住宅特集 東京郊外の田舎暮らしを楽しんだ次郎と正子のカントリーハウス

住宅特集 東京郊外の田舎暮らしを楽しんだ次郎と正子のカントリーハウス

戦時下の食糧事情を案じ、疎開の意味合いもあったのか。白洲次郎・正子の夫妻は1943年、東京・町田に居を移した。土間に床を張り、暖炉をしつらえ、庭には季節の花木を植えるなど、茅葺きの旧養蚕農家を好みの住まいに仕立てていった。次郎は農耕や木工の場として、正子は執筆の場や交流サロンとして、そのカントリーハウスでの暮らしをそれぞれに楽しんだ。

母屋は茅葺き屋根と縁側を持つ農家の造り。写真右手の南側は緩やかな斜面で、畑が広がっていた。現在の屋根は京都の職人に依頼し8年前に葺き替えたもの
正面に見えるのが長屋門。左手はカフェスペースになっており、次郎が若い頃に乗っていた車の同型車が展示されている

 旧白洲邸の名は、武相荘。「ぶあいそう」と読む。かつての武蔵国(東京)と相模国(神奈川)の境に近いことから、次郎が名付けた。「無愛想」とかけたのは、彼一流の遊び心からである。

 留学経験を持ち、経歴からは都会的に見える2人が、当時はまだカエルの合唱が聞かれたという東京・町田の地に居を移したのは、なぜかーー。

 2人の長女で武相荘の館長を務める牧山桂子氏は共著『白洲次郎の流儀』(新潮社)の中で、都会と郊外に家を持つ英国流の住まい方にならったのではないかという見方を明かす。それを裏付けるかのように、次郎はその後、東京・赤坂にも家を持ち、町田をカントリーハウス、赤坂をタウンハウスと称し、レターヘッドには2カ所の住所を記していた。

茅葺きの母屋に入ると、土間に床を張った洋風の居間兼応接間がある。英国風に暖炉をしつらえていた時期もある

 武相荘は南斜面に畑を持つ当時築40年ほどの茅葺きの養蚕農家だった。農家の作業場でもある土間を持ち、畳の間が田の字形に並ぶ。2人はそこに手を入れ、好みの住まいに仕立てていった。

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