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第12回・徳川家康――藤堂高虎

水谷 俊樹 作家・漫画原作者
日経BP総研 中堅・中小企業ラボ

2019年1月16日(水)

日本一の堅城・大坂城を陥落させるために必要な大坂城内外の動静を忍びの技術を活用してもたらし、大坂夏の陣では先鋒として勇敢に戦う――。

徳川家康の天下取りの総仕上げともなる、大坂の陣で、築城、諜報、槍働き…と多大なる貢献をしたのが藤堂高虎だ。

高虎は築城術に優れる一方、何度も主君を変えたことで知られる。

豊臣秀長配下だった高虎を家康はどう評価し、召し抱えたのか。また高虎はどうそれに応えたのか。

経営者・ビジネスリーダーはいかに逸材を発掘し、活かすのか――。家康と高虎の主従関係から考察する。

「残りの人生、徳川の世のために捧げます」。病床にあった家康から後事を託された高虎はこう答えたという。(イラスト=月岡エイタ)
「残りの人生、徳川の世のために捧げます」。病床にあった家康から後事を託された高虎はこう答えたという。(イラスト=月岡エイタ)
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「功の成るは、成るの日に成るに非ず」

 筆者が歴史上の人物の生涯を扱った、漫画原作(シナリオ)という仕事に携わるようになって10年になる。

「上様、謀叛にございます」

 様々なストーリーを執筆するなかで、筆者が登場人物の一人として、本能寺で就寝中の織田信長(1534~82)にこんな声を掛けたことも、彼の「是非に及ばず」という最期の言葉を聞いたのも一度や二度ではない。その都度、“信長死す”の訃報を備中高松城の羽柴秀吉(のち豊臣、1537~98)や、堺見物中の徳川家康(1542~1616)のもとへ届けては、彼らとともに右往左往しつつ、打開策を練った。

 そして、あるときは梅雨どきの山陽道を足が不自由な黒田官兵衛(1546~1604)の輿を担いで駆け抜け、またあるときは鈴鹿峠で主君の首を狙う野盗・野伏を相手に井伊直政(1561~1602)らとともに戦った。

 秀吉の中国大返しと家康の伊賀越え。まさに九死に一生――死地からの生還だった。

 このとき主君の秀吉や家康の傍らに共通してあったものは、この先どうするかという明確なビジョンと、彼らが新戦力として獲得した官兵衛や直政といった優秀な人材だ。

 中国は北宋の文章家・蘇洵(1009~66)は言う。

「功の成るは、成るの日に成るに非ず、蓋し必ず由って起こる所あり」

 ある事柄の成功は、その成功した日に、突然、もたらされたわけではない。必ず、これに先立って、その成功をもたらすべき原由がある。

 戦国乱世のなかで天下を取った秀吉と家康は、常日頃、いざという時のために新しい人材を獲得していた。そして2人は彼らに将来のビジョンを示し、あるいは議論し、それぞれの局面で自らの身の振り方を決断した。

 すべては自らの“家”を存続させるため、ひいては自らが抱えた家臣たちを守るためだ。