APUを選んだ娘

感受性が人一倍強く、ほかの子と少し違う視点を持っていたため、小・中・高と苦しむ時期が続いた。その状況を変えるため、高校時代に1年間オーストラリアに留学。これをきっかけに国際関係を学びたいと考え、別府の山の上に「小さな世界」を実現しているAPUへの入学を決めた。学部卒業予定者で、意欲的な進路の目標を掲げ、アジア太平洋地域で大きな貢献を果たそうとしている学生を励ますために与えられる安藤百福名誉博士栄誉賞を受賞。国際機関で働く夢を実現するため、4月からは、博士号取得を前提に5年間学ぶことを要求される、京都大学の大学院に進学する。

APUに送り出した両親

名古屋市内、熱田神宮にほど近い場所にある、1678年創立の浄土宗西山禅林寺派の寺院を守る。地域住民のために様々なイベントや教室を定期的に開催しているほか、問題を抱える児童・生徒の心を癒やす活動や、外国人留学生の世話を積極的に行ってきた。小・中・高と日本の学校の「普通の子」の枠内に収まらず苦しんでいた娘の姿を見てきた両親は、一人ひとりの個性をのびのびと発揮できるAPUの環境が、娘の本来持っていた力を「熟成」させてくれたと、心から感謝している。

APUはあなどれない大学だということに気づきました

娘/渡辺彩加:高校の時に1年間オーストラリアに留学しました。私が留学したのは、2010年。ちょうど国際司法裁判所で捕鯨裁判が行われている時期でした。そのため日本人だというだけでひどい態度をとってくる人がいました。それをきっかけに国際関係に興味を持つようになります。受験の時期を迎えて国際関係を学べる大学を調べていた時に、教室にあったパンフレットで偶然APUのことを知り、受験しました。

入学してみると文化の違う学生たちの間の喧嘩が意外と多い、という印象を受けました。APUの特徴である「多文化」を理解する過程での喧嘩です。同年代なので、どうしても意見がぶつかり合って喧嘩になりますよね。

同じゼミの中でもみんな国籍も異なり、信じている宗教もキリスト教だったりイスラム教だったり、それぞれ別々なので、ディスカッションする時に発想の仕方が全然違います。それがすごく面白い。

授業以外にもいろいろな場所でディスカッションをすることが普通でした。同じゼミの友人と人生についてのディスカッションをしたことがありました。私は仏教徒なので、どう死ぬかということから逆算して、どう生きるかを考えます。でも、キリスト教徒の学生は今をどう生きるか、その果てにどう死ぬか、と考えていて、出発点が違います。個人の個性もあるかと思いますが、宗教観がとても強く影響しているのに興味を持ちました。

ゼミでは歓迎会などを行う時にも、ディスカッションが常にメインです。ムスリムの学生がゼミ生にいるため、居酒屋ではゼミ会を開催しません。アルコール抜きでもとても盛り上がります。例えば「沖縄の米軍基地についてどう思う?」というようなテーマでも、他の国から来ている学生も多いし、みんな考え方が違うので刺激的です。もちろん授業で学んだことも多いのですが、そういう友人たちとのディスカッションの中で改めて学んだり、気づいたりすることがとても多かったですね。

母/渡辺由美:APUのことは、娘が学校推薦のプリントをもらってくるまで知りませんでした。

父/渡辺観永:ただ、本人は日本国内にいながら英語で授業を受けられる学校に行きたいという希望がありましたので、驚きませんでした。インターネットでAPUのことを調べたら天空祭(学園祭)の直前でした。見に行きたいと言ったので中部国際空港から一人で見学に行かせました。その時に「模擬国連」というサークルから勧誘を受けて、先輩方から学生寮APハウスも含めていろいろと学内を案内していただいて、入学したいと。おかげさまで合格通知をいただいたものの、入学前にこなさなければならない課題がいっぱい届いてびっくりしました。

入学前に英語のクラス分けの試験があるというので、合格が決まってから英語を勉強しはじめました。そのおかげで、良い成績を取れたと娘は言っていたのですが、上には上がいらっしゃって(笑)。

推薦入試等で早い時期にAPUへの入学が決まった高校生のみが応募できるプログラムがありました。娘は高校在学中に海外の大学とAPUの2つの学位が取れるダブルディグリーも希望して、大阪まで試験を受けに行きました。残念ながらダブルディグリープログラムには参加することができなかったのですが、その時に受験している高校生たちのレベルも意識もすごく高かったです。恥ずかしながら、その時に初めてAPUはあなどれない大学だということに気づいたのです。

