Vol.1
2018.3.16 FRI

デジタルテクノロジーが変える「競争の原理」

人工知能(AI)、ビッグデータ、クラウド──。バズワードといわれたコンセプトがいま、ビジネスに浸透し始めている。例えば自動車メーカーはセンサー経由で集めたビッグデータをクラウド上で分析し、渋滞や事故を予測し始めている。一方、病院には患者を問診するAIが入り込む。デジタルテクノロジーが新しい価値をもたらす現代、競争の原理が根本から変わろうとしている。

文・冨田秀継
写真・淺田創、湯浅亨

「競争の原理」が変わりつつある──。多くのビジネスパーソンは、この言葉に頷いてくれるだろう。実際、「競争の原理」が変わっていく様子を目の当たりにすることも増えてきた。従来の常識では考えられなかった提携・競合関係が生まれることさえある。この後で紹介するダイムラーとBMWのカーシェアのトピックがそれだ。

デジタルテクノロジーを牽引役として新ビジネスを切り開こうとする動き、デジタルテクノロジーを活用してこれまでのルールを変え、新しい領域を追い求めようとする動きも多い。

また、デジタルテクノロジーの活用を極度に進めた結果、様々なセグメントで一強多弱ともいえる状況が生まれ、ある分野ではベンダーとユーザーの間柄だが、別の分野では激しい競合関係にあるというケースも増加した。以下では、世界のビジネスの動向を「競争の原理」をテーマに紐解いてみよう。

自動車メーカーが世界最大のカーシェア事業者に

2018年初頭、「競争の原理」が変わりつつあることを示す象徴的な出来事があった。

1月23日にカーシェアサービス大手の2社、car2goとDriveNowが合併統合で交渉の最終局面にあることが明らかになった。car2goの親会社は、メルセデス・ベンツ擁する自動車メーカーのダイムラー。DriveNowはBMWが親会社だ。

アウディ、BMW、メルセデス・ベンツは、ドイツのラグジュアリーな自動車ブランドとして「ジャーマン3」と称される。そのうちの2社がカーシェア事業を手掛けていることを、知らなかった人も多いのではないだろうか。

日本では様々なカーシェアサービスに108万5922人が登録している(2017年3月時点、交通エコロジー・モビリティ財団調査)。他方、car2goは単体で2017年6月に250万会員、2018年2月には300万会員を達成した。「ダイムラーは世界有数の自動車メーカーであり、かつ、世界最大のカーシェア事業者」ということになる。なお、DriveNowの会員数は2017年10月に100万ユーザーを突破している。

ダイムラーとBMWは世界中で新車販売台数を競い合ってきた。ところが、カーシェアではその2社が手を組もうとしている。従来の自動車業界のゲームの外で、別なルールで戦おうとしているわけだ。

「クルマづくり」から「交通の課題解決」へ

car2goとDriveNowは今後、カーシェアサービスに加えてライドシェア(相乗り)や、デジタル・パーキング・サービス(下掲の動画のようなスマートな駐車サービス)などにも進出していこうとしている。

単なる「クルマの時間貸し」を越え、デジタルテクノロジーをフル活用して都市の渋滞や駐車などの課題を解決しようとしている。いわば「モビリティの総合サービス事業」に進出していると考えられる。

もちろん、この分野には先行企業がいる。米国発でグローバル展開を進めるUber Technologies、そして巨大市場・中国を牛耳るDidi Chuxing(滴滴出行)だ。UberもDidiも、より効率的にタクシーを配車するために、そして無人タクシーの実現のために、ビッグデータとディープラーニングを活用している。両社はクルマやユーザーから得たデータを取得・解析して、都市の交通の課題を解決しようとしている。

つまり、ダイムラーとBMWはビジネスとテクノロジーの両面で、この領域に本格進出を果たそうとしているのだ。

「追う者」が「追われる者」に

「競争の原理」が変わったエピソードをもう一つ紹介したい。Netflixのケースだ。

NetflixがオンラインDVDレンタルサービスを始めたのは1998年のこと。国土の広いアメリカでは、都市部に住んでいなければクルマに乗ってDVDを借りに行かなければならなかったが、Netflixはインターネットというデジタルテクノロジーでこの課題を解決し、オンラインでレンタルを申し込めば自宅にDVDを郵送するというサービスを始めた。1999年には月額15ドルで本数無制限、延滞料金と送料などが無料になる定額制サービスを始めて、消費者から絶大な支持を集めている。

