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第3回・織田信長――明智光秀

水谷 俊樹 作家・漫画原作者
日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2018年6月18日(月)

天下布武を掲げた信長は、将軍候補・足利義昭という“大義名分”を得て念願だった上洛を成功させる。

両者を取り持ったのが明智光秀だ。光秀は成果主義(実力主義)を標榜する信長のもとでその才能を存分に発揮し、出世の階段を超スピードで駆け上っていった。

しかし、人を道具のように捉え、性能のみで考えていた信長に対し、やがて光秀は“本能寺の変”という凶行に走る。2人の間に何があったのか――。

年功序列や終身雇用など従来の日本的経営が崩壊し、成果主義による人事評価が主流となりつつある現代にも通じる問題を信長と光秀の関係から考察する。

織田信長は明智光秀の取り持ちで、将軍候補である足利義昭を美濃の立政寺で迎えたとされる(イラスト=月岡エイタ)
織田信長は明智光秀の取り持ちで、将軍候補である足利義昭を美濃・立政寺で迎えたとされる(イラスト=月岡エイタ)
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「やってやろうじゃないか」

 バブルが崩壊した1990年代以降、日本的経営の象徴だった終身雇用や年功序列といった人事制度は幻想と消え、近年では成果主義(実力主義)を導入する企業が増えつつある。

 よく誤解されることだが、“弱肉強食”の乱世とはいえ、戦国時代の大名家が皆、成果主義だったわけではない。当時、ほとんどの大名家では、家臣の序列は決まっていた。代々、その家に仕えてきた譜代の重臣を飛び越え、いわゆる中途採用の外様や一介の牢人(ろうにん)が偉くなることはなかった。

 そんななか、徹底的な成果主義を導入したのが、織田信長(1534~82)率いる織田家だ。

 これまでも述べてきたように、信長は人を道具のように捉え、性能のみで考えていた。だから身分や出自を問わず、その人物を見て召し抱えた。そして家臣がやりたいと言えば平等に機会を与え、実力を発揮した者を抜擢した。

 信長は、家臣の人間性や個々の事情を斟酌(しんしゃく)しない。裏方でも成果さえあげれば平等に評価する。槍を手に戦場を駆ける戦闘部隊も、後方にあって食糧や弾薬などを運搬補給する支援部隊も同じように目をかける。
「やってやろうじゃないか」

 日々の成果が報酬に直結する成果主義は、織田家の家臣たちのモチベーションを上げた。家臣はスキルアップを図り、それぞれの役割のなかで成果をあげられるよう切磋琢磨し、個々の能力向上に努める。結果、それは織田家躍進の原動力となった。