パキスタンのダムや浄水場や学校を見て、 「なつかしくなった」わけ。

ああ、これは、自分が子どもの頃に見た風景だ――――。

世界中の発展途上国の現場を取材すると、必ずと言っていいほど、
「なつかしい」気持ちにとらわれる瞬間があります。

今回、私は、パキスタンのビジネス、インフラ、教育の
現場を取材しました。
日本の国際協力が、パキスタンの社会基盤を
改善していく過程をレポートしました。

そして、いつにも増して「なつかしい」気持ちでいっぱいになりました。
自分の子どもの頃とそっくりの風景、
かつての日本の歴史とそっくりの風景に、いくつも出合ったからです。

北部の都市アボタバード(ウサマ・ビンラディンが潜伏していた街です!)の郊外の山の上に設置されていた浄水場は、
ポンプを一切使わず高低差を利用してゆっくり濾過をする緩速濾過方式。
こちらは、昭和30年代、私が小学校の頃に社会科見学で訪れた、
いまは高層ビル群となっている新宿西口にあった
淀橋浄水場と同じ仕組みでした。

インダス川の豊富な水を利用した
パンジャブ州ガジ・バロータの水力発電所は、
戦後の日本各地で作られた巨大ダムと水力発電所とを思い起こさせました。

さらに、東部の中心都市ラホールで出合ったイスラム宗教施設に
設置された学校、マドラサは、日本のお寺に設けられた
寺子屋そっくりの仕組みでした。
教育面で遅れをとっていたパキスタンの女性たちを対象に
スタートしたノンフォーマル教育の取り組みは
日本の女学校の始まりを思い起こさせました。

浄水場でも水力発電でも女子教育でも、共通していたのは、
日本人の専門家によって、日本の「なつかしい技術」
「なつかしいノウハウ」が十二分に活用されていた、という事実です。

ここから、ひとつの示唆を得ることができます。

日本が世界の途上国に対して援助や協力の手を差し伸べるとき、
いったいどんな援助をすればいいのか、迷ってしまうことが多々あります。

そんなときは、第二次世界大戦後の日本を、
あるいは明治初期の日本を振り返ればいい。

私たちが当時、何に困っていたのか。
私たちが当時、何を充実させることで、
先進国の仲間入りをすることができたのか。
そう、日本が先進国になるための「課題」と「解決方法」を
歴史から復習すれば、それはそのまま、
途上国への援助方法の「予習」となるのです。

日本の昔は、途上国の今。日本の成長過程は、途上国の未来――――。

この視点を交えながら、パキスタンの成長について考えてみましょう。

パキスタンの成長リスク それはやっぱり「テロ」と「社会不安」

Pakistan Business

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