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第8回・豊臣秀吉――石田三成

秀吉と三成の出会い

 一般に時代の転換期には、その時代に応じて組織の改革が推進される。

 戦国の覇王・織田信長(1534~82)は、成果主義(実力主義)を導入して家臣たちを統率し、独自の家臣団をつくりあげた。ただ、このとき彼は一族一門を家臣団の実戦部隊に入れるのを極力避けている。

 なぜか。まだ貴種(高い家柄の血筋)信仰の濃かった時代だ。信長に近い“織田一族”が軍団内に入ることで、成果主義によって統率してきた現場に混乱をきたす可能性があったからだ。

 そこで信長は、一族一門から優秀な人材が出ると、裏方=内務官僚(内政を取り仕切る官僚)として取り立て、主に兵站関係の責任者に据えた。そして裏方でも成果さえあげれば相応に評価した。

 当然、信長の組織改革を秀吉はみていた。彼は試行錯誤を繰り返し、内務官僚の育成・強化に努める。

 秀吉が育成した豊臣官僚の一人が石田三成(1560~1600)だ。

 この2人の出会いは「三献の茶」のエピソードとして知られている。

 天正2年(1574)頃のこと。前年に北近江の長浜城主となった秀吉は、ときおり鷹狩りを口実に領内を見てまわった。この鷹狩りには優れた人材を発掘する狙いもあった。

 ある日、伊吹山に鷹を放った秀吉は、その帰途、寺に入って茶を所望する。彼の声を聞きつけた小僧は、鷹狩り後の汗をかいた秀吉を見て、大ぶりの茶碗に茶湯を7、8分目、ぬる目にたてて持参した。喉が渇き切っていた秀吉は一気に飲み干して「いま一服を」と声をかける。すると一杯目よりも少し温かい茶湯が茶碗に半分ほど容れられて出てきた。

(ん? これは……)

 さらに「もう一服」を求めた秀吉に出された三杯目は、小ぶりの茶碗に熱く少量容れられていた。

 そのさりげない工夫、立ち居振る舞い、涼し気な目、端整な容貌――秀吉は小僧を見据えて言う。

「気に入った!」

 秀吉は寺の住職に頼んで小僧を貰いうけた。秀吉38歳、三成15歳頃のことだ。

 三成が秀吉の近侍となった頃、秀吉には浅野長政(1547~1611)、増田長盛(1545~1615)など13から15歳も年上の側近がいた。後年、三成は長政、長盛のほか、前田玄以(まえだげんい、1539~1602)、長束正家(なつかまさいえ/ながつかまさいえ、?~1600)とともに豊臣政権の有能な官僚で組織された「五奉行」に抜擢される。