それから、APUがある別府の町もすばらしい、と感じました。私は娘の下宿が決まって引越しの時に初めてキャンパスと別府に行ったのですが、そこで通りかかった小学生たちがきちんと挨拶してくれたのです。知らない人に対して地元の小学生が「こんにちは」と次々に挨拶して、きちんと頭を下げて通り過ぎていく町でこれから4年間過ごせる。こういう密な人間関係が残っている環境の中で学生生活を過ごせることは、娘にとってとても望ましいと思いました。

私たちは子供が興味を持った時がチャンスだ、とどんどん注ぎ込むような教育をしていたのですが、印象に残っていることのひとつが、娘が小学校3年生の時に地雷の勉強を一緒にしたことです。夏休みの読書感想文を書くために本を探している時に、題材として『サニーのおねがい 地雷ではなく花をください』という本に出会いました。可愛い絵が悲しい現実を描いていました。

地雷について知りたいと言い出して、じゃあ自衛隊で教えてもらおうということになりました。知り合いのつてを頼って家族で名古屋の陸上自衛隊守山駐屯地に行きました。自衛隊の人も最初は小学3年生の、しかも女の子が地雷について興味を持ったことに驚かれたのですが、「自衛隊は地雷を持っていません。でも見本はあります」と言って、懇切丁寧に教えてくださいました。

夏休みが明けて学校に行ったら、地雷のことを調べてきた子供なんて他にいません。ちょっと視点が変わっていました(笑)。それに加えて、娘が小学校4年生の頃に4歳下の息子が大病を患って入院して、妻もずっと病院に付きっきりになりました。その時に絵日記を書く宿題があったのですが、考えすぎて書けなくなってしまったのです。とても感情移入しやすい子供だったので、弟が集中治療室に入ったりしているのを見ていてとても辛かったのでしょうね。ですから親としてはこういうデリケートな部分をどういう方向に導いてあげれば良いか悩んでいました。

中学生になって変わるかなと思っていたのですが、また別の出来事があってとても辛い状況になりました。そんな時に、娘に留学してみないかと誘ってくださったロータリークラブの方がいらっしゃいました。以前からロータリー以外にもいろいろな団体の留学生をホストファミリーとして受け入れていて、気が付いたらいろいろな国の子と一緒にテーブルを囲んでいるという環境でしたが、受け入れるのと行くのはやはり違います。家族ぐるみでつきあっていたオーストラリア人家族がいて親しみがあったのと、受け入れた留学生の中にオーストラリアから来た素敵なお嬢さんがいて、あの子のところだったら行ってみたいと娘が言ったので、留学することを家族で決めました。流れを変えたいと思いまして。

京大大学院に進学することになったのは
APUに娘を育てていただいた結果です

娘/渡辺彩加:APUは例えばそれぞれの国の文化を紹介するイベント「○○ウィーク」を立ち上げたいと思えば、申請書を提出し、許可されれば、大学が全面的にバックアップしてくれます。誰かが発案したことに対してポジティブに反応し、連携していくことがとても上手いです。新しいアイデアを否定しないで、どんどんやっていこうという雰囲気があって、それにスチューデント・オフィス(学生課)も先生も協力してくださいます。

私が平成28年に熊本地震の支援プロジェクトを立ち上げた時も、「前例がない」と最初は言われたのですが全面的にバックアップしていただきました。

熊本地震の時は大変でした。私も小学校の体育館に避難したのですが、国際学生が不安がっていて。その後少し落ち着いてきた頃にスチューデント・オフィス(学生課)の職員さんとかボランティア系サークルの学生が熊本に行って、瓦礫の撤去などのお手伝いをしていました。ただ、私が入っている別府北ローターアクトクラブという団体では、2次災害の危険があるので現地には行かない方が良いという判断をしました。

でも、何かしたい。だったら逆転の発想で、熊本の子供たちを別府に招待しようという企画を立ち上げました。「一瞬でも震災のことを忘れてもらって笑顔になる」というテーマを掲げ、熊本県西原村の仮設住宅に住む小学生を天空祭に呼んで1泊2日のキャンプを行うイベントを実施しました。国際学生も50人を超える人たちが協力したいと手を挙げてくれました。天空祭の実行委員会の学生メンバーも協力してくれて、天空祭のパンフレットの1ページ目に「西原村の小学生のみんな、ようこそ!」というメッセージを載せてくれました。

