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IBM_Smart Machinesセミナー レビュー

どうすれば膨大なデータを価値に換えることができるだろうか。多くの企業はそんな悩みを抱えている。それは必ずしも容易なことではない。ビッグデータは天然資源のようなものだ。鉱脈を探し出し、掘り起こして精錬するには相当の費用や労力がかかる。すさまじいスピードで増殖するデータをコントロールするため、新しいITのパラダイムが求められている。それがコグニティブ・コンピューティング。このテーマを扱った『スマートマシンがやってくる』(日経BP社発行)の出版を記念して、去る7月に都内でセミナーが開催された。

クイズ王を破った「Watson」。幅広い分野での応用が始まった

スティーブ・ハム 氏
IBMコーポレーション
コミュニケーション・ストラテジー
&コンテンツ・クリエーション担当
スティーブ・ハム 氏

データ量が巨大化する一方で、それを扱うITも進化を続けている。その先にはどんな未来があるのか――。そんなテーマを扱っているのが『スマートマシンがやってくる』である。2014年7月、都内でその出版記念セミナーが開催された。

最初のスピーカーは、共著者の1人であるIBMコーポレーション コミュニケーション・ストラテジー&コンテンツ・クリエーション担当のスティーブ・ハム氏である。

「ITの主役はかつて、パンチカード・システムに代表される計算機でした。1940年代にはプログラムで動くコンピューターが登場し、さまざまな用途に使えるようになりました。そしていま、第3世代としてのコグニティブ・コンピューティングが始まろうとしています」とハム氏は言う。

コグニティブ・コンピューティングとは、「大量の情報を取り込み、学習し、推論し、ヒトとより自然にやりとりするマシン」。ハム氏は「そこには機械学習や自然言語処理、パターン認識、アナリティクス、統計手法など、数十年にわたる研究に基づいたさまざまな技術が盛り込まれています」と説明する。

ハム氏がその最初の成果として挙げるのは、2011年に米国のクイズ番組で米クイズ王を破ったIBMの質問応答システム「Watson」である。

「世界中の12の基礎研究所における研究成果がWatsonに結実しました。いま、幅広い分野で応用プロジェクトが進められています。たとえば、がん治療の領域では医学生とWatsonが相互に教え合い、学び合うといったことが実践されています。また、Watsonの発したアラートに注目した医師の素早い対処により、患者の命が救われたケースもあります」(ハム氏)

膨大な医学論文や症例、関連する多様な情報を取り込んだWatsonは、医師に対して適切なサポートを提供することができる。それは今後、医療システムに大きな変革をもたらすかもしれない。同様のことが、多くの産業分野で期待されている。

「スマート・マシンは、ヒトの知性の向上を支援する、ヒトの良きパートナーになると信じています」(ハム氏)

ITは第3世代へ

ビッグデータ時代だから求められるコグニティブ・コンピューティング

次に登壇したのは、日本IBM 東京基礎研究所 所長の森本典繁氏である。 「ビッグデータは天然資源のようなもの。小さな投資で大きな利益を期待できるようなビジネスではなく、鉱山開発のように相当の先行投資を要します。だからこそ、従来とは異なるコンピューティングのパラダイムが求められる。それがコグニティブ・コンピューティングです」と語った上で、森本氏はその主な特徴を列挙する。①大量・多種類のデータを扱える、②低消費電力・超高速計算、③曖昧性を扱える、④仮説を生成できる、⑤人間の感性を扱える、⑥ヒトと自然にやりとりできる、という6点である。

「こうした特徴を実現するためには、幅広い分野での研究が欠かせません。コンピューター科学はもちろん、物理学や化学、行動科学などの知見を駆使して、IBMは新しい時代に向けた体制を整えてきました」と森本氏は語る。

森本 典繁 氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所 所長
森本 典繁 氏

その研究成果の中には、すでにビジネスに生かされているものもある。たとえば、テキスト・マイニング技術による保険金支払い査定支援である。

「保険の支払いには、診断書などを精査する必要があります。これまでは人間が行っていましたが、このプロセスを自動化。人手による精査が必要な案件が3%程度に激減したことで、請求受け付けから決裁までの期間は大幅に短縮され、平均2日以内になりました」(森本氏)

また、センサーデータを活用した機械の異常検知においても、先進的なプロジェクトが進行していると森本氏は言う。

「一つひとつのセンサーデータの監視はすでに行われていますが、複数のデータを組み合わせて正常か異常かを判断するのは難しい。そこで、データの相関のみに注目して、数値解析モデルをつくり、通常の相関の幅から外れた場合にアラートを上げるという仕組みを開発。現在、船舶の保守管理に活用されています」

これらは先行事例であり、コグニティブ・コンピューティングの特徴の一部を活用したものだ。交通状況の予測など、さまざまな分野でコグニティブ・コンピューティングへの取り組みは始まっている。

