パキスタンの未来づくりに日本ができること

パキスタンの人口は、約1億9000万人で、
そのうち、24歳以下の若者が57%を占めます。
労働力としても市場としても有望です。

インドの西に位置し、日本から見ると、欧州やアフリカ、
そして中東への入り口にも位置します。
カラチやイスラマバードの街並みは、こういった数字や地理以上に、
パキスタンはポテンシャルと活気に満ちた国であることを
物語っていました。

パキスタンの若者に将来の夢を尋ねると、
「いい人になりたい」という答えが返ってきます。
いい話だと思われるでしょうか。
しかしこれは、将来自分がなれるものは
「いい人」くらいしかイメージできないことを示してもいます。

勉強をして、世の中にはいろいろな仕事があることを知れば、
こんな仕事をしたいという具体的な目標が生まれ、
それに向かって努力をするようになるでしょう。
テロを根絶するには、教育が必要なのです。
そして社会の基盤をつくるインフラが必要なのです。

パキスタンに対する先進国の関わり方は、
21世紀に入ってからはもっぱら「テロとの戦い」が中心となってきました。

先進国のリーダーであるアメリカを襲った
2001年9月11日の同時多発テロ。
その首謀者であるウサマ・ビンラディンが逃げ込んだ地であり、
アルカイダが暗躍する地であり、タリバンが生まれる地であり、
いくつものテロで犠牲者が出ている地であり――――。
アメリカを中心に対パキスタン政策がテロの根絶に集約されてしまうのは、
しょうがない一面があります。 

けれども、テロリストたちを根絶するには、
対処療法的に戦っていくだけではきりがありません。
むしろテロが生まれる「原因」そのものを解明し、
なくしていくことが、本当の意味での「テロとの戦い」になるはずです。

そこで、日本の出番です。インフラを作ったり教育に貢献したりして、
テロリストをじわじわと減らしていく、北風と太陽で例えれば、
太陽のような援助をしています。

しかも、パキスタンの人たちは、日本が大好きです。

パキスタンと日本は、戦後すぐから良好な関係を構築してきました。
日本はパキスタンから綿花を輸入して繊維産業で成長し、
パキスタンは綿花を売った利益で潤いました。
1950年代60年代、カラチでは日本の商社マンが大勢働いていました。

パキスタンの人たちは、今もそれをよく覚えています。
また、ヒロシマ・ナガサキの悲劇についてもよく知っています。
イスラム社会から敵視されがちなアメリカに負かされて、
驚異的な回復をした日本を驚嘆の目で眺めています。
街を走っている車の9割以上が日本車です。

ところが、自動車を除くと、現在パキスタンに進出している
日本企業は限られています。

日本にはパキスタンといえばテロといったイメージがあり、
また、パキスタンの潜在的な市場規模を見過ごして、
投資機会を逃している、という側面があります。
パキスタン側では、日本からの投資を心待ちにしているのですが、
プレーヤーは限られています。パキスタンで働く日本人は
この状況を「パキスタンの日本への片思い」と表現しています。

日本のことが好きなパキスタンで、日本もかつて抱えていた
社会的な課題を解決すれば、パキスタンという国は
より大きく開花するでしょう。
すでにパキスタンでビジネスをしている日本企業は、
開花に向けての成長を実感しています。
パキスタンの教育水準が上がり、生活レベルが向上し、
経済的に成長すれば、今以上に日本の製品を買ってもらえて、
日本にもいい影響を与えます。

パキスタンは地政学的に見るとイスラム圏のハブになります。
アフリカ、中東と、東南アジアとのちょうど真ん中に位置します。
アジア文化圏ともヨーロッパ文化圏とも中東文化圏とも
アフリカ文化圏とも近く、インド洋に面しているため海路も利用可能です。

いま、世界的に注目されているのは16億人を超えるといわれる
イスラム圏の経済成長です。
イスラムの教えに則った「ハラル」食材や化粧品などは、
まだまだ工業製品化が遅れており、逆にいえば、
広大な未開拓の市場が広がっています。

1億人以上の若い人たちが暮らすパキスタン。
そのパキスタンからテロの恐怖が取り除かれ、社会インフラが整備され、
女性を含む国民の教育水準が向上したら――――。
そこに巨大な市場が生まれることは論をまちません。

そのためにはまず足固めが必要です。
日本の国際協力で、数年後、パキスタンのインフラは、教育は、
どう変わっているのでしょうか。

パキスタンの明日を、いつかまた取材して、
皆さんに報告したいと思います。

Pakistan Business

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