食の安全性確保と高付加価値戦略に
ブロックチェーン活用

「小売業界がブロックチェーン技術を活用しトレーサビリティーを確立しようとしている背景には、食の安全性の確保と高付加価値戦略という2つの側面があります」と鶴田氏は語る。

業界にとって食品偽装は深刻な問題であり、食の安全性確保は解決が急務の課題だ。偽装問題によって業界全体で年間400億ドルの損失が発生している。さらに食品由来の疾患では、全世界で年間10人に1人の消費者が病にかかり、42万人が死亡しているという統計もある。

「風評被害という観点も見逃せません。2006年に米国で起きた、ほうれん草による汚染では、米国全土でほうれん草に対するリコールが起こり、その影響は6〜7年続きました。日本でも2017年、幼児が死亡したことで集団食中毒が大きな話題となりました。その後、食中毒を引き起こした食品を販売した小売店は閉店に追い込まれました。厳密なトレーサビリティーが確立されていれば、影響を最小限にできたはずです」と鶴田氏は食のトレーサビリティーの重要性を指摘する。

 

一方、“高くても良いもの”を追求する消費者と、“安ければいい”と割り切る消費者に消費動向が二極化する中で、付加価値を高めるためにトレーサビリティーを確立する必要がある、というのがもうひとつの側面だ。小売企業は、食のトレーサビリティーを確立することで、食の新鮮さ、鮮度状況をアピールすることができる。また、高くても良いものを追求する消費者へオーガニック商品が本当に“オーガニック”であることを証明することで付加価値をつけて商品を提供することができるのだ。

ウォルマートがIBMと組んで
食品サプライチェーン改革

食のサプライチェーンはグローバルに長く、複雑だ。複数の事業者を介して消費者に届けられる食品のトレースは1社単独で実現できるものではない。サプライチェーン全体を貫かなければならず、複数多数の関係者の巻き込みが必要だ。この難題に挑んだのがウォルマートであり、IBMだった。

2016年10月、ウォルマートとIBMは、清華大学と連携し、中国市場における豚肉トレーサビリティーの実証実験を開始した。当時、中国では豚肉不足により、豚肉の密輸入と偽装問題が発生していた。中間所得者層が急増した中国社会において食の品質管理は一般消費者の強い関心となり、偽装問題は小売企業の喫緊の課題であった。そんな中始まったのが、ブロックチェーン技術を活用した食品サプライチェーン改革である。この仕組みは、サプライチェーンの構成者である畜産農家、処理業者、物流業者、小売業者間で各プロセスの食品情報をブロックチェーンプラットフォーム上にデジタルに記録して共有するというものだ。

この実証実験は大きな成果を上げた。「豚肉に付けられた追跡コードを読み取ることで、26時間かかっていた情報の追跡が数秒に短縮されました」と鶴田氏は語る。食のサプライチェーン上の参加者が提供する情報はリアルタイムで他の参加者に共有され、PCやモバイルアプリ上で追跡コードを入力することでサプライチェーン上の取引を容易にトレースバックすることができる。

食品の安心・安全に関わる問題が生じた場合、すぐにその発生源を追跡することが可能になる。業界への影響を最小限に抑えると同時に、食品すべての追跡が実現することから、店舗単位やエリア単位でより細かな品質管理を実施することができる。

2017年8月、実証実験から10カ月後、大手企業から構成される食品サプライチェーン参加企業はIBMとともに、食品サプライチェーンシステム改革に向けて大規模なブロックチェーンのコラボレーションに取り組むことを発表した。消費者の信頼を高めるため、実証実験からわずか10カ月で業界をあげての取り組みに発展した。この仕組みは本格導入に向けて運用を加速し、2018年10月から商用化され、本格的なサービス提供を開始した。それが「IBM Food Trust」である。

IBM Food Trust が
解決する課題

IBM Food Trustは、食の安心・安全という小売企業にとって消費者の信頼を確保するために解決しなければならない緊急課題に対応する。実証実験から証明されたように、食品のトレースが容易になることで、食中毒の発生源を迅速に特定し、食中毒の拡大を食い止め、企業の機会損出を最小限にすることに貢献する。このことにより、消費者の食品サプライチェーンシステムへの信頼を回復することができる。

