ITpro SPECIAL

panasonic

モバイルビジネス最強化計画

レッツノート/タフパッドで企業力UP !最新モバイル活用シーン・事例を完全網羅!

モバイルビジネス最強化計画

特集2017年10月20日公開

レッツノート熱烈ユーザーインタビュー

ロバート キャンベル氏がレッツノートを愛する理由レッツ

- 幅広いフィールドでの活動を圧倒的なモビリティ性能が支える -

img_main

近世・近代の日本文学を専門とする研究者でありながら、テレビコメンテーター、新聞・雑誌連載、さらにはファッションデザインに至るまで、幅広いフィールドで活躍するロバート キャンベル氏。そんな彼が、長年にわたって愛用しているモバイルPCがレッツノートだ。現在は、大画面の「レッツノートLX4」と、画面を回転させてタブレットスタイルでも使える「レッツノートRZ4」の2台を、日々、フルに活用している。レッツノートは、キャンベル氏の精力的な活動をどのように支えているのか? 存分に語っていただくとともに、最新のタブレットモバイルPC「レッツノートXZ6」に対するインプレッションも訊いてみた。

prof
ロバート キャンベル氏
米国ニューヨーク市生まれ。日本文学研究者。専門は近世・近代日本文学。1985年に来日。現在、研究者としてのみならず、テレビ番組のMCやコメンテーター、新聞・雑誌での記事執筆、ファッションデザインまで、幅広い分野で活躍中。カリフォルニア大学バークレー校卒業。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士。

「他流試合」のような幅広い活動が全て、研究に集約されている

— キャンベルさんは日本文学研究者としてはもちろん、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌といったメディアや、ファッションの分野でも活躍されています。研究者の枠にとらわれず幅広い活動に取り組む、そのモチベーションの源泉はどこにあるのでしょう?

キャンベル これはもう、自分の性格・資質としか言いようがないですね(笑)。そもそも私は、人と一緒に何かをするのが好きなのです。私が育ったのはニューヨークの下町の、とてもおしゃべりでにぎやかな家庭で。地域的にもいろいろな人種がいて、言葉が洪水のように溢れている環境でした。一方で、私がやっている日本の近世・近代文学の研究は、まだ紹介されていない資料を、日本全国、時には海外まで行って見つけ出し、そこから問題を切り出すという、非常に実証的かつ地道なもの。ある意味孤独な研究です。本来、人と接するのが好きな私のような人間が、ずっとそういう研究ばかりしていると自然とちがうことをしたくなる。研究だけに没頭する求心力だけでなく、外に向けた遠心力も欲しくなる。それがひとつの理由ですね。

 いろいろなことをやるのは、他にも理由があります。20代、30代と、そうしたコツコツと刺繍を縫い上げるような実証的な研究を続けてきて、40代に入った頃から、自分がやってきたことがより多くの人々に伝わった時にどんな波及効果があるのかを知りたくなりました。なので、研究の傍ら、他流試合のような感覚で、様々な場に出てたくさんの人と話し、接点を持つことを自分から仕掛けていくようになったのです。私の中では、それで何とかうまく自身のバランスを取れるようになったとともに、全てのことが研究の仕事の中に集約されていっている気がします。

研究に没頭する求心力と、外に向けた遠心力の両方が必要、と語るキャンベル氏。
研究に没頭する求心力と、外に向けた遠心力の両方が必要、と語るキャンベル氏。

— テレビに出演されたりするのも、研究者としての仕事にフィードバックされていると。

キャンベル そうですね。テレビの生放送でコメントをする時に感じるプレッシャーと、それが終わって研究室や書斎に戻り、翌日までに論文なり原稿なりを書き上げなくてはならないというプレッシャーは、全く違うものです。日々の生活の中で、そうした異なった「気圧」を体感できるのは、一つひとつの仕事にメリハリをつけるという意味で、非常に良いことですね。また、研究者は時として、自分たちのコミュニティの中でだけ通じる、ローカルな言葉で語ってしまいがちです。その点、研究以外の活動をして、同じ日本語を話しているけれども全く違う言語感覚や論理構成を持っている人と接することで、自分が当たり前だと思っている言葉や論理があらゆる人に通じるという、思い上がった気持ちが払拭されます。それによって、常に誰に向けて、何を言おうとしているのか、自分を俯瞰して見られるようになったし、自分自身の言葉の持つ訴求力を客観的にチェックできるようになったと思います。

日本文学の持つ「多層性」に惹かれ続けている

- 長年にわたって日本文学・日本文化の研究を続けてこられましたが、どんなところに魅力を感じますか?

キャンベル 今私は、全世界にある、明治以前の日本の文献資料を整理し検索可能にして、世界中の研究者たちと共同研究を行えるようにする、というプロジェクトに関わっています。明治以前の日本文学の95%くらいは、まだ汎用性のあるデータに変換されずに、原本のまま残存しているのです。そしてそれらはグラデーションに富んだ、「多層性」のある物質としての特徴を持っている。最近、惹かれているのはそこですね。

 例えば、江戸時代に本を作ろうとすると、どういう本を、誰に向けて書くかによって、まず和紙の素材が選ばれます。こういう内容の本だから漉き返しの楮紙(ちょし)にしよう、こういう人を相手にするから雁皮紙(がんぴし)にしよう、といった具合ですね。また、本の形、すなわち書型も、大・小・縦長・横長などいろいろあって、それも本の内容によって変わります。つまり、本の素材や書型を見れば、それがどんな内容で、どんな人を対象としたものか分かるのです。

「多層性」のある物質としての特徴を持っている文献は、その素材からも様々なことが読み取れるという。
「多層性」のある物質としての特徴を持っている文献は、その素材からも様々なことが読み取れるという。

- そうなんですか!

キャンベル ええ。江戸時代は身分社会制度なので、通りを歩いている人を見るだけで、その人がどんな身分、すなわち「分際」なのかがひと目でわかる。着物にも、建築にも、言葉にも、あらゆるものに実は非常に細かいグラデーションがあって、それぞれの身分や社会的立場によって使い分けている。それと同じように、本にも様々な分際があって、手に取るだけで1冊ずつの社会的な位相が見えてくる。あ、これは立派な侍向けの本だな、とか、これはイケイケの大坂商人向けの本だな、とか。そのグラデーションや多層性が私にはとても面白いですね。

 それと、多層性という点でもうひとつ。日本の昔の文学は、西洋の文学と違って、文字と絵を切り分けられないものが多いのです。カットや挿絵というより、絵のまわりに文字が五月雨式に配置され、絵と文が完全に融合している。絵を引き抜いたら、文字は文字として読めるけれども意味を成さない。そうした豊かな多層性によって、当時の人の喜怒哀楽、さらには風、光、影といったものまでマテリアルとして体現している。これも非常に魅力的ですね。

※記事は執筆時の情報に基づいており、現状と異なる場合があります

レッツノートであなたのビジネスを加速する!

© 2017 Nikkei Business Publications,inc. All Rights Reserved