田根 剛

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建築の仕事は
場所の記憶を未来に連れていくことです。

建築家
ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)共同主宰

田根 剛

TANE Tsuyoshi

2016. 10 .18 公開

interview : KATASE Kyoko 
photo : KIM Yongduck

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「伝統は革新の連続」と「とらや」の社長に教わりました

── 田根さんは現在パリに拠点を置いていますね。

2015年、日本の老舗和菓子店として有名な「とらや」のパリ店の改装を手がけました。「とらや」は創業約500年。そして唯一の海外店舗であるパリ店も35年の歴史があります。今回が2回目の改装ということで、17代目の黒川光博社長自らが建築家たちと面接をし、僕たちを選んでくださいました。面接を受けたとき、黒川社長の言葉が今も鮮明に記憶に残っています。

「とらや唯一の海外店がこのパリ店です。ですから、ぜひ日本の和の文化を世界に伝える場にしてほしいのです」

そう言われると、古き良き日本を思わせる古風な建築を求められているのか、と思ってしまうかもしれませんが、黒川社長はこうも話されています。

「伝統は革新の連続である」

誰もが知る「とらや」の羊羹(ようかん)は、実は常に「進化」している。同じものを延々つくり続けているわけではない。「革新」を怠らなかった結果として、約500年の伝統がある。

僕は、「とらや」がパリでどのように和菓子をつくっているのかを調べました。なんと、フランス地元の食材を使って和菓子をつくっていたのです。その土地の素材を生かしながら「和」をフランス人に提供する。

「とらや」の姿勢にならって、新しいお店は、フランスの素材を生かしながら「和の空間」をつくることをコンセプトとしました。フレンチオークという地元の樫(かし)材を用い、ヨーロッパの建築でよく使われるトラバーチンという石灰質の石材を敷き詰めました。さらに、真鍮(しんちゅう)のようなフランスで日常使いされる素材を採用して、しっくいで壁をつくり、「和の空間」を演出するよう心がけました。

写真

「和の空間」の特徴は、日本ならではの「折り合う」文化が込められているところ。お菓子で例えるならば、洋菓子はナイフですぱっと切ったシャープな「角」を見せる。和菓子は手でふわりと包むから「角」がない。いろいろな素材を手でまとめて「折り合い」ながら「包み込まれ」ながら、ひとつの菓子になる。フランスの素材を使いながら、和の折り合う文化で店をつくる。そうやって完成したのが「とらや」パリ店です。

パリの「とらや」は長年パリジャン、パリジェンヌに愛されてきました。常連のマダムが、お会いするたびに「あなた、わたしのとらやを変な店にしないでね」と僕にプレッシャーをかけてくるくらい。

そんなプレッシャーをかけられつつ、僕なりに新しい「とらや」を表現しました。工夫のひとつは、カフェのようなオープンなアプローチを設けたこと。以前の「とらや」は知る人ぞ知るサロンのようなちょっと閉じた空間でした。その要素はちゃんと残しつつ、店と街がつながっているパリの空気を足してみたのです。常連のマダムにも気に入っていただいたようで、ほっとしました(笑)。

とらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmer

とらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmer

── エストニアの博物館の方々といい、とらやの黒川社長といい、田根さんにお仕事を頼む施主の方たち自身がチェンジメーカーの気概を持っていらっしゃいますね。

そんな方々に選んでいただけるのは本当にうれしいです。いま京都の友禅染の老舗として有名な「千總」から、新しい本社の建築のお話をいただいています。千總も創業460年。室町時代から続いています。
どんな大御所の建築家でも頼めるのに、なぜ、僕のような若い建築家に任せるのですか、とうかがったところ、千總さんからもとらやさんからも同じ答えが返ってきたんです。
「もっともっと新しいことに挑戦したいんです。だったら、若い人に新しいアイデアを出してもらったほうがいい。未来はお客様のためにあるものですから」

伝統に引きこもるのではなく、時代を変えるべく、むしろ攻めていく。施主の方々の姿勢に僕自身がとても影響を受けている、と思います。

とらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmerとらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmerとらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmerとらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmer

とらやパリ店 写真撮影:Takuji Shimmer

── 田根さんは、サッカー選手を目指した時代があったそうですね。

高校時代までプロのサッカー選手になるつもりでした。高校時代は、Jリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉」のクラブユースに所属していました。故障をし、上には上がある、ということに限界を覚え、大学で建築学科を選んだのがいまの道に進むきっかけでした。
ただ、サッカー選手を目指していたおかげで、高校生の時点で、「プロ意識」を植えつけられました。毎日24時間、いつか自分はプロになるんだ、という意識を忘れるな、とコーチにたたき込まれたのです。

大学時代に出会ったのが、安藤忠雄さんの「水の教会」でした。最初に憧れていたのはガウディの建築だったんです。一方、安藤さんの建築は図面だけ見ると一見ただのコンクリートの箱。なんだ簡単じゃないか、と思っていたのですが、図書館で現物の写真を見て驚きました。
コンクリートの四角い教会の目の前に張られた水の上に、十字架が浮かんでいる。僕の大学は北海道の旭川にあり、水の教会はトマムのリゾートの中にある。すぐに車でクラスメートと現地に向かい、現物を見に行って、さらに打ちのめされた。建築ってすごい。

ただ、その後、僕は安藤さんの流儀とは別の方向に進むようになりました。建物が建つ土地の歴史を探り、土地の素材を探し、そこに住む人たちに寄り添う空間をつくる。エストニアの博物館も、とらやパリ店も、その点はすべて共通しています。

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Column DRIVE de Cartier

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

DRIVE DE CARTIER

ドライブ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 41mm ¥640,000(税抜)

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

挑戦なくして、成功はない。カルティエの3代目ルイ・カルティエは、良き挑戦者であり、常に業界をリードするパイオニアであった。その最大の功績の一つが、紳士用腕時計を世界で初めて製作したことだろう。1904年、彼はブラジルの飛行家にして、ベルエポック期のパリで注目を一身に集めただて男、アルベルト・サントス=デュモンのためにエレガントな腕時計を製作。これこそが紳士用腕時計の始まりであり、その後のメンズウォッチの方向を決定づけた。名作「サントス」の誕生である。

カルティエは、その後も「タンク」「バロン ブルー」「カリブル ドゥ カルティエ」など、数々のメンズウォッチを生み出し、いまも時計業界のパイオニアであり続けている。そして、それらの傑作時計すべてに当てはまるのが、官能的なデザインと機械的精緻さの両立である。美しいフォルムを持つカルティエの時計は、ひと目見ただけでそれとすぐに分かる。これは、ウォッチメーカーとしての高い技術力なしには成し得ないものだ。

今年、メンズコレクションに新たに加わった「ドライブ ドゥ カルティエ」にも、その伝統は受け継がれている。ローマン数字のインデックスやフランケ模様のギヨシェダイヤル、ソード型の針など、随所に際立つ“カルティエらしさ”。優雅なクッションケースのボリューム感が目を引くが、実際は薄く作られており、腕にすると驚くほどよくなじむ。スケルトンバックからは、自社製ムーブメントCal.1904の美しい仕上げを堪能できる。

腕時計としては揺るぎない正統派。それでいて、7のインデックスに小さくCartierの隠し文字を入れるカルティエの伝統的な遊び心も、現代の粋人を引きつけている。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