理科大ビジネススクール 「新MOTオープンハウス」ー「新MOT=ハイテクMBA」体感し対話しようー

明日のビジネスを創る君に

第5回|特別インタビュー|新規事業の創出・起業に挑む君に

「技術もアイデアも志もある。だが新規事業創出や起業を成し遂げる何かが足りない。その答えは理科大MOTにある」東京理科大学大学院 イノベーション研究科 教授 若林 秀樹 氏 聞き手:日経BP総合研究所 所長 望月 洋介

1986年、東京大学 工学系研究科 精密機械工学 修士課程修了。同年、野村総合研究所技術調査部、その後アナリストに転じ企業調査部主任研究員を経て組織改正により野村證券金融研究所、1997年より、ドレスナークラインオートベンソン証券ディレクター・シニアアナリスト、2000年からは、JPモルガン証券、みずほ証券で、マネージング・ディレクター、株式調査部長、ヘッドオブリサーチ、主席アナリストなどを歴任。2005年に日本株のヘッジファンドを共同創業、自らも社長と運用を10年続けた企業経験を持つ。
「そのアイデアは、数年前に私が思いついていた」。斬新な製品やサービスが登場し、世の中を席巻する様子を横目に見ながら、このように感じた経験がある人は多いのではないか。アイデアを抱えたまま何も成さなかった人と、新規事業の創出に成功した人では、何が違うのだろうか。また、ビジネス環境の大きな変化に直面し、既存事業に代わる新規事業の創出に迫られる企業が増えている。それが製造業だった場合、新しい事業ネタを持つと思われる研究者や技術者には、新規事業を企画する役割が期待される。ところが、高度な技術や斬新なアイデアは数多くあるが、それをどのように事業化したらよいのか、筋道が見えず思考停止に陥る人も多い。技術やアイデアを事業化するために必要なものとは何か、東京理科大学大学院 イノベーション研究科の若林秀樹教授に聞いた。

——新規事業や起業につながるアイデアを内に秘めている人は、意外とたくさんいるように思えます。しかし、実際に新規事業の立ち上げや起業に成功することは容易ではありません。新しい事業を成功に導いた人と、アイデアを抱えたまま終わる人ではどのような点が異なるのでしょうか。

若林 新しい技術やアイデアは、新規事業や企業の核となる重要な要素ですが、それだけで事業を立ち上げることはできません。いかなる仕組みと手順で、具体的な製品やサービスに仕上げ、売り上げと利益を上げていくのか。明確なビジョンと周到な戦略を描くことが欠かせません。ところが、多くの企業、特に日本の製造業では技術やアイデアの独自性に頼って安易な事業化を進め、残念な結果に終わることが珍しくありません。

 それでも、画期的な技術、虚を突くアイデアを事業化し、大成功を収めた事例も多くあります。過去の事例は、知恵の宝庫です。そこから、新規事業を立ち上げるためのすべを学ぶことはとても大切だと思います。いくつか、具体的な事例を挙げて考えてみましょう。

 まず、新規事業の立ち上げ事例として数々の教訓が得られる、東芝のNAND型フラッシュメモリーの事業を例にしてお話ししたいと思います。スマートフォンなどのデータ蓄積媒体として使われているNANDフラッシュは、ITをフル活用する現代社会において欠かせない半導体デバイスです。このNANDフラッシュを発明し、初めて事業化したのが東芝です。

新規事業を考える技術者には商売のセンスが不可欠

——東芝は、なぜNANDフラッシュの事業化に成功できたのでしょうか。

若林 最大の要因は、NANDフラッシュの発明者として知られる舛岡富士雄氏(現 東北大学 名誉教授)に、商売のセンスがあったことです。

 一般に研究者や技術者は、技術の市場価値や市場規模には無頓着な傾向があります。自分は技術を開発する人で、それを市場に合った形に変えて売るのはまた別の人という考えですね。

