乳がんを治療後、橋本病を併発しながらフリーランスとして多様に働く

飯田友美子さん、50代、女性
職業: IT講師
勤務先:フリーランス(業務委託契約)
健康保険:国民健康保険

2011年6月に乳がん(トリプルネガティブ、ステージIIB)の診断を受け、7月から12月まで術前化学療法(EC療法4回、タキソテール4回)を受ける。翌年1月に乳房温存手術、2月から3月まで放射線治療。8月から急に倦怠感、筋力低下、低血圧、低体温、冷え性などの症状が出るようになり、2013年1月に橋本病※の診断を受ける。また、手術による二の腕から腋の下までのしびれ、痛み、だるさ、放射線療法の副作用による皮膚障害などに現在も悩まされる。がんの予後は良好で、経過観察中。

橋本病 慢性的な甲状腺の炎症により、むくみ、倦怠感、眠気、低体温、記憶力の低下、脱毛などが起こる病気。

・周囲に病状をオープンに話して、信頼を得るようにした。

・できないことはできないときちんと説明し、できる仕事はできるだけやるようにした。

・パートタイムの仕事で労働基準法違反があったときには、すぐに労働基準監督署など行政機関に相談をした。

できない仕事はできないけれど、「ここまでならできます」と伝えて交渉

 飯田さんは、20代の頃からIT講師として働いてきた。当初はパソコンスクールで正社員や契約社員として働いていたが、業界の不況でスクール側の経営が厳しくなると、だんだん非常勤や同時に、辞めていく社員や、残りの社員を解雇、その後、非常勤やパート・アルバイト中心の採用、30歳を過ぎてからは業務委託という勤務形態で、派遣も含め仕事があるときだけ働くという形に少しずつ変わり始めていった。時給も少しずつ下がり始めていた。ただ、当時(30~40歳頃まで)はパソコンを導入する企業が多く仕事には全く困らなかった。他の職種で正社員の仕事を探す道もあったが、IT講師という仕事が好きで誇りを持っていたため、フリーランスで働き続けることを選択した。

 幸い、仕事仲間の紹介で、大手メーカーが出資するデータセンターとつながりができた。教育部門に講師として登録し、全国どこでも講師の仕事があれば引き受けた。また、政府の緊急雇用対策として職業訓練が実施されることになり、職業訓練校での講師の仕事も得ることができた。病気になる前は、高収入とはいえないが1人で生活していける程度の収入は得られていた。

 そうして働き続けていた2011年5月、47歳のときに、胸にしこりを見つけた。飯田さんは、実は妹さんを乳がんで亡くしている。自分も乳がんかもしれないと思って、すぐにかかりつけ医に相談したところ、埼玉医大の国際医療センターを紹介され、2週間後の6月初めに予約が取れた。

しばらくは働けないと伝えたら、返事もなく連絡が途絶えた

 6月からは、職業訓練校の講師の仕事が1ヶ月連続で入っていた。担当者に事情を説明すると、「それっていますぐ必要なんですか」と言われたが、検査を優先することにした。そのときはちょうどメイン・サブ体制で、飯田さんがメイン講師をすることになっていた。そこで、飯田さんが休む間はサブ講師にメイン講師をしてもらい、職業訓練校の職員にアシスタントを頼むということで、話をつけた。

 最初の検査で、「やはりがんらしいから、すぐに全部の検査をやりましょう」ということになった。トリプルネガティブで、すごい勢いでがんが乳管を通って進行しているようだとの説明を受けた。そこで、翌日にすぐに検査の予約を入れた。

 そのことを伝えると、職業訓練校の担当者には、再び「その検査は、いま必要なのですか?」と言われたが、「命に関わることなので」と譲らなかった。翌日に検査をするとまたすぐ次の検査をということで、6月中に何度もポツポツと抜けざるを得なかった。

 6月末に確定診断がつき、7月から治療に入ることになった。7月以降も職業訓練校の講師の予定はあったが、断りのメールを入れた。すると「それなら7月は外しますが、切って取れば済むんでしょ、8月か9月には復帰できますよね」と返信が来た。「抗がん剤治療などを行えば時間がかかるため、数ヵ月くらいでの復帰は無理です」と伝えたところ、返事もなく突然連絡が途絶え、そのままその職業訓練校との縁は切れた。

