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【普通の社員を開花させる】小田急電鉄のロマンスカークレドの取り組み

組織が強くなるために必要なこと。それは、従業員全員が「誇り」に思える何かを持つこと。従来は、「決められたことを決められたようにやるのが当たり前。余計なことをすると事故につながる」という企業風土のなかで、新たに「クレド(信条)」を作った小田急電鉄株式会社。多くの人に愛される「ロマンスカー」に対する想いを、クレドを通じて再認識したことで、社員間で大きな意識改革が生まれたそうです。どうやってクレドを作っていったのか。クレドづくりに外部から関わったヒューマンバリューの川口大輔さんを聞き手に迎え、クレドがどう浸透していったのかを、伺いました。

花形商品・ロマンスカーの低迷が、クレド誕生のきっかけ

川口大輔さん(以下、川口):「みんなが喜ぶロマンスカーにしていこう」 。2011年12月に誕生したロマンスカークレドですが、この一文ができたことで、運転士や乗務員、アテンダント、ロマンスカーに携わるすべての人々の意識に大きく変化が生まれたと聞いています。今日は、当時のクレド作りに携わった方々を迎えて、クレドに込められた想いや作るまでの経緯について、伺えればと思っています。

田島寛之さん
運転車両部長
田島寛之さん

運転車両部長 田島寛之さん(以下、田島):そもそも、クレドを作ろうと考えた最初のきっかけは輸送人員の減少です。2000年代頃から年々少なくなり、小田急電鉄の花形商品であるロマンスカーでさえも、徐々に低下していました。2005年に当時の新型車両であるVSEが登場したにも関わらずです。VSEに乗る人が増えていても、LSEやEXEなどの車両に乗る人が減っていた。つまり、ロマンスカー自体の価値が大きく低下しており、強く危機感を抱きました。

運転車両部 課長代理兼渉外主査 稲葉裕行さん(以下、稲葉):当時、乗務員やアテンダント、それぞれがサービスへの気持ちは持っていたのですが……。その目指すべき方向性は結構バラバラでした。

そこで、他社さんで、自分たちの想いを込めたクレドを作り、業績回復に成功した事例を耳にしていたこともあり、私たちにも、乗務員たちがひとつの方向に向かっていくための指標(クレド)が欲しいと思ったのです。新型車両を導入してハード面では整ったので、次はソフトにフォーカスするという流れです。

喜多見車掌区区長 久保寺巧さん(以下、久保寺):乗務員のなかにも、お客様中心のおもてなし心に長けている乗務員もいれば、「言われたことだけやっていればよい」という乗務員、そして「ロマンスカーには全く興味がない」という乗務員がいました。それぞれ温度感が違う人たちにも刺さるクレドを、どうやったら作ることができるのか 。それが一番の課題でした。

若手からベテランまで。みんなが納得できるクレドを作るまで

川口:2010年12月にロマンスカークレドを作るプロジェクトがスタートしました。プロジェクトチームの人選はどのように決めていったのでしょうか?

田島:「想いが強すぎる人だけでクレドを作っても意味がないよね」とは思っていました。温度感が高い人も低い人も、全員を同じように巻き込んでいく必要がある。なので、若者からベテランまで幅広い年齢層で、自ら志願した人や運営側が選んだ人など、バラエティに富んだメンバー構成にしました。

川口:クレドをうまく活用している企業さんをピックアップして、フィールドワークに行きましたよね。

時田大資さん
海老名車掌区 指導主任
時田大資さん

海老名車掌区 指導主任 時田大資さん(以下、時田):まずはディズニーランドのオリエンタルランドさんと、JR九州さんに伺いました。あとは、ホンダカーズ中央神奈川店さん、日本郵政さん、リッツカールトン大阪さん、加賀屋さんなど、自分たちが過去に受けたサービスや人伝えに来て、「良いサービスだな」と思った会社さんを決めていきました。

とても参考になったのがJR九州さんです。特にアテンダントさんの関わり方が印象的でした。彼女たちは裁量がすごく広い。例えば、自分たちが考えて開発したお弁当やグッズをどんどん販売できる。自分ならではのサービスができるからこそ、さまざまなことを自発的に学ぶのだそうです。権限の譲渡と責任のとり方をうまく両立させることで、「お客様に喜ばれるサービスを提供できるのだな」と強く感じました。

田島:ヒアリングに行ったメンバーたちからのフィードバックで思ったのが、「お客様のニーズに的確にこたえること」と、「ルールを厳守すること」は両立しないということです。もちろん安全のためにルールの遵守を徹底することは大事ですが、サービス面については、乗務員たちが自分で考えて行動したことがお客様の評価につながることに気付き始めていきました。また、会社の上層部がそうした変化を受け入れ始めたことも重要でしたね。

東日本大震災で、史上初の運休33日間。その間に再確認できた「ロマンスカーへの愛」

川口:いよいよ本格的に始動しようとした矢先、東日本大震災が起きプロジェクトもストップしました。

佐藤栄さん
海老名電車区 指導主任
佐藤栄さん

海老名電車区 指導主任 佐藤栄さん(以下、佐藤):震災の影響で33日間ロマンスカーは運休していました。「ロマンスカーへの思い入れは特にない」と語っていたベテランの運転士も、「走ってないと寂しい」と話しているのを聞き、やはり大きな存在なのだなと。震災は温度感が低かったメンバーの気持ちに変化を生じさせた分岐点だったと思います。

その後、ロマンスカーが運転再開の日を迎えたときの話なのですが、一番列車が箱根湯本駅のホームに近づいたとき、箱根町の旅館の女将や従業員の方たちが手を降って待っていてくれたのだとか。運転士はその光景を見て 「こんなにも多くの人がロマンスカー再開を待っていてくれたのか」と思わず涙してしまったそうです。

新型車両のセレモニーでもなければ、終点の箱根湯本駅にたくさんの人が集まっていることはありませんからね。箱根町にとっても大切な存在なのだと私たちも知りました。

田島:これまで「ロマンスカーは小田急のもの」だと勝手に思っていましたが、 働いている人だけではなく、沿線にお住いの方々にとっての「ロマンスカーの価値」というものもあるんだ 、と改めて認識させられました。

時田:この期間は、改めてロマンスカーを考える時間としても重要でしたね。クレドの文言をつくるキーワードを探そうと思い、区員全員へのインタビューを実施しました。

川口:全員へのインタビューはいかがでしたか?

時田:すごく成果がありました。温度感が低いと思っていたベテラン乗務員に対しても、丁寧にヒアリングしていくと、自然とロマンスカーに対する想いが溢れてきて、最後には「俺、ロマンスカー好きだったわ」という一言が、いろんな人から出てきたのが印象的でした。

久保寺:マインドが高い人から低い人まで、心の中でロマンスカーというモノを持っているんだなと思いましたね。

川口:結果的に「みんなが喜ぶロマンスカーにしていこう」というクレドになったわけですが、この文言を決めるだけで、1日以上かかりましたね。

久保寺:そうなんです。「みんな」を漢字にするのかひらがなにするのか。「していこう」なのか「する」なのか、議論に非常に時間がかかりました。小田急電鉄は「石橋を叩いて叩いて渡らない鉄道会社」と社内でも言われていましたが、枠を取り払って、「いろんな人に受け入れられるものにしたいな」という気持ちが強かったのだと思います。