当日出店していた他の学生たちも事前に何も知らされていなかったのですが、ものすごく子供たちに親切にしてくれて、プロジェクトは順調に進んでいきました。しかし、はっとさせられたことがあります。眠るときにパジャマではなく、服を着たまま、バッグを持っている子たちがいました。靴も履いて、リュックサックを背負ったまま寝るのです。いつでも避難できるようにという、何か心の傷のようなものが垣間見えて、こういうことが被災なのだと実感しました。

このプロジェクトの準備段階で資金集めに苦労しました。国際学生と、募金活動をJR大分駅と別府駅で行いました。それとは別に高校時代に所属していた社会奉仕団体名古屋インターアクトクラブの後輩たちも賛同して名古屋で募金活動をしてくれました。多くの方が趣旨に賛同して寄付をしてくださいました。その中で忘れられないのは、末期がんの女性の方が「このお金を子供たちのためにどうか使ってほしい」と寄付してくださったことです。彼女はプロジェクト実施の前に亡くなられましたが、こういうお金もいただいての、1泊2日のキャンプ。西原村の子供たちに大きな笑顔を贈ることができたのではないかと思っています。

「熊本こども心のケアキャンプ」での様子。

「熊本こども心のケアキャンプ」での様子。

父/渡辺観永:娘がオーストラリアに留学中に東日本大震災が発生し、情報が途絶した中で、もともと暖かく接していただいていたホストファミリーはもとより、それまで日本人ということで距離を置いていた地元の高校生たちも接し方が変わって、その時にみんなの本当の気持ちが見えたようです。向こうの高校生たちがアイデアを出して日本へ送るための募金活動をしたいと娘に提案してきた中で自分がそこで泣き崩れて立ち止まっていても何も始まらない、ということを実感したそうです。それができたのは、オーストラリアの皆さんのおかげです。民族も宗教も考え方も違う。でも、何もかも違うから見えてくる共通したもの。それを彼女自身が知ることができたのだと思います。

日本に帰国してからは、もう一度高校1年生からやり直しをすることになりました。外国での1年の経験、そして学年がずれることから、どうしても他の生徒と考え方がずれてしまう。そこでまた娘は苦しむわけですが、その時に助けてくれたのはインターアクトクラブです。そこが娘にいろいろなチャンスを与えてくれて、また違う角度の世界が見えてきたのです。

その中に東日本大震災で自主避難している家庭の子供たちを、三重県の志摩スペイン村に連れていく活動があって、どうやってその費用を捻出するのかとか、自分の時間をどう削ってその活動に充てるかとか、家族の中でもずっと話し合いをしました。そして、その課題を超えつつ「いろいろな人と繋がるチャンスを得るべきだ」ということが娘の高校時代の一番大事なキーワードになりました。

だから、高校時代、本人は学業に邁進していたという印象はありません。でもAPUに入学させていただいて、結果的には安藤百福名誉博士栄誉賞をいただき、この3月の卒業式で挨拶する機会を与えていただき、京都大学の大学院に進学する道のりになった。それはやはり、APUに娘を育てていただいたというか、熟成していただいた結果だと思うのです。

母/渡辺由美:娘の場合は、普通に地元の大学とかに行っても居心地が悪いだろうなという思いがありました。ですから、名古屋の外に出なさい、ということはいつも言っていました。そういう意味もあって、APUに行ってよかったと思います。でも、英語の成績によって留学できる国が違ったり、結構厳しいところも少なくありません。それをひしひしと感じながら、自分がどこに向かって何を努力するのかということを、自分で考えてやって行かなければならない。だから鍛えられるのでしょうね。

安藤百福名誉博士栄誉賞の最終選考プレゼン。

安藤百福名誉博士栄誉賞の最終選考プレゼン。

日本が生き残っていくためには
APUで培えるようなタフネスさが必要です

娘/渡辺彩加:APUを卒業した後は、4月から京都大学の大学院に進学します。総合生存学館という5年一貫制の博士課程です。そこで紛争予防について研究する予定です。私は「人が笑顔で生涯を全うできる社会」を作りたいです。全ての人が笑顔で生涯を全うできるかというと、難しいですよね。戦争やテロで死んでしまうことのない世界、人生を終える時に自分の人生に納得して笑顔で死んでいけるような世界を作りたくて、紛争予防をテーマにしました。

総合生存学館というところは5年で博士号を取る前提ですが、4年目には国際機関にインターンシップに行けるという特殊な大学院です。大学院から推薦をいただいてインターンを経験して、それをステップに将来は国際機関に勤めたいと考えています。

