


2011年10月24日、宮城県南三陸町志津川漁港で、名物の秋鮭の初競りが始まりました。3月11日、東日本大震災の津波で被災してから7ヵ月余り。9月に着工した仮設魚市場がこの日、オープンしたのです。
私たちヤマトグループにとっても感慨深いニュースでした。というのも、ヤマトグループは東北の復興を目的に、見える支援、速い支援、効果の高い支援を目指してきました。この仮設魚市場はその第1弾。「クロネコヤマトの宅急便」1個につき10円の寄付金を集めて完成した、初めての施設だったからです。
東日本大震災と津波によって、東北地方は大変な被害を受け、多くの方々が犠牲になりました。住まいが奪われ、漁業や農業をはじめ地場産業がその基盤を失い、社会インフラが破壊されました。
ヤマトグループは民間企業ですが、宅急便という物流事業を通じて日本の地域社会に根差して仕事をしてきました。地域なしに私たちもまたあり得ません。だからこそ、本業での貢献、そして寄付を通じた復興再生支援の両面でお手伝いをするのは私たちの使命であり義務である、と考えたのです。
3月11日以来今日までヤマトグループが東北復興に向けて行ってきた活動についてご報告いたします。

自ら立ち上がった被災地の現地社員たち

自衛隊と連携し、救援物資の配送を行う
震災当日、東京にいた私は、「これはただごとではない」とすぐに対策本部を立ち上げ、自ら対策本部長として震災対応の陣頭指揮を執ることにしました。問題は被災地の状況がつかめないことです。テレビの映像は断片的に入ってきますが、電話もインターネットも満足につながらず、東北地方のヤマトグループの被害状況がつかめません。
ヤマトグループの東北地方の社員数は約1万人。まずやるべきは、お客様からお預かりした大切な荷物の所在確認、社員とその家族の安否確認と安全確保、そして施設や車両の被害状況の把握です。
状況確認をしながら、私たちは震災対応を大きく2つに分けて行うことにしました。
1つは、本業であり社会的インフラでもある、宅急便ネットワークの一刻も早い復旧。もう1つは、被災地での救援物資の輸送をサポートすることです。どちらも重要な仕事ですが、あまりに被害が大きいので、それぞれ独立した業務として指揮を執らなければ、混乱を来します。
宅急便ネットワークの復旧
宅急便ネットワークの復旧に関しては、会社全体で回復に努めました。震災翌日から日本全国のグループ社員の力を借り、ドライバーや車両の補充を行い、震災と津波で分断されたネットワークをつなぎ合わせていきました。全国からのべ1000人前後のグループ社員が交替しながら東北へ入り、復旧に尽力したのです。その結果、宅急便ネットワークはシナプスのように再生し始め、震災発生から約10日で復旧することができました。
現場社員が取った行動
一方で、震災から数日後、現地の社員がすでに色々な形で支援活動を自主的に始めていたことがわかりました。被災地の社員たちは、連絡のつかない本社からの指示を待つことなく、すぐに自らの判断で動き始めました。全国から集まる救援物資が避難所まで届かない状態を目の当たりにし、自らも被災していたにもかかわらず、物流のプロとして各地域の自治体に救援物資輸送の手伝いを申し出ていたのです。
このような現地社員の動きは同時多発的に被災地の各地で起きていました。社員は自ら工夫して、稼働できる配送車両を用立て、交代でガソリンスタンドの給油の列に並んで燃料を確保していたのです。
ロジスティクスの停滞は、個人と社会の命に係わる問題です。インターネットでの通信も電話での連絡もままならない中、本社の指導をいちいち仰いでいたのでは間に合いません。瞬時に現場で判断し、最善の策をとる必要があります。ヤマトグループの現地社員がそれを行えたのは、私たちが本社でも現場でも日ごろから共通の精神で業務にあたっていたからです。
その精神とは、「サービスが先、利益は後」そして「全員経営」です。これは宅急便を考案した小倉昌男元社長が、その成功に絶対に不可欠なものとして社内に浸透させた経営理念です。
まずはお客様へのサービスを徹底的に考え抜き、実行せよ。利益はその後からついてくる。けっして利益を先に得ようとしてはいけない。宅急便はサービス業である。だから常日頃お客様と接している現場の最前線こそが最も大切な経営の場である。立場や部門の区別なく、全員がヤマトグループの経営者である、という意識で仕事をしよう――。
普段から経営思想を共有していたからこそ、いざというとき、自主的に動くことができたのです。
3月下旬、ヤマトグループでは、企業としての復興支援活動を3つ、立ち上げることにしました。本業である物流業務での支援、グループ社員によるボランティア活動、そして「宅急便1個につき10円の寄付」です。