レンタルチェーンの代表的な企業Blockbusterでは収益の20%を延滞料金から得ており、同社にとって延滞料は、いわばドル箱の事業だった。しかしユーザーにとっては、鑑賞して半ば興味を失った作品を返却するために、クルマに乗って店舗を訪れて……というのは大きなストレスになる。その心理的な障壁をテクノロジーで取り去ったのがNetflixである。

2005年12月には破壊者Netflixが、破壊される側に回ろうとしていた。YouTubeの登場である。高速な通信回線と大容量かつ大量のデータを柔軟に扱うテクノロジーを持つYouTubeは、「DVDが自宅に届くまでの時間」をほぼゼロにした。かつて消費者がわざわざレンタルショップまで取りに行ったDVDは、消費者の自宅に郵送で届けられるようになり、そしてついにDVDなしで動画コンテンツを楽しめるようになった──例えそれが違法に配信されている映画であっても、消費者はこぞってそれを求めた。

その後のNetflixの躍進については、多くの読者が知っていることだろう。2007年にはNetflixもオンライン・ストリーミング・サービスを開始し、最初の数年は経営方針が迷走したこともあり根付かなかったが、2010年代に入って飛躍を遂げ、いまやオリジナルのドラマ作品を数億ドルかけて製作するようになった。現在はグローバル展開を加速させており、ローカルのコンテンツ製作までも手掛けるようになっている。

デジタルテクノロジーが破壊的企業を後押し

創業当初のNetflixは、普通の映画ファンではなく、新作に興味を示さないような映画オタクに自社のサービスをアピールしたという。これ(このアプローチ)こそがディスラプション(破壊)だ、と書いたのは、『イノベーションのジレンマ』(原書は97年発表)で有名なクレイトン・クリステンセンである。既存の常識や業界を破壊する企業は、先行する大企業が見落としている層(映画オタク)から事業を始めていることが多いからだ。

映画オタクのニーズを満たし、あらゆる層にサービスを訴求する拡大期に入るころ、Netflixは先行する大企業Blockbusterよりもたくさんの作品を揃え、より低価格で、より簡単に視聴できる環境を整えていた。これと同じことをNetflixに仕掛けたのが、YouTubeだったのだ。

20年以上の時を経て、Netflixは動画配信事業者だけでなく、映画製作会社とも競合するようになっている。Amazon.comとはより複雑な関係で、NetflixはAmazon Prime Videoと競合しているが、他方でAmazon Web Servicesのビッグユーザーでもある。

「競争を成り立たせるルール=原理」が変わりつつあることがよくわかるだろう。ただ「競争の原理」を変える牽引役は変わっていない。デジタルテクノロジーである。

AIがコモディティ化、「ビッグデータを持っている」は強みではなくなる

従来のテクノロジーよりも、素早く、安価で、柔軟なデジタルテクノロジーが、今後も様々な価値を私たちにもたらすのは間違いない。では、移り変わりの激しいそのデジタルテクノロジーの最前線では何が起こっているのだろうか?「DIGITALIST」はその答えを求め、楽天 執行役員で楽天技術研究所 代表の森正弥氏をインタビューした。森氏は、ビッグデータは簡単に作れるようになり、ディープラーニング技術はコモディティ化し始めている、とする。

楽天 執行役員で楽天技術研究所 代表の森正弥氏(撮影:淺田創)

「楽天技術研究所では、ディープラーニングを中心とする技術群がすべてのシステムを塗り替えてしまうだろう、という大きな問題意識をもっています」

こう語り始めた森氏は、楽天の技術研究部門のトップだ。同社はECから銀行・証券まで、フットボールクラブからポイントサービスまで、広範な事業を展開しているが、それらすべての事業で膨大なデータを貯めている。「そのビッグデータが楽天の競争力の源泉なのですね」と森氏に聞くと、意外な答えが返ってきた。

「いまデータ分野でまったく新しいトレンドが生み出されています。『GAN』(Generative Adversarial Network:敵対的生成ネットワーク)がそれで、ディープラーニングで利用できるアルゴリズムです。GANは画像を中心に活用されていて、例えば手書きの文字を学習させたい場合、何百枚も手書き文字を集めるのは難しいですよね。それがGANを使えば、少ないサンプルからデータをどんどん増やしていけるのです」

「わかりやすい例として顔認識があります。従来は正面から撮った1枚の写真だけでは顔を認識させられないので、右向き、左向きなどと何枚も写真を撮っていました。でも、いまは1枚でいいんです。少ないデータでも、GANがどんどんデータを増やして勝手に学習するのですから。音声も同様で、以前は『認証用の基礎データを取りますから、まずは40秒しゃべってください』などと言われたものです。それがいまは、たった一言しゃべるだけでOK。あとはGANがデータを増やしてくれます」