APUに入学できて、いろいろな経験ができたことが、今に繋がっていると思います。以前から紛争とか国際関係に興味はありましたが、APUは本当に「小さな世界」、つまりキャンパスの中で世界のいろいろなことを体験できます。自分の隣にいる子の親族が日本では考えられないような、理不尽な理由で亡くなったりします。日本の環境ではとても遠い世界で起こっているようなことが、ここではとても身近なのです。

ですから、国際関係を勉強したいと言って海外の大学に進学する人たちもきっとたくさんいらっしゃると思うのですが、私はAPUをお勧めします。というのも、学校生活の中で会うことのできる人たちの国籍とか、文化とかの幅は恐らくAPUの方が圧倒的に多いからです。好奇心が旺盛で世界に興味があるのであれば、ぜひこの「小さな世界」に飛び込んでほしいと思います。

ただ、挑戦するのは自分次第です。この大学では自由だからこそ、何を勉強したいとか、どんな活動をしたいとかいうことは、自分で考えて自分で決めなくてはなりません。

父/渡辺観永:先ほどの繰り返しになりますが、うちの娘は学業的にそれほど素晴らしい成績をとっていたわけではありません。高校の成績は平均的です。でも、こういうことをやりたいという思いだけはありました。本人がその思いを叶えたいということでAPUを選択したのですが、その選択は、結論から言えば非常に面白かったと思います。

母/渡辺由美:国際系の大学ということであれば、ほかにも選択肢はありますが、そこで見える世界と経験できることが、APUとは違いすぎると思います。

父/渡辺観永:違いすぎますね。それと、在学生が日本人も含めてあまりにも多様で、これが面白い。昨年夏に娘の模擬国連の友人がここで手伝いをしてくれたのですが、その学生は台湾に1年留学して、その後に厦門(アモイ)に留学しているのですよ。話をしていて、とても面白い。ユニークです。でも、本人がそういう道のりを経て得た自分の価値というものに、まだ気づいていないところも面白い。そういう学生がAPUには他にもいっぱいゴロゴロしているのです。

今はグローバルユニバーシティーという言葉だけが一人歩きしていると思うのです。そのグローバルというのが、互いの価値観を認め合うために、単に許容し合うのではなくて、お互いに針を刺さないギリギリまで近くによりそうことで、それを日々実感しながら学べる場所がAPUだと思います。

母/渡辺由美:日本人同士でも意見がぶつかって、喧嘩して、嫌になって、離れてしまうこともありますよね。そうならないようにさらにどうすれば良いか、ということを毎日考えられる環境はすごいと思います。私と違うからおかしい、ということはAPUではないのですね。

父/渡辺観永:そこが今の日本が抱えている問題のひとつだと思います。私は正しい、あなたは間違っている、という幅がすごく狭い。ダイバーシティーという言葉が誤って使われているような気がします。私を認めて、だけなのです。でも、私を認めて、だけではいけない。あなたはそうなのですね、でも私はこうなんですよ、だったらどうしましょうか。それを実地で考える場所がAPUの生活だと思います。嫌なことでも逃げない、そしてその妥協点を探し続ける、こういう態度を身に付けることがこれから必要だと思います。

娘の問題解決能力はどちらかというと低い方だったと思います。だけど何か問題に直面した時にちゃんと方向性を示して動かしていけるような環境を、APUと別府の町と人が与えてくださったと思います。

言いたいのは、学業が不振だと悩んでいる子、そしてそういうお子さんを持って悩んでいらっしゃる親御さんこそ、APUへの進学を一度考えてほしいということです。学業不振の理由が、本当に勉強ができないせいなのかということを考えてほしい。うちの寺に遊びにきている子供たちの中にも、出席日数が足りないとか、授業中ぼやっと他のことを考えているとか、イジメられて学校に行けない、そういう子がいます。でも、じっくり話をしてみると、すごく頭が切れる。ユニークな視点を持っています。

これから世界がどういう方向に動いていくのか、先行きが不透明な時代になっています。その中で日本が日本として生き残っていくためには、やっぱりAPUで培えるようなタフネスさが必要です。この大学をみていると、グローバルとか、インターナショナルとか、ダイバーシティーとか、そんなことはもう当たり前で、今更何を言っているの、もう古いよという感じを受けるのです。それよりも、どうしたいのか腹を割って話しましょうと、にっこり笑って相手を抱きしめられるような、たくましい若者がもっとたくさん育ってほしいですね。

CONTENTS

株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。

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株式会社コンシリウム 代表取締役。東京藝術大学美術学部大学院修了 西洋美術史専攻。日経アート編集長、日経デザイン編集長などを歴任。