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				日本の匠 刀鍛冶・吉原義一氏が語る 「刀づくりの核心」

4代続く刀鍛冶一家の継承者、吉原義一氏。伝統の技を受け継ぎ、己の魂を込めた日本刀づくりを行う鍛冶場に漂っているのは、鋼を溶かす火床の熱気と、ピンと張り詰めた鋭利な空気。後世に伝えたい日本刀の価値と、一流の職人として共感できるプロダクトの条件についてうかがった。

匠の継承

曾祖父の代から4代続く刀鍛冶である吉原家は、万葉の時代から平成の世に至る日本刀の系譜を語る際、重要な位置づけにある。というのも、戦後、日本刀製造が全面禁止されていた時代に、作刀の再開に奔走した刀鍛冶の一人が、吉原氏の曾祖父・国家氏だったからだ。もし再興が許されなければ、歴史は途絶えていたかもしれない。

現在、吉原氏の鍛冶場は東京の葛飾区、住宅街の一角にある。日本家屋の庭に20畳ほどの鍛冶場があり、漆黒に塗られた壁の向こうから、鎚を振るう音が響く。4代目として生まれた吉原氏の幼少期の記憶は、鍛冶場の様子から始まる。

「出入りは自由だったので、見よう見まねで小刀をつくっていました。火を使う作業場だから火傷は日常茶飯事。でも鋼の塊が少しずつ刀に姿を変えていく過程がおもしろくて、父の姿をずっと見ていましたね」

高校卒業後、なんのためらいもなく修業の道を選び、5年で刀匠の資格を取得。天才とも評され、36歳のときに史上最年少で無鑑査(鑑査なしで展覧会に出品できる刀鍛冶の最高位)の認定を受けた。今、全国に300人ほどの刀鍛冶がいるが、日本刀づくりだけで生計を立てられる数少ない刀鍛冶の一人だ。

日本刀の原料は砂鉄からつくられる玉鋼(たま はがね)。塊のままでは、もろく、炭素量もまばらなため、細かく割り、刀のもとになる地金をつくる。これを鍛錬と呼び、数ある工程の中で最も大切とされている。

「鍛錬の目的は、不純物を叩き出し、ばらつきのある炭素量を全体に均一化すること。十分に鍛錬することで、玉鋼には日本刀に欠かせない粘りが生まれます」

重要なのは温度管理。左手でふいごを操り空気を送りながら、火の色、鋼が沸く音(鋼を熱する様子は“沸かす”と表現される)、炭が爆ぜる音などを頼りに約1300℃で熱し、叩き、それを繰り返す。

匠の技

途中で水をかけると、水蒸気爆発によって鍛冶場に轟音が響く。これは表面の不純物を吹き飛ばすためで、さらに叩き、伸ばし、切り込みを入れて折り返す。15回折り返すと鉄の層の数は3万を超える。

「ただし、折り返し過ぎると炭素が必要以上に抜けてしまい、焼きがあまくなってしまう」と吉原氏。刀鍛冶は、鎚に伝わる感触からその回数を見極めるという。5㎏ほどの玉鋼が、鍛錬を繰り返し、不純物を取り除くことで最終的には1㎏ほどになる。そこから少しずつ刀の形に整えられていく。

鍛錬同様、刀鍛冶の腕が問われるのが「焼き入れ」。刀身を水に入れて急冷する工程で、やり直しがきかないからだ。800℃前後で熱した刀身をどのタイミングで、どれだけ冷却するか。刀鍛冶の一瞬の判断にすべてが委ねられる。日本刀独特の反りが生まれるのも、高温で熱した刀身を急冷する焼き入れの段階だ。

焼き入れの際、刀の表面に粘土を置き、場所・量によって冷却する時間を変えることで、刃の部分は硬く、他は柔らかい構造になる。

匠の魂

焼き入れ後に浮かび上がる刃文は、硬さと柔らかさの境界であると同時に、刀鍛冶が個性を競う部分。吉原氏の刀には、吉原家が代々受け継いできた象徴的な刃文「蛙子丁子」(かわずこちょうじ)が施されている。

年間につくる日本刀は多くても24振り。1振りずつ魂を吹き込み、最高傑作のつもりで向き合っている。「でも、もっとできるんじゃないか、という気持ちがすぐにわいてきます。常に最高傑作をつくりながら、満足せず、それを乗り越えるために自分を鍛錬するのが刀鍛冶。毎日が挑戦の連続です」。吉原氏が進む“刀鍛冶道”に終わりはない。