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第10回・変化を恐れず社内を変え続ける

HILLTOPの山本昌作副社長、山本勇輝経営戦略部長に聞く

日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2018年11月26日(月)

東京・武蔵境自動車教習所の髙橋明希社長が、経営者としての腕をさらに磨くため、キーパーソンから「人材採用・育成」「働きがい」などについて学んでいくシリーズ。第10回目は、HILLTOP(ヒルトップ、京都府宇治市)の山本昌作副社長、その長男である山本勇輝経営戦略部長の2人がゲスト。熟練技をデータベース化し、多品種単品の無人加工を実現。機械にできることは機械に任せ、人間は人間にしかできない仕事をする。そんな発想で下請け工場から大転換を果たしたアルミ加工メーカーのユニークな組織や人材育成法とは。

下請け部品加工から試作専業に転換

髙橋:HILLTOPは、自動車メーカーの孫請け工場から試作専業のトップメーカーへと変貌を遂げています。それに伴って、社員のみなさんは単純作業の繰り返しではなく、人間にしかできない創造的な仕事をするようになりましたね。なぜこうした会社に変われたのか、まずそこから教えてください。

山本昌作副社長(以下、山本(昌)):HILLTOPは、私の父が1961年に創業した山本精工所が始まりです。私の兄(山本正範社長)が幼い頃、薬の副作用で耳が不自由になり、「将来、就職口がなかったときのために」という親心からつくった会社です。私は商社に内定していたのですが、母に懇願され、仕方なく家業を手伝うことになりました。

 当時、従業員は5、6人ほどで、自動車メーカーの孫請けです。ひたすら来る日も来る日も同じ部品を大量に作り続けるというのが嫌でたまりませんでした。

 あるとき研修で、取引先の工場のラインに入ったのです。単純作業の繰り返しで、時計に目をやると、針の進みが遅い気がする。

山本昌作(やまもと・しょうさく)
1954年京都府生まれ。立命館大学卒業。77年、家業である山本精工(現HILLTOP)に入社。工場長、常務を経て、2003年から副社長。名古屋工業大学工学部非常勤講師も務める
写真:宮田昌彦

HILLTOP

1961年に山本精工所を創業。71年に山本精工に社名変更。80年に株式会社化。80年代に自動車メーカーの孫請け企業から、多品種少ロットのアルミ試作企業へ転換を果たす。2014年に山本精工からHILLTOPへ社名変更。同年米国現地法人を設立。売上高は17億3000万円(2018年3月期)、従業員数120人

髙橋:面白くないことをやっているときって、「まだこんな時間か」と思いますよね。

山本(昌):だから冗談めかして、こう言いました。「時計が壊れています。どう考えても1時間たつのに、30分しか時計の針が進んでいません。直したほうがいいですよ」って。

 すると、そこの先輩が「山本君、それはみんなが陥る初期症状や。君は頭の中で何かいろいろなことを考えているだろう。あかん。ものを考えるな。頭の中を真っ白にしたほうがいい。気が付いたら材料がなくなっているようにしないと、この商売は続かない」と言う。

髙橋:そうでないと、やっていられないということですよね。