コグニティブ・コンピューティングを実現する幅広い研究分野

「勘と経験」の企業文化を変えて、データドリブンの意思決定へ

続いて講演を行ったのは有馬誠氏。同氏は前グーグル日本法人代表取締役だが、それ以前には、ヤフージャパンの創立に参画した経歴を持つ。

「ヤフーは早い時期から大きな投資をして、Webログの解析を行っていました。ただ、2000年ごろにやっていたのは、PVやユニークユーザー数、クリック率などの基本的な分析が中心でした」と有馬氏は振り返る。現在と比べるとハードウェアの性能も桁違いに低く、試行錯誤しながらデジタル・マーケティングのフロンティアを切り拓いてきた。

有馬 誠 氏
MAKコーポレーション
代表取締役社長
(前グーグル 日本法人代表取締役)
有馬 誠 氏

デジタル・マーケティングはビッグデータ活用が最初に始まった分野の1つだ。 「いまでは、さまざまな分野でビッグデータへの取り組みが始まっています。ビッグデータへの対応が企業の将来を決めると言っても過言ではないでしょう」と有馬氏。さらに、「モノのインターネット(Internet of Things)」やウェアラブルコンピューティング、学習するコンピューターといったキーワードについて語った上で、有馬氏が強調したのは「人材」と「組織風土」の重要性だ。

「ビッグデータ活用の4要素はデータとツール、人材、組織と言われますが、特に人材育成と組織づくりがカギを握ると思います。明確な目標を共有した上で、データドリブンな意思決定を尊重する文化が重要。たとえば、グーグルではすべての戦略・戦術にデータの裏付けを求めています。勘と経験、あるいは好き嫌いが重視されると、どうしても職位の高い人の意見が通ってしまうもの。これでは、オープンな議論は起こりにくくなります」

勘と経験からデータドリブンへ。企業によっては難しい課題かもしれないが、それは遅かれ早かれクリアしなければならないハードルである。

「マイWatson」が生活とビジネスに変革をもたらす?

以上の3人をパネリストとして、最後にパネルディスカッションが行われた。コグニティブ・コンピューティングは、生活やビジネスをどのように変えるのだろうか。

「医療の分野でWatsonは医学生や医師に必要な知識を提供しています。料理など多様な分野で同じような活用法が考えられます」との森本氏の話を受けて、ハム氏は次のように語った。

「料理雑誌との協業で開発した『Chef Watson(シェフ・ワトソン)』というアプリがあります。これを使うことで、レシピや食品化学、民族性、人間の心理などさまざまな情報をもとに、まったく新しい料理を創造することができる。たとえば、ある病気の患者に対しては、Chef Watsonは本人の体調などを把握した上で、健康に配慮しながらおいしい料理を提案することができます」

ハム氏は「マイWatson」の可能性にも言及。Watsonの機能の大部分はクラウド上に置かれ、スマートフォンなどのデバイスがインターフェースとなる。

「技術的に、マイWatsonは十分可能です。その際、大事になるのはパーソナライズでしょう。ユーザー個人のプロファイルをもとに、マイWatsonが最適な提案をしてくれる。そんな時代はすぐ目の前に来ています」と森本氏は語る。これに対して有馬氏は身近な例を挙げてマイWatsonへの期待を示す。

「多くの人たちがやっていると思いますが、会議の途中にスマートフォンで検索してわからないことを調べることがあります。それにより、会議が短くなる場合もある。マイWatsonがあれば、私なら会議の途中で意見を求めたりもするでしょう」

マイWatsonの可能性についてハム氏はこんなシナリオを説明する。 「ある夫婦が住居を探しているとしましょう。できるだけ早く購入物件を決めたいが、焦って間違った判断はしたくない。そこで、マイWatsonは教育環境や災害の可能性などを調べた上で回答する。夫婦はリスクを排除することができます」。

一方、不動産会社や保険会社、ローンを提供する銀行もWatson活用のメリットを得ることができる。不動産会社であれば、多様なデータをもとに地域のニーズをとらえた上でそれを物件に反映することができるはずだ。

コグニティブ・コンピューティングによるビジネスへのインパクトも大きい。有馬氏はデジタル・マーケティングについて語る。

「一般的なメーカーは流通業界経由で消費者に接しているので、実は消費者のことをよくわかっていない場合が多い。ビッグデータの時代、メーカーは明瞭な形で消費者像をとらえることができるようになります。これは、相当大きな変化だと思います」

コグニティブ・コンピューターの潮流をいかにとらえるかは企業にとって大きな課題だ。潮流にうまく乗ることができれば、その企業は力強く成長するだろう。この点でハム氏は日本企業の優位性を指摘する。

「日本はコグニティブ・コンピューティングの最大市場になるかもしれない。IBMのある幹部はよくそんな話をしています。というのは、自動車やロボット、スマートハウスなどの分野で、日本には世界をリードする企業が多く存在するからです。私自身も、日本には大きな可能性があると信じています」

その可能性をつかみとることができるかどうか。企業の本気度が問われていると言えそうだ。

コグニティブ・コンピューティングを実現する幅広い研究分野
スマートマシンがやってくる 情報過多時代の頼れる最強ブレーン
著者・訳者名:ジョン・E・ケリー3世(著)/スティーブ・ハム(著)/三木俊哉(訳)
出版社:日経BP社
販売元:日経BP社
販売開始日:2014年07月24日
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