 舛岡氏は、一般的には、半導体の技術開発一筋の天才技術者と見なされています。ところが実際には、応用市場の動きを極めて的確に見通していた点にこそ卓越性がある人だと思います。舛岡氏は、既にNANDフラッシュの開発時には、データ蓄積媒体の主流であるハードディスク装置(HDD)を不揮発性の半導体メモリーに置き換えることで、コンピューターの機能や性能が大きく飛躍することに気付いていました。ここが、他の研究者や技術者とは決定的に違っていた点です。

研究者は市場予測を安易に扱っていないか

——舛岡氏は、後に大学教授になるほどのバリバリの研究者です。技術開発だけに注力したわけではないのですか。

若林 私が舛岡氏に最初に会ったのはNANDフラッシュの発明から3年後の1989年だったと思いますが、その時から、かなり詳細で明確な市場開拓戦略を持っていました。

 企業に所属する研究者の多くが、事業計画を書いた経験があると思います。新しい研究を起草する際に必ず求められるからです。ところが、そこに書かれる市場規模予測は非常に安易なものです。外部調査機関の市場規模予測などを引用し、それに対して10%のシェアを取るといった見通しがあるだけです。

 本当に事業化を見据えるのならば、市場規模予測の前提や仮説を明確に定義して、その中で事業領域をどのように描き、どう攻めていくのか、きちんと詰めておく必要があります。つまり、多くの研究者が書く事業計画は、事業化を見据えたものではなく、研究自体を目的化したものなのです。舛岡氏はまれなケースだったと思います。こうした舛岡氏の仕事ぶりが、NANDフラッシュ事業を立ち上げる道筋を描く上で、大いに効果を上げたことは確かでしょう。

市場は動き続ける、臨機応変に戦略を柔軟に見直す

——東芝のNANDフラッシュ事業の場合には、いかに舛岡氏が明快な戦略を描いていたとしても、それを実践できないまま舛岡氏が退職したと聞いています。舛岡氏が去った後、大きな事業として育てることができたのはなぜでしょうか。

若林 舛岡氏の在職中には、HDDの技術革新も足早に進み、コスト面でNANDフラッシュの優位性が際立ちにくい状態でした。市場が舛岡氏の想定外の方向に動いたわけです。ここで東芝はNANDフラッシュ事業を路線変更しました。さらに1999年に西室泰三社長時代に、藤井美英氏らの尽力で米SanDisk社と提携。多値技術やインターフェース技術などで大きな成果がありました。これによって、デジタルカメラのような、HDDの搭載が困難な携帯機器に応用のターゲットを変え、小型軽量で低消費電力なストレージメディアとして売り出す方向へと戦略を変えました。そして、数百億円を売り上げることができる事業としての立ち上げに成功しました。こうした臨機応変な対応ができたのは、戦略を考える際のベースモデルとして舛岡氏の明確な戦略があったからです。

 その後、東芝は2001年に、Samsung Electronics社などとの競争に敗れて汎用DRAM事業から撤退。代わりにNANDフラッシュ事業に注力する決定をしました。そこに至るまでには、社内では、DRAMと同じメモリーであるNANDフラッシュに注力して大丈夫かという意見があったと聞きます。そこで明快な戦略を打ち出したのが小林清志氏です。小林氏は、応用のターゲットを変えるとともに、DRAM事業ではなぜ負けたのか、そしてNANDフラッシュ事業をどのように進めれば競合に勝てるのかを分析。アプリケーションごとにインターフェースを構築、ロジックの技術者を投入して差異化を図りました。市場の動きを真摯に受け止めた詳細で明確な市場開拓計画を描いたのです。これは舛岡氏が残したビジョンと技術、そして市場開拓戦略という明快な素地があったからこそ、正しい軌道修正ができたのだと思います。

