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ビジネスを変革する、モバイルファースト

タブレットやスマホなどのモバイルデバイスを活用して業務の生産性を向上させる“モバイルファースト”が注目されている。そこでは、これまでの常識を覆すような新たなビジネスモデルも生まれている。このモバイルの波を味方につけるには何が必要か。“モバイルの伝道師”として活躍するソフトバンクの中山五輪男氏と、先進企業の経営革新を数多く取材してきた日経BPイノベーションICT研究所 所長の桔梗原富夫が語りあった。

テクノロジーの進化がモバイルの活用領域を広げた

―企業のモバイル活用はどのように進んでいるのでしょうか。

ソフトバンク株式会社
首席エヴァンジェリスト

中山 五輪男 氏
<Profile>
1964年5月、長野県伊那市生まれ。法政大学工学部電気電子工学科卒業。日本DEC、日本SGI、EMCジャパンを経て2001年ソフトバンクBB(現ソフトバンク)に入社。現在はソフトバンク社およびソフトバンクロボティクス社の首席エヴァンジェリストとしてiPhone、iPad、Surfaceなどのスマートデバイス、各種クラウドサービス、パーソナルロボットPepper、IBMの認知型コンピューターシステムIBM Watsonの4分野について、年間300回以上の全国各地での講演活動を通じてビジネスユーザーへの訴求活動を行っている。

桔梗原 モバイルの活用には大きく3つの段階があります。最初が「電話機の代替」としての導入、次が「生産性向上」のための活用、そして最後の段階がモバイルによる「ビジネスモデルの革新」です。
 たとえば、2013年に資生堂が約1万1000人の美容部員(ビューティーコンサルタント)にiPadを支給し、化粧品売り場でメイクアップのシミュレーションをしながらカウンセリングを行うようにしました。これなどは今までできなかったことをモバイルによってできるようにした、という意味でビジネスモデルの革新と考えることができます。
 モバイルファーストという言葉を使っていなくても、モバイルでどうビジネスを変えるのかという発想は当たり前になっています。

中山 製薬会社のMR(営業担当者)には、一気にモバイルが普及しました。忙しい医師に情報を提供するには、廊下を歩きながら説明するなどの機動性が必要です。そこでは片手で操作ができてバッテリーが長時間持つiPadが最適のツールだったんです。医療の世界では電子カルテとの連携も多いですね。
 また、シンクライアントとして使われたこともタブレットの普及に拍車をかけました。iPad向けにシステムを改変するのではなく、シンクライアントでiPadを会社のパソコン代わりに使うケースも増えました。

桔梗原 専用端末の代わりにタブレットをシンクライアントとして利用すれば、導入もスムーズですし、汎用のデバイスを使えば保守料金の削減という副次的な効果も期待できます。

―テクノロジーの進化がモバイルの普及に拍車をかけているという見方もできますね。

中山 面白いのが建設会社の現場監督の例です。建設会社から派遣される現場監督は、実は現場で孤立しがち。しかも若くて経験が少ないので、現場での対応は大変です。それがモバイル活用によって本社のスタッフとの情報交換が迅速にやり取りできるようになり、ストレスが軽減されたそうです。その背景にあったのは、4Gによるデータ通信の進化でした。テレビ電話を通してきれいな画像でやり取りすることで、現場の疑問がその場で解消できるようになったんです。

桔梗原 もう1つ、モバイル活用に大きな影響を与えているのがクラウドです。名刺や資料などをデジタル化してクラウド上に保管してくれるサービスが手軽に使えるようになり、モバイルの強みが生かせるようになりました。
 すでにコンシューマー自身がモバイルとクラウドを使いこなしていることも企業コンピューティングに大きな影響を与えています。ふだん使っている「便利さ」を企業システムにも求めるのは当然です。それが企業のモバイル活用を後押ししています。

モバイル化を阻む要因は、経営者のマインドや組織風土に

日経BPイノベーションICT研究所
所長

桔梗原 富夫
<Profile>
SI会社を経て1987年、日経BP社に入社。一貫してICT分野を担当。「日経コンピュータ」「日経Windows NT」などの記者・副編集長として、主に企業情報システムの動向やICTベンダーの経営・製品戦略を取材・執筆。「日経IT21」編集長、「日経ソリューションビジネス」編集長、「日経コンピュータ」編集長を歴任し、2010年コンピュータ・ネットワーク局長、2012年執行役員、2013年1月より現職。豊富な経験と知見を生かし、ICT活用によるイノベーション創出や攻めのICT経営などをテーマに幅広く活動している。

