の大名に成長。
その最盛期だった49歳の時の総石高は近畿地方を中心とした
直轄領・家臣たちに分け与えた領土を合わせて計700万石にも及んだといいます。
そこから総収入(税収)から家臣の給料や経費などを引けば、
信長の手元に入ったであろう純利益は総石高の10分の1ほど。よって約700億円と推測できます。
(貿易などの現金収入を合わせればもっと多かった可能性も・・・)

※1石(こく)=大人1人が1年間に食べるであろう米の生産高。
ここでは1石を現代の金額に換算して約10万円と計算(相場は諸説あります)。

年収

年収

「役員四季報2017年度版」による配当収入を含む役員報酬ランキングにおいて
日本で1位の孫正義氏(ソフトバンク社長)は約96億円です。
天下統一目前まで迫った戦国大名ともなると、やはりスケールが違いますね!

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:太田牛一『信長公記』、Luís Fróis『日本史』ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

織田信長のマネジメントスキルは
現代でも重宝されるものだった

まず何より織田信長が優れているのは、この規模感でのマネジメントを行いつつ、現場に出て陣頭指揮をとっていたところです。これは現代の仕事の中で考えても、難易度が高いことです。信長は桶狭間の戦いで3000人の兵を率いて陣頭指揮をとってましたが、通常はその規模のマネジメントとなると、メンバー管理だけで手いっぱいになってしまいます。そして現場業務を離れることで現場感を失ってしまうマネジメント層が多い中、現場の最前線で指揮をとれていた信長は、マネジメント目線も持ちつつ、決して現場目線も忘れない優秀な人物だったと思います。また、自分が現場に行ける体制を整えるために、優秀な部下を多く起用していたのではないでしょうか。

また、戦以外にもさまざまな功績を残してきた信長は、物事を俯瞰して考える「システム思考」ができる人間だったと見受けられます。楽市楽座や関所の廃止を行うことで経済が潤い、最終的には信長の領地に多くの人と金が集まり、軍事力も上がりました。一見、「軍事力が上がること」と「楽市楽座」「関所の廃止」は関係無さそうですが、信長は人の流れや金の流れを対局的にして見ることができていたからこそ、この功績を残すことが出来たのではないでしょうか。

そんな信長ですが、現代で言えば、例えば成熟期を迎え成長が鈍化してしまった大手企業などで、第2次創業期を支える「イノベーション型人材」として、活躍ができる人物だと思います。このような企業に必要なのは、今までの日本的マネジメントの在り方を抜本的に変えることができる、新しい考えをもった人材です。戦国時代の当時、家柄・出身地に関係なく優秀な人材を登用してきた信長の考え方やスタイルは革新的でした。そんな信長であれば、年功序列・学歴重視で成長してきた体質の企業に、テコ入れ役として入ることで本当に優秀な人材が確保&活躍できる仕組みを導入できると思います。

また、何より主戦場である「現場」を大事にしてきた信長だからこそ、本質的な改革を実現することができるのではないでしょうか。信長のようにどのような規模の組織になっても、本質を捉えメンバーの目線を忘れないマネジメントができる人材は、どこへ行っても活躍できると思います。

河崎 達哉

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザーマネジャー

アドバイザー

2008年パーソルキャリアに入社。DODAキャリアアドバイザーとして約7年間、IT領域専任として約1500人の転職活動を支援。GCDFキャリアカウンセラー資格保有。現在は管理職やスペシャリストなどエグゼクティブ層の転職支援を行うチームのマネジャーを担当。

年収査定

あなたの適正年収はどれくらい?