新市場の開拓、急いては事をし損じる

新市場の創出には時間がかかります。腰の据わった事業の立ち上げシナリオを描くことができたのです。

——お話を伺うと、2人の卓越したリーダーの下で、東芝のNANDフラッシュ事業は、成功するべくして成功したように見えます。

若林 東芝にしても、私が知っている限りNANDフラッシュ事業は1997年ごろまでずっと赤字でしたから、途中でやめてしまう可能性はありました。しかし、すぐには黒字にはならないと認識した上で事業を進める懐の深さがありました。当時、日本企業でフラッシュメモリーの事業化を目指したのは、東芝だけではありません。日本の多くのDRAMメーカーが、汎用DRAM事業に代わる商材を探していたのです。各社とも、独自技術を投入したさまざまなフラッシュメモリーを市場投入しましたが、結局すべて失敗してしまいました。

——東芝と他の日本のDRAMメーカーでは、何が異なったのでしょうか。

若林 東芝以外の多くの日本のメーカーは、競争力を失った汎用DRAMにすぐに代わることができるメモリー事業を探していたのです。これに対し東芝は、NANDフラッシュは、汎用DRAMの代替事業ではなく、DRAMとは商品の位置付けも応用も異なる新市場であることが明確に分かっていました。新市場の創出には時間がかかります。だからこそ、腰の据わった事業の立ち上げシナリオを描くことができたのです。

技術開発一筋は、企業研究者の正しいキャリアパスか

——東芝には、舛岡氏や小林氏のような応用市場を正しく捉えることができる研究者や技術者が育つ素地があったのでしょうか。

若林 半導体メモリー事業には、大きなリスクを取って大きな利益を出すという電機メーカーの事業の中でも特殊な事業特性があります。こうした特殊性に対応するため、東芝の電子デバイス部門の中で経営を担える人材を育てる素地がありました。赤字の時期があっても、果敢に攻めて大きな利益を上げ、トータルで事業を成立させる大局的な視野に基づく戦略が求められると考えたわけです。この点は、同社社員のキャリアパスを見ると明確に分かります。例えば舛岡氏には、研究所だけではなく、営業、工場とさまざまな現場での勤務経験があります。こうした中で、市場を見据えた事業企画と技術開発を一体化させた、ビジョンと戦略を描く力が養われたのでしょう。

 ところが、他の日本の半導体メーカーの多くは、事業が赤字になると安定経営第一の重電部門などから事業企画のトップを連れてきて、堅実なメモリー事業経営を目指しました。総合電機メーカーの御作法に、半導体事業を合わせようとしたわけです。これによって、事業企画と技術開発が分断されてしまい、社内での整合性が取れなくなっていました。

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窮地に陥った企業を救う光明を探る

——今、日本の製造業は、欧米企業のイノベーションによる産業構造の変化と、コスト競争力に勝る新興国企業による攻勢の板挟みになっています。そして、こうした状況を打破するため、受け身の新規事業創出に乗り出す企業が多くあるように見えます。いわば、かつて汎用DRAMの代替事業を探し、結果的に失敗した多くの半導体メーカーと同じ状況です。こうした状況下での新規事業の創出はどのように考えたらよいのでしょうか。

若林 そうですね。現状からの打開策を探る多くの日本企業に、大きな示唆を与える絶好の事例があります。沖電気工業の電子機器製造受託サービス(EMS)事業の例です。EMS事業は、「iPhone」などの生産で有名な鴻海精密工業の事業形態として今ではよく知られるようになりました。沖電気のEMS事業は、こうした海外の巨大EMSときっちりとすみ分けて、500億円の売り上げ、海外EMSより高い4〜5%の利益率を上げ、いまや同社のホープといえる事業になりました。

 沖電気は2002年、厳しい経営難に陥り、国内生産拠点をすべて閉鎖する瀬戸際まで追い込まれました。当時は、中国など新興国での生産が増大し、コスト競争力と生産規模に勝るEMS事業が台頭していた時期でした。それまでの国内工場の高コスト体質では、これらにはとても太刀打ちできない状態だったのです。そうした中で、国内工場の存続をかけて、売り上げがゼロの状態、たった4人の陣容で立ち上げを進めたのが、沖電気のEMS事業だったのです。それを指揮したのが、2017年7月に惜しくも亡くなられた清水光一郎氏でした。