 仕事では迷惑をかけたが、命に関わる状況であることは、きちんと伝えた。おそらく先方は病気について勝手なイメージを持っていて、飯田さんの状況を正しく理解できなかったのだろう。理解されないことはつらかったが、自分の命を優先したことに悔いはない。

 IT講師は1日5、6時間、立ったまま話し続ける仕事だ。抗がん剤治療を始めたら、とてもできないと判断して、治療が終わって体力が回復するまで休業することにした。

仕事復帰を目指してリハビリ中に橋本病に

 治療は、まず術前化学療法を7月から12月まで行った。翌年1月に乳房温存手術をして、2月から3月にかけて放射線治療を受けた。放射線治療では、看護師に「こんなに副作用が強い人は見たことがない」と言われるほど、大変な副作用が出た。息が苦しくて、全身に倦怠感がある。常に眠くて、目をつぶるとどこでも寝てしまう状態だった。

 治療が終了した2012年3月以降は、IT講師として復帰するつもりで、体力回復やリハビリに努めていた。データセンターからは、早く仕事に復帰して欲しいと何度も催促された。

 ところが、8月頃に急激に倦怠感や筋力低下を感じ始めた。体力回復どころか、階段を2、3段上がると息切れがして、とても仕事に戻れる状態ではない。原因がわからず途方にくれたが、翌2013年1月に橋本病の診断を受け、やっと治療を受けられるようになった。しかし、体力は完全には戻らず、今でもフルタイムで勤務することは難しい。

 データセンターには体力がないので講師はできないと説明したところ、講師以外の業務で、短期のアルバイトを頼まれた。時給がよくて交通費もしっかりもらえる仕事で、ありがたかった。そこで、2013年6月頃からアルバイトとして月に数日働くようになった。それでも、1日働くと2日目はぜいぜい息を切らしながらという状態だった。

 いまはやや回復したが、それでも何日も連続して講師をすることは難しい。それでも、データセンターからは、「つながりを持っていてください」と言われて、月に1、2回程度、1日だけの講師を引き受けている。データセンターでは、講習のテーマが決まらないときに、講習内容を提案するようなこともやってきた。そういう実績を認めてくれているのだろうと思う。

パートタイムの仕事で大変な目に

 ポツポツと仕事に復帰し始めたが、データセンターの仕事だけでは、生活していけない。父の古い友人から福祉施設を手伝って欲しいという話があったが、本決まりになるのを待っていられずに、短期のパートタイマーの仕事を探すことにした。

 2013年の10月から3ヶ月だけ派遣社員として働いたところ、パートタイムで短時間勤務なのに、週5日勤務のうち身体が3日しかもたなかった。4日目以降は職場にいてももうろうとした状態で、橋本病特有のむくみと倦怠感からくる顔つきのせいだろう、職場の人たちにいつも「具合悪いの?」と心配されてしまった。「眠いの?」ではなく「具合悪いの?」と言ってくれる配慮は、とてもありがたかった。3ヶ月間はなんとか出勤したが、週5日勤務はとても無理だと考えた。

 毎日出勤しなくてよい仕事を探していたところ、ハローワークに時給は非常に安いが週2~4日、1日5時間以上の勤務でよいという求人が見つかった。2社の求人があり、A社は社内でのウェブの更新作業、A社の子会社でウェブ制作会社のB社はウェブ制作業務という求人だった。飯田さんはウェブ制作の経験はないが、ウェブ制作の講師もしていたので、ウェブ更新ができる程度の知識はある。B社のようなウェブ制作会社は、一般的に仕事がハードで、いまの自分にはとても勤まらないだろう。時給は安いがA社ならできるだろうと考えてA社に応募して、採用された。

 ところが実際に勤務が始まってみると、ウェブ制作をまかされた。戸惑っていると、雇用契約書はA社のものだが、実際にはB社で働いているのだと、同僚のパート職員に教えられた。どういうことだと会社に訴えたら、社長に呼び出されて、頭ごなしに「いまさら何を言っているんだ」と怒鳴りつけられた。これは大変なところに来てしまったと思ったが、すぐに労働基準監督署とハローワークに相談したところ、労働基準法違反で第15条2項の適用になるので、即日契約解除をしなさいと勧められた。

