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食品流通業界にとってTPPは追い風か逆風か

2015年10月5日、環太平洋経済連携協定(以下、TPP)の交渉が大筋合意に達したという声明が発表され、その後、日本政府から合意内容の詳細が明らかにされた。TPPが発効されれば、多くの品目の関税が撤廃され、参加する12カ国の地域の貿易が一気に自由化される。この動きは食品流通業界にどんな影響を与えることになるのか。

※ここに掲載している記事は、2015年10月23日に行われたマネージメントセミナーの講演内容です。

成長戦略とされる一方で懸念材料もあるTPP

 TPPはいくつも同時に進められている広域な自由貿易協定、メガFTAの1つ。日本は自らの国益を守るために、ルールをつくる側に立つことを狙ってTPPの交渉に参加した。日本の通商政策に詳しいみずほ総研の菅原淳一氏は、TPPを「極めて高い水準の自由化と高度な国内規制の規律を特徴とする21世紀型のメガFTA」と定義する。

菅原 淳一 氏
みずほ総合研究所
調査本部 政策調査部 上席主任研究員
菅原 淳一 氏

 そこで実現されようとしていることは、大きく3つある。貿易投資の自由化、共通ルールの策定、そして国内改革の進展である。「市場を開放して輸出や輸入を活発にする自由化はもっともわかりやすいメリットですが、12カ国で共通のルールが策定されれば、国境をまたぐ事業活動が円滑になり、活性化が期待できます。また、TPPが起爆剤となって、これまで進まなかった国内改革が進むことも期待されています」と菅原氏。この国内改革の1つが農業改革である。

 12カ国という広域な市場が一体化されることで、域内の経済は活性化する。そこではサプライチェーンやバリューチェーンの再編による域内分業体制の効率化や最適化が進み、新たなビジネスチャンスも生まれてくる。「日本の立地競争力が向上し、日本を拠点とした事業活動が活性化すれば、空洞化の抑止や雇用の維持、イノベーションの創出につながります。まさに成長戦略としてのTPPとはこの点を指しています」(菅原氏)。

 一方で、懸念材料もある。まず挙げられるのが、国内農業への打撃だ。TPPには、アメリカ、オーストラリアといった農産物輸出大国が参加しているだけに、国内農業が壊滅的な打撃を受けることになりかねない。国内の農林水産業が打撃を受ければ加工業などの関連産業も打撃を受け、それが地域経済を疲弊させる。これが2つめの懸念だ。そして、TPPに伴って国内の規制や制度が改変され、食の安心・安全が脅かされるなど、国民生活への悪影響も懸念される。

 「こうした懸念を払しょくするために、日本の主張がどれくらい反映されているのかを精査し、国民に詳しく説明するとともに、TPPによって生じる痛みに対する対策の立案と実行が求められています」と菅原氏は、政府による対応の必要性を指摘する。

日本の農業生産物がTPP交渉のターゲットに

 TPPの大筋合意の概要から日本経済への影響を考えてみよう。工業製品については日本に対して11カ国で99.9%の品目の関税が撤廃される。「ベトナムやマレーシアでは小売業や銀行などの外資規制が緩和され、政府調達市場にも参入機会が約束されました。これは大きなビジネスチャンスです」と菅原氏は解説する。外国企業と国有企業との公正な競争のためのルールも盛り込まれている。

 ただ、TPPはこれでそのまま発効するわけではない。発効要件として、12カ国すべてが国内手続きを完了する必要がある。ただし、署名から2年経てば域内のGDPの85%以上かつ6カ国以上の国内手続きが完了すればTPPは発効する。アメリカと日本のGDPの合計は全体の78.2%になることから、アメリカと日本のいずれかが欠けると発効要件が満たせなくなる。理論上、最短では2016年中にも発効が可能だが、いまだ発効の時期は明確になっていない。