 清水氏は、1990年代から米Solectron社などEMSが台頭する様子をユーザー企業の立場から接し、いずれ日本でもEMSを活用した水平分業型ものづくりが主流になると予見していました。ただし、一般にEMS事業は利益率が低く、規模に劣る沖電気が、何の工夫もなく海外のEMSの事業をまねても勝ち目はありません。そこで、清水氏は、日本型のEMS事業を新たに定義したのです。

あえて勢いのある事業とは別の土俵に上がる

——沖電気の日本型EMSは、海外のEMSとはどのような点が異なるのでしょうか。

若林 海外のEMSでは、電子機器を「早く」「安く」「多く」生産することを前提として、最適化した事業体制を構築しています。これは、スマートフォンやパソコンなど少品種大量生産する製品の生産に向いた体制です。これに対し清水氏は、「多様で」「少量の」製品を「早く」生産することを前提とした斬新なEMS事業の立ち上げを目指しました。

 沖電気は、自社の日本型EMS事業を「Advanced M&EMS」と呼んでいます。“EMS”の前の“M”はメカトロも得意であること、“Advanced”は生産受託だけではなく、設計から調達、実装、試作、装置組立、保守まで広範な機能を備えて、さまざまなニーズに対応することを示しています。生産能力や価格で勝負してしまうと海外のEMSには勝てません。しかし、日本には、通信、産業、計測、エコ、医療といった分野に、変種変量で小ロットでの生産が求められるものづくりの需要が確実にあります。そしてこれら分野の顧客企業は、自社の開発力も異なれば、製品に求める品質も異なります。こうした日本固有の多様な需要に対応できる事業体制を構築したのです。

——本当に追い込まれ、真剣に考えれば活路はあるものですね。

若林 この事例は、ソニーとかソフトバンクといった、もともと柔軟な社風の企業が立ち上げた新規事業ではなく、沖電気というどちらかと言えば古い体質の会社で進められた点に価値を感じます。しかも、電子機器の生産という、もはや日本企業に勝ち目がないように見える領域で成功している点が見逃せません。

 清水氏が打開策を見つけることができたのは、EMSの活用が進む米国の動きや鴻海の成長などに関心を持ち続け、動向を自分なりに消化できていたからだと思います。市場の動きと生産技術を熟知し、海外EMSの事業状況を定量的に把握していないと、「生産では低コストの新興国にはかなうはずがない」と諦めてしまい、変種変量での小ロット生産に勝機があることに気付かなかったのではないでしょうか。

気付きと修正を、とにかく繰り返す

——清水氏のような希有(けう)な人材の登場をただ待っていられない多くの日本企業は、どのようなことをすべきでしょうか。

若林 これは大企業での新規事業開発でも、個人での起業も同じだと思いますが、まずは多様な経験を積み、より多くの実例を知ることが重要です。その上で、新規事業を進める上での唯一の勝利の方程式と言える「アジャイル開発」を進めることが大切だと考えています。とにかく、試作品や試行事業を早く作って、ただちに検証し、何回も軌道修正することです。始める前に机上でいくら事業計画を詰めても、実際に始めて見れば想定外のことばかりです。新しく作った製品やサービスを顧客に提案し、話を聞いて軌道修正する作業を、何回繰り返したかで成功の確率も成果も変わってきます。

——技術者が客先に出向いて専門外の人の話を聞くというのは、なかなか敷居が高いと思う人も多いのではないでしょうか。

若林 そう思っているのは、日本企業の技術者だけです。例えば、Apple社の研究者は、さまざまな企業の工場見学を研究活動の一部としています。自社技術だけで、開発や生産ができるわけがないからです。研究活動の最低2割、多ければ3、4割をいわば、アナリストや記者のようなフィールドサーベイに割いています。自分たちのアイデアを机上で煮詰めるより、市場で磨いた方が、結局、短期間でよいものができます。

 新規事業の立ち上げでは、既存のマスマーケットではなく、ロングテールの中に潜む特殊解を見つけて育てていくことになります。多くの人が知っている市場動向の一般論だけに固執することなく、より多くの視点、価値観からの話を聞き、そこで得た気付きを自分の頭で考えてみることが欠かせません。

