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第4回・織田信長――蒲生氏郷

水谷 俊樹 作家・漫画原作者
日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2018年7月17日(火)

織田信長は家臣となった武将たちの子息を人質として身近に置き、日常の行儀作法や戦場での軍隊の規律を教え育てた。そして目を付けた者にはその後も実戦経験を積ませるなど、いずれ自分の懐刀や右腕となる人材の育成に力を入れた。

現代でいえば、インターンシップで働く学生に早くから目を掛け、入社後は様々な部署に異動させたり新規事業を任せたりして幹部候補として教育するようなもの。

いわば信長流ともいえるこの人材育成法で頭角を現したのが蒲生氏郷(がもう・うじさと)だ。

その資質を信長に認められた氏郷は、信長の背を見ながらリーダー学を学び、見事に実践してみせた。

今回はそんな2人の関係から、人材の発掘・育成法について考察する。

少年時代の蒲生氏郷は、夜半に及んだ稲葉一鉄(いなば・いってつ)の話にじっと聞き入ったという。織田信長はその優れた資質を見抜き、独自の英才教育を施した(イラスト=月岡エイタ)
少年だった蒲生氏郷は、夜半に及んだ稲葉良通(いなば・よしみち)の話にじっと聞き入ったという。織田信長はその優れた資質を見抜き、独自の英才教育を施した(イラスト=月岡エイタ)
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信長流人材育成

 新入社員は企業の将来を背負う大切な人材だ。

 特に次代の経営を担う幹部候補の育成は、どの企業にとっても最重要課題といえる。

 戦国の覇王・織田信長(1534~82)は、将来有望な10代の少年たちに自ら英才教育を施した。

 そんななか、次代の織田家を支えるべく、信長に最も期待されたのが蒲生氏郷(がもう・うじさと/1556~95)だ。

 永禄11年(1568)9月7日、信長は自国の尾張と美濃、同盟者である三河の徳川家康(1543~1616)、北近江の浅井長政(1545~73)の兵など6万を動員して上洛戦を敢行。約3週間後の26日には室町幕府15代将軍候補・足利義昭を奉じて上洛を果たした。

 氏郷の父・蒲生賢秀(かたひで/1534~84)は南近江の六角氏の重臣で、この上洛戦の過程で信長の軍門に降(くだ)る。その人質として信長の許へ送られたのが13歳の氏郷だ。

 この頃、岐阜城には氏郷と同じような境遇の子供たちがいた。

 戦国時代の人質と聞けば、フラストレーションが溜まる暗い生活を想像する。しかし、当時の人質の預かり元は、とりわけ人質を牢に監禁していたわけではない。

 特に信長の場合、人質を身近に置き、日常の行儀作法や戦場での軍隊の規律を教導した。

 なぜか。

 人質が成長して一廉(ひとかど)の将となれば、戦力になるからだ。

 一方、人質となった子供たちにとっても、メリットはあった。日々、同じ境遇の者と交流し、その家の諸将とも顔見知りになる。気がつけば人的ネットワークが広がっていた。

 彼らは信長の背中を見ながら能力向上に努め、領国経営や戦場における戦略・戦術を身に付ける。その過程で信長に認められれば、一躍、次代を担う幹部候補に抜擢された。