労働基準法より

 一方的に契約解除できると確認したので、その安心感を背景に、会社に「これは自分が本来やる仕事ではない」と訴えた。すぐに辞めることも考えたが、自分がいま辞めると自分がまかされた仕事がわかる人が誰もいなくなり、周囲に負担をかけてしまう。また、いまの体力で勤務可能な短時間で短期間の仕事は、他には簡単に見つからないだろうとも考えた。そこで、いつでも辞められるのだからと、契約期間の1年だけ働いてみることにした。

 行政に相談したことは会社には伝えなかったが、いろいろと主張したために、仕事内容をB社のウェブ制作の仕事から、A社のウェブ更新に近いものに置き換えてもらえた。社長は困った人だが、面接をした担当者が責任を感じてフォローしてくれたようだ。また、ハローワークから不信感を抱かれ問題を恐れたためか、また実績が実質「0(ゼロ)」に近く結局B社は親会社のA社に吸収されてなくなり、名目上も実質的にもA社で働くことになった。

 会社と交渉することは本当につらくて、ストレスでがんが再発するのではないかと不安になるほどだった。ただ、社長以外の職場の人たちは飯田さんに同情的でフォローしてくれたため、社会復帰のためのリハビリ期間と割り切って仕事を継続できた。

 飯田さんは、正社員、契約社員、アルバイト、業務委託契約など、さまざまな形で多くの事業所で仕事をしてきた。データセンターのように人材を財産として扱ってくれるところもあれば、B社のようにただの材料として扱われているなと感じるところもある。それが行き過ぎると、ときには罪になる。財産として扱ってくれる取引先を、できるだけ大切にしていきたいと思う。

労働者を

さまざまな仕事を少しずつできる範囲で

 ウェブ制作のパートタイムを1年間やった後は、以前から話があった福祉施設で週3日、業務委託の形で働いている。

 福祉施設では入所している身体障がい者の生活面を含め体調などの情報を逐一記録しているが、紙の記録は分析が難しく、現場にいない経営陣が入所者の状況を把握するのは難しい。そこで、紙の記録をIT化して分析し、経営陣が把握できるように形を整える仕事をまかされた。飯田さんはプログラマーではないが、IT講師としてアプリケーションの活用法には精通している。自分の知識と経験を活かせる仕事だった。

 パートなど職員として採用してもよいと言われたが、いまの体力でフルタイムで働くのは難しい。また、福祉業界は時給が安いため、他の職員と同じ給与体系を適用されるとIT業界の基準では時給が安すぎる。業務委託なら比較的自由に報酬を交渉できるので、業務委託契約として働くことにした。

 経済的に不安があるので、その他にもできる範囲でできるだけの仕事をするようにしている。収入としてはわずかだが、月に1回、埼玉県のがんピアサポーターとして傾聴ボランティア(有償)をさせてもらっている。また、今度地元の公民館の非常勤職員をやることにもなった。こちらは、イベントなどがあるときに、スタッフとして参加する予定だ。どの仕事も体調優先で考えてくれているのは、ありがたい。

 飯田さんは、取引先には、常にがんであることや現在の状況は、全面的にオープンに話してきた。仕事を引き受けられないときに、なぜできないかを説明しないと、信頼関係を築けない。また、できない仕事はできないけれど、「ここまでならできます」と話すことで、「それならこれだけをやってください」「今回はなしにしましょう」という形で交渉できる。

 業務委託は、仕事をした分だけ報酬を得られる立場だ。仕事ができなければ、報酬がないのはやむを得ない。だから、病気だからといって会社員のように特別な配慮を得ることはないが、逆に降格したり給料が下がったりすることもない。体調に合わせて柔軟に対応しやすいとも言えるだろう。

