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第7回・豊臣秀吉――加藤清正

水谷 俊樹 作家・漫画原作者
日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2018年10月17日(水)

代々仕える譜代の家臣がなかった羽柴(のち豊臣)秀吉は、即戦力となる人材を外部に求める一方、若手家臣の育成に力を注いだ。その1人が秀吉の母の従姉妹の子である加藤清正だ。秀吉は彼ならではの方法で上手に清正を取り立て、清正は適材適所の人材登用など秀吉を手本として実力をつけていく。

そして、清正は九州征伐の後、肥後での一揆鎮圧とその戦後処理などで秀吉に大きく貢献する。

今回は、秀吉と手塩にかけて育てた清正の関係から、若手の人材登用・育成について考える。

一説に、一揆後の肥後統治を申し出たといわれる加藤清正。秀吉はその的確な具申に、清正の成長ぶりを喜んだという(イラスト=月岡エイタ)
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一説に、一揆後の肥後統治を申し出たといわれる加藤清正。秀吉はその的確な具申に、清正の成長ぶりを喜んだという(イラスト=月岡エイタ)

「本当に大した奴だよ、あの男は」

 どこの業界にも、部下の悪口や陰口を言う上司はいる。

 これは企業規模の大小、役職の高低、年齢の上下は関係ない。

「またアイツがミスしてさ――」
「なんでアイツに任せると、こんなに時間がかかるんだ? 俺だったら――」

 その上司は対象の部下がいないところで、自分は悪くないことを主張する。彼は一方的に聞かされる周囲のストレスなど気にしない。ただひたすら自分の保身だけを考えて吹聴する。

 上司が去ったあとの職場の雰囲気は最悪だ。当然、士気は下がっている。そして周囲は思う。
(この人、間接的にプレッシャーかけてる? というか、自分がいないところで同じことを言ってるな)

 なかには取引先の前で、まるで部下の失敗を自分の“十八番ネタ”のように嬉々として話す人も。
「また、うちの〇〇がミスしましてね――」

 最低だ。誰も得をしない。わざわざ自らこう宣伝しているようなものだ。
「私は部下を育成できません!」

 もはや、その上司は反面教師でしかない。

 さて、羽柴秀吉(のち豊臣、1537~98)は、天下を獲るまで他人の悪口や陰口を言わなかったという。
(なるほど、そうかもしれない)

 真偽はともかく、一瞬でも後世の人々にそう思わせるのは、現在も語り継がれている秀吉のエピソードの影響だろう。とにかく彼は、自らをより良く見せることがうまかった。

 織田信長(1534~82)の美濃攻略戦の頃のこと。美濃宇留摩に大沢次郎左衛門という土豪がいた。

 秀吉は何度も大沢のもとへ足を運び、織田家に帰順させたのだが、信長は大沢を殺せと言う。
「簡単に主家を裏切る者など信用できぬわ」

 秀吉は懸命に諫めたものの、相手は信長だ。聞くはずもない。

 思案にあまった秀吉は、密かに大沢を呼んで「すぐに逃げよ」と告げた。そして躊躇する大沢に彼は「不審に思うのなら、それがしが人質になる」と刀を差し出した。

 さすが苛烈で冷酷な主君・信長に仕え、数々の死線をくぐり抜けてきた男は違う。

 そんな秀吉に心を打たれた大沢は、秀吉をそのままに逃亡する。そして後日、大沢は美濃方の小領主や土豪たちに秀吉の言動を吹聴してまわった。
「本当に大した奴だよ、あの木下藤吉郎(秀吉)という男は――」

 やがて彼らは秀吉を慕って次々と投降を申し出る。結果的に、秀吉は信長の生涯の分岐点となった美濃攻略戦で活躍し、織田家中で頭角を現すようになった。