“ミライ”への階段

ミライの健康社会が“医療難民”を打開、
デジタル技術で病院機能が社会に拡散(1)

2016.06.27

元田 光一=テクニカルライター

病院に行きたくても忙しくて行っていられない。定常的なチェックや投薬が必要だが、病院までが遠く、通いきれない。こうした“医療難民”を救う、健康社会が現実味を帯びてきている。後押し要因はセンシング技術、センサーを微細加工する材料技術とエレクトロニクスなど技術の進歩と、スマートフォンなど手軽に使えるデバイスの浸透。これにより、遠隔での病状把握、相談、診療、さらには医師同士の遠隔支援が一般化する。未病段階で対処したり、早期に病気を発見し治療したりできる。そんな社会の扉は、もう開かれている。

「身体がだるい日が続いているし、食欲もない。でも、病院に行くと待ち時間が長く、半日つぶれてしまう。栄養ドリンクでも飲んでがんばるか」――。こんな経験は誰にもあるだろう。一方、過疎地など近くに病院がない、あっても診療所だけで専門医がいないような地域では、必ずしも疾患を見極められなかったり、適切な治療を受けられなかったりする。高脂血症、糖尿病といった慢性疾患の患者は、医師による定常的な診察が必要だが、それさえも難しいことがある。

こうした人々は“医療難民”と呼ばれる。問題は、適切なタイミングで投薬できなかったり、変調を見逃したりした結果、一刻を争う事態に発展するケースがあることだ。他に類を見ないスピードで高齢化が進む日本では、今後、この問題はますます深刻になる。

動き出す遠隔診療

そこで重要になるキーワードが、遠隔診療のサービスと、ウエアラブルデバイスをはじめとするデジタル技術だ(写真1)。これらによって、専門医が近くにいない場所でも遠隔で診療を受け、薬をもらったり、治療を受けたりできるようになる。「医療は病院が担うもの」という常識は過去のものとなり、医療を構成する様々な要素が、家や商業施設などの生活空間、自動車などの移動空間など、社会に広がっていく。いわば“ソーシャルホスピタル”時代が到来する。

(写真1)遠隔診療・健康相談サービスが徐々に広がっている
写真は「ポケットドクター」の画面(オプティムのプレスリリースより引用)

例えば米国では米MDLIVE、米Doctor on Demandといった企業が遠隔診療サービスを手がけている。MDLIVEのサービスでは、登録されている2300人の医師やセラピストに24時間365日アクセスできる。診断を受ける側が用意するツールは、PCあるいはスマートフォンだけでいい。テレビ電話を通じて医師が患者に問診し、電子処方せんを患者が指定する薬局に送信する仕組みだ。

国内でも2015年後半から、同様のサービスが立ち上がってきた。一気に動きが加速してきた最大のきっかけは、厚生労働省が2015年8月10日に出した、「情報通信機器を用いた診療(いわゆる「遠隔診療」)について」(健政発第1075号)の解釈を示す「事務連絡」。従来の解釈では原則禁止だった遠隔診療が、事実上、緩和された。これを受けて、一部の医師や企業が遠隔診療・健康相談サービスに乗り出した。著名なのは、お茶の水内科の「お茶の水内科オンライン」やMRTとオプティムによる「ポケットドクター」などである。

「少なくとも1回は対面の診療が必要」などの条件があるし、患者の身体に触れる行為も難しいため、今の医療すべてを遠隔診療が置き換えるわけではない。それでも、社会のニーズから考えれば、将来は遠隔診療が台頭してくるはずだ。

そして、医療関連のデジタル技術が、これらの遠隔診療サービスをさらに後押しし、ソーシャルホスピタルを高度化させていく。遠隔診療・健康相談のサービスは、基本的に音声と映像による診療だけである。ただ、家庭や職場、公共の場などに、健康状態を把握し、その情報を医師と共有できれば、もっと詳細な診療が可能になる。

実際、そうした組み合わせも姿を見せ始めている。小型の個人用デジタル聴診器とタッチレス体温計を開発・製造する米CliniCloudというベンチャー企業は、測定したデータを医師と共有できる仕組みを併せて提供している(写真2)。聴診器や体温計をスマホに接続すると、心音、肺音、体温という基本的な健康データをクラウドに記録する。さらに、Doctor on Demandと連携しているため、患者はデータに基づいた遠隔医療サービスを受けられる。

(写真2)米CliniCloudのデジタル聴診器とタッチレス体温計

生活シーンのあちらこちらにセンサー、“におい”も検知

健康状態を把握するデバイスは、ほかにもいろいろ考えられる。人間は汗や涙、呼気、尿、便など様々な物質を体から排出している。これらの成分を観察すれば、罹病による変化を感知でき、疾患の早期発見が可能になる。例えば普通に用を足すだけで尿や便の成分を分析し異常があれば知らせてくれる便器が自宅にあれば、毎日の健康状態を記録できる(写真3)。毎日健康診断を受けているようなものだ。

(写真3)中国人デザイナーのRoyce Zhang氏が設計した健康トイレ「e-URINAL」
写真はコンセプトデザイン。男性用の小便器に尿のPH、尿比重、ウロビリノーゲン、白血球、尿タンパク、ビルビリン、ケトン体などの測定機能を付けて健康状態を把握する。(YANKO DESIGNのWebサイトより引用)

技術的には、人体が発するガスの成分を分析することもできる。東京医科歯科大学・生体材料工学研究所の三林浩二教授が研究している。分かりやすいのは口臭や体臭だが、ヒトの嗅覚では感じられないガスもある。実は、このガスの成分を分析することで検知できる疾患が何種類もある。

そこで三林教授が研究しているのが「においセンサー」である。ガスの成分を分析し、そこから代謝の変化を読み取る。三林教授は、「ゲートを通過するだけでその人の疾患を見える化できる可視化カーテンをつくりたい」という。究極は、手のひらサイズまで小型化したにおいセンサー。実現すれば、調剤薬局などに置いて手軽に健康チェックできるようになる。