フリーランスには、がん保険が頼みの綱

 病気になって、フリーランスの大変さが身にしみた。有給休暇などもちろんないし、傷病手当金もない。すごいことを自分はやっていたのだなと思う。

 自分は病気はしないという根拠のない自信のようなものがあったが、社会人になった直後に民間医療保険には入っていた。また、妹が乳がんで亡くなったため、30代のうちにがん保険に加入していた。どちらも多少の足しにはなったが、治療中は完全に収入が途絶えたため、経済的には大変だった。

 がん保険は入院保障が中心だったが、抗がん剤と放射線治療は通院で行ったので、あまり給付金はでなかった。保険会社に、「現状にあっていない」とクレームをつけたら、現在は通院保障が無制限のものもあると説明を受けた。がん保険にきちんと入ること、また、時代に合わせて見直しをすることが重要だと思う。特に、フリーランスで扶養家族がいる人にとっては重大だろう。

 がんになる前に比べると、いまの収入は3分の1くらいだ。とても独立して生活できないが、両親と共に暮らしているため経済的には助かっている。同じがんの友人には、抗がん剤の副作用でフルタイムで働けず、短時間のバイト、行政から就労のための支援を受けている人もいる。

 飯田さんは、母親が認知症で乳がんの治療中でもあるため、見守りも必要だ。母親のことを考えると、今後、もし体力が戻ってもフルタイムで働くことは難しそうだ。

「親に甘えられるうちは甘えよう、でも、できることはやろう」

 入院するときに、看護師から病院の患者会を紹介された。当初は治療が終わればがんとのつきあいは終わるので、自分には必要ないと考えていた。また、妹が亡くなったときに泣くだけ泣いたので、これ以上慰めあったりするのはごめんだとも思った。

 ところが放射線治療が終わったときに、「治療経過がよいので、次は半年後に来てください」と言われて、半年間、病院から離れてしまうことに急に不安になった。そこで病院とのつながりが欲しくて患者会に入ったところ、いろいろな情報が入ってきて意外にメリットがあった。

 患者会で教わった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越」に参加してみたら、みんなが笑顔で迎えてくれて、あまりの居心地のよさに感激した。それがきっかけで「リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越」のがんサロンに通うようになり、通っているうちに実行委員長から声をかけていただき、副実行委員長として実行委員会に招いていただいた。実行委員会はとても忙しくてへとへとになったが、すごく楽しかった。

 「リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越」で知り合った方に教わって、「がん哲学外来メディカルカフェ@川越」にも参加するようになった。そして、そこのスタッフも引き受けるようになった。

 それまでは、自分のことで精一杯で、お金のことで頭が一杯になっていた。親の支援を受けられても、親に迷惑をかけていることが苦痛だった。でも、「リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越」や「がん哲学外来メディカルカフェ@川越」に参加するうちに、別にかまわないと思えるようになってきた。親に甘えられるうちは甘えよう、でも、できることはやろう。いまは、明るく前向きな気持ちで、できる仕事をできるだけ続けていこうと思っている。

・これまでの仕事の実績と信頼関係により、仕事の依頼が続いている。

・病状をオープンにして、なぜできないかを伝えることで信頼を保てる。

・できないことはできないが、イチかゼロかではなく、「ここまではできます」と伝えることで、部分的に引き受けるように交渉できる。

・フリーランスという立場上、傷病手当金などの休業補償はないが、勤務時間や業務内容を体調に合わせて柔軟に対応しやすい。

・雇用関係がある場合、労働基準法違反は労働基準監督署に相談すれば、バックアップを得られる。

・フリーランスという不安定な立場では、民間医療保険やがん保険への加入は重要。

フリーランスで働くことの実態を多角的に語ってくださった飯田さん。がん以外の慢性病への罹患や親の介護、そしてパートタイマーとして入職した会社で直面した労働基準法にも抵触する雇用問題。多くの苦労を乗り越えてきたその働き方のキーワードは、ご自身の体力や状況を見極めたうえの「交渉」と、それぞれの時点での「現実的な選択」と言えるかもしれません。それも、長年のフリーランスの仕事の中で培われた力だと思われます。周囲の状況を分析するとき、メリットを積極的に見つけ出す姿勢も、とても印象的でした。

顧客への情報開示、業務内容変更、雇用形態の変更、時短勤務、民間医療保険

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