新規事業の創出を多角的な方法で疑似体験

実際に新規事業の立ち上げを疑似体験。甘い部分や足りない部分を洗い出して完成度を高めていきます。

——東京理科大学のMOTでは、新規事業の創出に向けたすべをどのように養っているのでしょうか。

若林 学生の平均年齢は41、2歳で、ほぼ全員が社会人ですから、MOTに入学する際の問題意識がかなり明確になっています。約半分が新規事業の担当者、もしくはその準備段階にいる担当者です。所属する業界で見ると、ものづくり系の企業に所属する人が約半分を占めています。日本の産業界の縮図のような人員構成ですね。一般的なビジネススクールは、金融やコンサルティング、IT分野の企業に所属する人に偏っている傾向がありますから、この点は理科大の特徴だと思います。

 こうした学生に対して、私の講義「新事業開発論」では、1/3は新規事業を起こすために欠かせない知識や事例に関する授業を、1/3はグループワークや演習を、残りの1/3は外部講師をお招きして起業や事業創出の経験に関する話を聞き、講師を交えて討論しています。

 日本では大学でも企業でも、技術系の人材への金融、財務、経営学などの文系科目の教育は極めて貧弱なのが現状です。しかし、こうした知識がないまま技術系人材が新規事業の創出に取り組んだり、役員として経営にタッチしようとしても全く歯が立ちません。そこで授業では、文系の専門家に対して鋭い指摘ができるまで知識を教えていきます。

 グループワークや演習では、実際に新規事業の立ち上げを疑似体験してもらいます。企業の名前やロゴを考えるところから、独自アイデアのビジネスモデル化、事業の綿密な売り上げ予測に基づく事業計画などを段階的に進め、最終的には作り上げた事業を一人ひとり発表します。市場規模予測などを、きっちりと査定して事業を作り上げる経験を積むことが重要ですから、グループワークで知恵を補い合ったり、学生同士で質問を浴びせながら、甘い部分や足りない部分を洗い出して完成度を高めていきます。

 外部講師の講義には、起業に成功した方、あるいは大企業の中で新規事業の創出に携わった方を招きます。ただ単に経験者の声を拝聴するのではなく、過去に取り組んだ事業を題材にして、よりよい方法を探るため、より多くのケースに適用するための議論を深めていきます。

新規事業の成否はリーダーの質が決める

——MOTで新規事業創出の疑似体験は、手法が体系化されている分、実践での応用が利きやすいように思えます。

若林 新規事業を立ち上げる上で、リーダーの質は、事業の成否に直結します。「技術系経営者論」という講義では、社長、CTOとは何か再定義し、目指す企業の形とからめてあるべき経営者像を探ります。ここでは、例えば、多くの経営者の自叙伝が掲載される日本経済新聞の「私の履歴書」を分析します。単に記事に書いてある内容を学ぶのではなく、そこに書かれている経営者の決断の足りないところなどを論じます。また、ソニーやパナソニックなどの次期社長を5年後10年後の戦略を考えながら予想するという授業、自分が所属している企業の社長のキャリアパス設計などにも取り組みます。

——企業の中では得られない多くの経験ができそうですね。

若林 企業の日常業務の中では出会えない多角的視点に触れ、新規事業を起こすために必要な要素の一つひとつを深める経験をしておくと、所属企業の業務を進める際にも大きな違いが生まれると思います。

 また、MOTで共に議論した仲間は、得がたい人脈となることでしょう。私は、これまで培った人的ネットワークを通じて、将来の社長候補、CTO候補といったエースをMOTの学生として送ってもらえるよう、各社の経営者にお願いしています。遠くない将来、MOTの修了生の中から、社長が出てくると思います。

 私は、長年にわたって電機産業の栄枯盛衰を見てきました。そして、日本企業にもう一度かつての輝きを取り戻してほしくて、MOTで人材を育成しています。日本企業の優秀な技術者が経営にも力を発揮する二刀流となれば、日本企業は復活すると確信しています。

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