 TPPが発効した場合、日本企業にはどんな影響がもたらされるのだろうか。大筋合意前の政府の試算によると経済全体への影響は実質GDPが3.2兆円増加し、農林水産物の生産額が3兆円減少するとされていた。菅原氏は「この減少分の3分の1が米です。ただし、この政府統一試算の前提条件はすでに変わっていますが、政府は農林水産生産額にそれほどの影響はないとみています」と説明する。本当にそうなのだろうか。

 現在日本の農産物の平均関税率は14.3%。韓国は52.7%だがEUでは12.2%であることを考えると決して低くはない。ただし、全品目の22.8%が関税率ゼロで、関税率10%未満が有税品目の22.1%を占める。「高いイメージがあるのは、米や大麦、小麦、乳製品などが従量税で守られているからです。TPP交渉ではこれらがターゲットになりました」と菅原氏は指摘する。

大筋合意後の展望
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自由化とルール変更が国内の食品ビジネスを変える

 今回の大筋合意で食品関連の関税の交渉はどうなったのか。日本は全品目の95%の関税を撤廃するという。内訳は工業製品は100%、農林水産品は81%だ。「今までの経済連携協定では89%が最高でしたから、かなり自由化に踏み切ったと言えるでしょう」と菅原氏。しかし、他の11カ国すべてが全品目で100%と99%の撤廃率であることを考えるとまだまだ高い。

 これを米、大麦・小麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖など甘味資源作物の重要5品目で見ると評価は2分される。生産者側は米の輸入枠設定や牛肉関税の大幅削減が約束されたことを国会の委員会決議に反すると批判し、一方の農業推進派は、自由化の水準が低くとどまったことで農業改革の起爆剤としては力不足と批判する。

 政府は“聖域”は守られたと自己評価する。「確かに、アメリカの国別枠の要求を低く抑えたことなどを考えると、米については頑張ったと思いますね」(菅原氏)。一方、“聖域”以外では関税撤廃も多い。果樹や牛肉、チョコレートなど、これまでの経済連携協定で関税撤廃したことがない農林水産物834品目のうち約半数について関税が撤廃される。

 加えて、各分野のルールや自由化はさまざまな形で食品関連産業に影響を及ぼす可能性がある。割当枠の拡大、TPP特恵関税の適用、通関の円滑化と検疫制度の変更、食品表示や商標、地理的表示の制度の変更などはビジネスのやり方自体を変える。また、電子商取引の法整備が進むことで、中小企業でも海外取引ができるようになる。

 「たとえば加工食品では、国内の原材料の生産者、加工業者、流通業者それぞれに、ポジティブ、ネガティブ両方の影響があるでしょう。全体としてポジティブになるかどうかはビジネスモデル次第です」と菅原氏は影響を予測する。

 TPPで想定される影響は6つ。原材料と加工食品、電子商取引の3分野における日本と相手国のそれぞれの対応だ。たとえば日本の原材料についての関税の削減・撤廃、割当枠の拡大があれば、相手国でも同様の動きがあり、さらに検疫の緩和といった貿易円滑化の動きもある。こうした変化は原材料の生産者、加工業者、流通業者にポジティブ、ネガティブ両方の影響をもたらす。

 「原材料の価格が下がれば加工業者は有利になり、流通業者も売上や利益が増える一方で、海外の流通業者が日本に進出してきて、競合が増えることもあります。こうした変化が起きることで、垂直、水平の業界再編へとつながる可能性も大きいと思います」と菅原氏は語る。

 最後に菅原氏は、TPPと同時並行で進む日中韓FTA、日・EU・EPA、RCEPという他の3つのFTAのことに触れ、「安倍政権は2018年までにFTAカバー率70%を目標にこれらの4つのメガFTAを進めています。これらの動きにも注意が必要です」と指摘する。現状のFTAカバー率は22.3%にすぎない。今後、国内のビジネスでも大きな影響が出ることは避けられないだろう。それをどうやってビジネスチャンスにするかが問われているのである。

食品関連産業に影響を及ぼす可能性のある交渉分野(例)
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