一方で、別の業界課題の解決にも寄与する。特に顕著なのが紙ベースによる業務負荷削減で、従業員の負担を軽減するとともにコスト削減にもつながる。また、食品ロスの削減にも寄与する。現在、生鮮食品のうち1/3の品質が許容できないレベルに劣化したとの理由により廃棄され、小売業界をはじめとした食品提供者にとって大きな負担となっている。IBM Food Trustの鮮度分析機能により、食品ロスが大幅に削減されることが期待できる。

IBM Food Trust が
提供する機能とビジネスモデル

IBM Food Trustは、SaaSとして提供されるクラウド上のトレーサビリティー・プラットフォームであり、商品の来歴と様々な証明書を提示する機能を提供する。農作物の生産地から小売店舗の陳列棚に並べられるまでのエンド・ツー・エンドのサプライチェーン情報をIDで瞬時に追跡できるとともに、必要に応じて証明書を確認できる。

サプライチェーン上の各プロセスで登録されたデータは、ブロックチェーン上に記録されるタイムスタンプで管理され、改ざんされることはない。データの信頼性はテクノロジーが担保し、登録データは参加者全員に共有されているため、虚偽データ入力への高い抑止力を利かせることになる。

データ入力は、モバイルやPCなど様々な方法に柔軟に対応しているため、データを登録する参加者への負担も少ない。現行手作業で書類管理しなければならない参加者にとっては業務の簡素化・効率化にもつながる。また、既存システムからの接続を容易にするAPIも提供されるため、既存システムとのデータ連携も容易で、短期間での導入も可能だ。商品SKU*の追加も可能なことから少数のSKU*からの導入を始めることもできる。

IBM Food Trustのビジネスモデルもユニークだ。IBMはプラットフォームを提供し、企業は追跡や証明書管理のモジュール利用の際に課金される。企業の規模により、月額利用料が異なり、生産者などの参加者はデータを入力するだけで、自分の入力データを確認するだけなら課金はされない。

IBM Food Trust
今後の展望

「ウォルマートがサプライヤーに利用を義務付けたのは、偽装に対する抑止力を働かせるのが狙いです。小売業も食の安心・安全のための保証を手に入れることができます。今後、日本の大手小売企業にも働きかけ、サプライチェーン全体で食の安心・安全の確保に貢献したいと考えています。」と鶴田氏は意気込みを語る。

IBMが目指しているのは、業種・業界を横断した、「食のトレーサビリティー」の実現だ。ブロックチェーン技術を活用することで、食品サプライチェーン上の参加者全員に共通プラットフォームを提供するのだ。各SKU*情報から特定される食品情報は、食の安心・安全そして付加価値を創造する情報基盤となる。この情報基盤を活用し、高付加価値サービスを提供することで他社と差別化を図り競争力をつける。

「IBM Food Trustが提供する仕組みにより、食の安心・安全を確保し、正当な仕事をする事業者が評価されるようなります。現場の努力の見える化がこのプラットフォームの価値です。食品同様に医療や貿易、物流の世界でも、コンソーシアム(共同事業体)をつくってこの仕組みを広げていきます」と鶴田氏。

IBM Food Trustは、生産者から消費者に届くまで、複雑で長い食のサブライチェーン全体をカバーする。その中には、加工業者や倉庫業者、物流業者が含まれ各業務で生じているプロセスを簡素化しながら透明性を向上させる。業界全体を巻き込んで大きな仕組みをつくり上げるのは、IBMの得意とするところである。早くからブロックチェーンに着目してきたという一日の長があるだけに、今後の展開が期待される。食の安心・安全という一般消費者の注目分野でIBMのユニークな価値提供が楽しみだ。

*SKU: Stock Keeping Unit(ストック・キーピング・ユニット)受発注・在庫管理を行う際の最小管理単位

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