中山 一方で、いまだに紙の文化が根強く残っている企業が多いのも事実です。都市部とそれ以外の地域の温度差も感じます。中にはネット上でデータがやり取りされることに不安を覚える経営者もいます。今、モバイル活用は二極化しています。やはり経営者のマインドの違いが大きいと思います。
 私が印象に残っているのは、2008年にソフトバンクの社員全員にiPhoneを貸与した時の、社長(当時)の孫(正義)のメッセージです。当時はまだ「iPhoneを導入すると社員が遊びに使うから入れない」と考える経営者が多かった。でも、孫は違いました。「ぜひ、遊んでください」と言うんです。織田信長も幼少のころ鉄砲を撃ってその優位性を学んだといいます。最初は遊びでもいいから使ってみる。それがモバイル活用を理解する近道になります。
 また、2011年に全日空(ANA)が世界で初めてグループの客室乗務員全員にiPadを導入したのも印象的でした。それにより、客室乗務員が機内に持ち込むマニュアル類をなくすことができた。キャリングケースの中身の3分の1は紙のマニュアルと言われていましたから、その効果は大きかったのではないでしょうか。

桔梗原 優秀な経営者は発想が違う。ファーストリテイリングの柳井(正)社長も自ら率先してITを駆使するタイプで、デジタルの破壊力をよく理解しています。同社のCIO(最高情報責任者)が質問攻めにあい、ついていくのが大変だそうです。ITに詳しいというよりも、ビジネスに対するインパクトに気づいているんでしょうね。


中山 組織の特性というのもあると思います。自治体などはまだまだ紙文化です。クラウドのように、データをネットワークで扱うことにネガティブな面もあります。

桔梗原 都道府県CIOフォーラム(各都道府県および関係団体の情報化統括責任者で構成された任意団体)でよく耳にする悩みは共通しています。セキュリティーをどう担保するか、どう予算化するのかという点です。特にセキュリティーに対する懸念は大きいですね。

―モバイルのセキュリティーはどう考えればよいのでしょうか。

中山 仮想デスクトップやシンクライアントなどインフラの整備を進めるとともに、MDM(モバイルデバイス管理)ソリューションを導入することが大事です。万が一、タブレットやスマホを紛失したり盗難に遭ってもデータを守ることができるので安心です。

桔梗原 使用環境によってセキュリティーのレベルを変えることもできます。働き方に合わせてデバイスを選び、それに合わせた管理ソリューションを考えるべきです。すべてを全社統一にする必要はないと思います。

世の中の動きを知れば、答えは見えてくる

―コスト面はどう考えればよいでしょうか。

桔梗原 モバイルのROI(投資対効果)を把握するのは難しい。たとえば、営業担当者がタブレットを持っていれば、移動中でも報告などは完了します。その分の時間を客先での交渉に使えばビジネスの機会は増えます。また、モバイル活用で迅速な報告ができれば、それはスピード経営にもつながります。それをどう数値化するか。

中山 最近ではモバイル化の効果をグラフや数字を活用することで、いろいろな波及効果があることを可視化する手法も試されていますので、活用するのもよいと思います。

桔梗原 ヘルプデスクなどでは考え方を変えることでコスト削減をしようという取り組みも進んでいますね。今まで電話で応対していたところを、システムで完結できる部分を増やしてトータルでコスト削減を図るなど。

中山 弊社では今、IBM Watsonを活用した「SoftBank BRAIN」というアプリケーションを開発中です。コグニティブ(認知型)・コンピューティング・システムのIBM Watsonと、営業支援システムやCRM(顧客情報管理)と連動させた究極のアドバイザーシステムです。社内の情報を学習し、自然言葉によるやり取りで最適な答えを教えてくれます。法人営業やコールセンター、社内ヘルプデスクなどで活用していく予定です。これは強力な営業ツールになるでしょう。

―Watsonなどの認知型システムや人工知能がモバイルと連動するようになると、ますます二極化が進んでいきそうですが。

中山 私は徐々に解消していくと思います。経営者の世代交代も進むでしょうし、市場からの退場を余儀なくされる会社も出てくるはずです。

桔梗原 デジタルイノベーションに取り組めないところは、確実に業績の差が出てくるでしょう。自社で車を持たずに世界最大のタクシー会社になったUber(ウーバー)のように、破壊的なイノベーションが現実に起きています。ある日、突然退場を言い渡されるような怖い時代でもあります。

中山 経営者の方には、他社の事例なども含めて世の中の動きをもっと知ってほしいですね。実は使用するデバイスはどうでもいいんです。大事なのは、どういう体験(エクスペリエンス)をお客様に提供できるかです。そのためにはどんな仕組みが必要なのか。そこからICTのインフラを考えていただきたい。

桔梗原 タブレットやスマホなどのモバイルデバイスを活用すると成果がわかりやすい。だから注目されているだけで、大事なのはビジネスモデルやワークスタイルを変えることなのではないでしょうか。

 年間300回以上の講演をこなすエヴァンジェリストである中山氏と、「日経コンピュータ」などの編集長を歴任してきたジャーナリストである桔梗原の対談だけに、テクノロジーから経営まで幅広い話題で意見が交わされた。そこから見えてきたのは、常に本質を見抜く目の大事さだ。変化の激しい環境だからこそ、表面的な変化や新しさではなく、本当に何をすべきかを見極めた対応が求められているのではないだろうか。

提供:日本アイ・ビー・エム