“常識を覆す力”こそが変革をドライブする

“ビッグデータを持っていることが強みではなくなる時代”が到来しようとしている。一方で、「ディープラーニングに関する技術はコモディティ化し、誰でも使えるようになってきています」と森氏は言う。

イノベーションの源泉は、“ビッグデータとAIの先”に場所を移し始めた。では、次はどこからイノベーションが生まれるのだろうか。森氏がイノベーションの源泉として期待するのは、スタートアップ企業である。特定のデジタルテクノロジーの活用ではなく、既存の制度・業界の常識やルールを変えるような存在こそが「破壊的イノベーション」を生み出すという考え方だ。

「2006年頃はWeb 2.0が流行していたこともあり、“Webエンジニアがイノベーションを起こす”と考えられた時代でした。それが“データでイノベーションを起こす”へとシフトし、次に“AIがイノベーションを起こす”と考えられてきました。そのAI関連の技術がコモディティ化したいま、国による規制や業界の常識を覆すことによってイノベーションを起こす存在に注目したいと考えています。つまり、スタートアップによってイノベーションが生み出されるという時代に切り替わったな、と感じるんです」

この話を受け、「DIGITALIST」が次に取材に向かったのがヘルスケア・テックのスタートアップ、NAMだ。医療×AIでヘルスケア業界をアップデートしようとしているNAMの中野哲平氏は、常識を覆そうとするイノベーターとして代表的な存在だろう。

AIで医療に革新を起こす

25歳という若さでNAMを率いる中野氏には、慶應義塾大学の医学部を卒業した“医療の専門家”という顔と、機械学習の国際会議「NIPS」内で開かれたワークショップでの受賞歴を持つ“AIの専門家”という2つの顔がある。

そんな彼が代表取締役を務めているのだから、NAMが「医療×AI」でヘルスケア業界に革新を起こそうとしているのも頷ける話だ。

NAM代表取締役の中野哲平氏(撮影:湯浅亨)

「医療はサービス業です。それなのに、自分のサービスを受けた患者がその後どうなったのかがわかりにくいという問題があります」と中野氏。診断を受けた患者は、薬を飲んで症状が緩和されたとしても医師に報告することがなく、良くならなければ別の病院に行ってしまうからだ。

「週刊誌では頻繁に“名医特集”を掲載しますが、その根拠の多くは手術件数で、医療の“クオリティ”の評価はできていないのが現状です。そこを可視化できれば、医療がより良くなると思いませんか?」

これを受けて、NAMは1月にチャットボット型問診AI「ドクターQ」をリリースした。体調の悪い人がLINEでドクターQに話しかけると、急いで病院に行く必要があるのかどうか、様子を見たらいいのかを判断してくれるサービスだ。医師は患者の経過をドクターQを通じて把握することができる。今後、ユーザーを医療機関に紹介するサービスも開始する予定だ。

加えて、NAMは中国向けのドクターQも開発している。中国の富裕層は健康意識が極めて高く、最先端の治療・診断を受けるためだけに日本を訪れる人も多い。そうした富裕層を取り込むべく、旅行社や中国語で対応できる病院などとの提携も強化しているという。

LINEで健康について相談できる「ドクターQ」(撮影:湯浅亨)

NAMは今後、ドクターQを足がかりにして、機械学習を利用した疾患予測モデル「NAMインスペクション」、AIが健康食品を提案する「NAMヘルス」、深層学習とブロックチェーン技術を活用した次世代カルテシステムを順次リリースしていく予定だ。

こうした野心的な取り組みのためには、莫大な資金が必要になる。そこで中野氏が採用した資金調達の手法が「ICO」(Initial Coin Offering:暗号通貨の発行による資金調達)だった。

目標調達額は100億円。スタートアップが集めるには、途方もない額である。

取材時は、ICOが始まって3週間が経過したところだった。中野氏に「資金調達の進捗は?」と聞くと、「最初の2週間で20億円が集まりました」という答えが返ってきた。

2週間で20億円の資金調達──。スタートアップの資金調達の潮目が変わってきたと感じるには十分な額だ。

2018年5月に創刊予定のWebマガジン『DIGITALIST』では、本稿に登場した森正弥氏(楽天 執行役員、楽天技術研究所 代表)と、中野哲平氏(NAM 代表取締役)のインタビュー完全版を掲載します。また、本ティザーサイトではVol. 2として「働き方の未来」と題した未来のビジネススタイルをテーマとする記事を、Vol. 3では「ライフスタイル1978〜2048」と題して私たちの未来の生活を伝える記事を掲載します。『DIGITALIST』創刊のお知らせなどを受け取りたい方は、下部より「事前メンバーシップ」にご登録ください。

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