田根 剛

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建築の仕事は
場所の記憶を未来に連れていくことです。

建築家
ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)共同主宰

田根 剛

TANE Tsuyoshi

2016. 10 .18 公開

interview : KATASE Kyoko 
photo : KIM Yongduck

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「上物」の発想では、歴史と未来をつなぐ建築は、できない

── 日本の建築でも「歴史」を念頭に置いて設計されています。

最終選考に残ったものの最後にザハ・ハディドさんに敗れてしまいましたが、2020年東京オリンピックの新国立競技場コンペに参加したときの「古墳スタジアム」も、日本の場所の記憶を呼び覚ます古墳がモチーフになっています。

国立競技場はそもそもサッカーの聖地ですから、Jリーグの選手を目指していた人間としては誰にも譲りたくない。そう思ってアイデアを練りました。明治時代が終わった後に、荒れ野を鎮守の森に変えた明治神宮。その外苑にあたる建設予定地は、古い土地の記憶を呼び覚ます古墳のイメージでいこうと思ったわけです。

新国立競技場 写真撮影:DGT.

新国立競技場 写真撮影:DGT.

── 日本の建築の現在を、田根さんはどう見ていますか?

正直、危機感を覚えています。残念ながら、日本ほど建物を大切にしない国はないです。建築家として無力感を覚えます。
僕は建物のことを「上物」と呼ばれるのが大嫌いなんです。ご存じの通り、日本の不動産は土地だけに価値があり、建物はできた瞬間から古びていき、価値が減っていく。欧州ではありえない。欧州がすべてではないけど、建物に価値が生まれないのに、未来につながる美しい建物や街がつくれるでしょうか。

日本では、かつて建物が負っていた場所の記憶や精神性を排除し、建物を徹底的に「機能」とみなした時代がありました。モダニズムの時代です。ところが、高度成長期がとっくに終わっても、日本の建築の世界では、モダニズムの時代が終わるどころか、むしろ悪いかたちで続いている。建物はただの機能にすぎないから、古くなったらどんどん価値が失われて機能不全に陥っていく。ひとつの建物が50年持たない。マンションや住宅などは耐用年数が30年を切っている。つまり、一世代が一生暮らすことすらできない建物ばかりなんです。

日本は地震が多いからしょうがないんだ、という言い訳が出てきますが、地震があるのは別に日本だけではありません。

もちろん、時間のたった建物の維持にはお金がかかります。歴史ある建築を維持しながら、未来の街につなげていくには、文化的な指標を設けて、価値ある建物を個人の力を超えたかたちで維持する仕組みが地域ごとに必要になってくる。土地の歴史や記憶というのは、それだけコストをかけて伝えていく価値のあるものなのです。

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愛用のスケッチブック。「アイデアも、メモも、手で描くのが好きなんです」

── 常にスクラップ&ビルドが繰り返される東京をどうにかしないと……。

東京に関しては、もう諦めているんですよ(笑)、いい意味で。第2次世界大戦で焼け野原になったあと、70年でこれだけ勝手に成長して勝手に変化した都市は世界を見渡しても他にありません。1000万の人口が集まり、中規模国家より大きなGDPを稼ぎ出し、いろいろなものが建っては壊れていく。もはや東京は制御不能の生命体のようなもの。

新宿に行くと生き物としての東京のダイナミズムを味わえるので好きですね。ファッションがあり、家電があり、歌舞伎町があり、ゴールデン街の飲み屋があり、高層ビル群があり。本物も偽物もすべてが混沌と混じり合っている。

ただ、地方は東京の真似をし続けたことに問題があります。地方が東京を真似しようとするとすぐに、「箱」や「仕組み」だけを設けておしまい。「表層」だけをすくい取って、はやりの建物ができるだけです。そんな建物はあっという間に機能不全になる。バブル景気の頃に経験したはずですが、いまだに根本は変わっていません。

じゃあ、自分に何ができるのか。

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いま、僕のもとには日本の地方からの依頼がいくつも届いています。京都だったり、岡山だったり。街を大きく変える仕事もあれば、ファッションブランドの本社工場を新しくする仕事もあります。パリでも、市が所有する23カ所の土地や建物を再利用をするためのコンペが行われ、僕たちも選ばれて、メッセナ駅の活用プロジェクトを設計することになりました。

いずれのプロジェクトでも、共通しているのは、それぞれの街の人たちの日常を豊かにする場所をつくりたいということ。
そんな建物をひとつひとつ実現していくのが、僕ができる「未来の創り方」であり、「世界を変えること」だと思っています。

田根 剛

建築家
ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)共同主宰

1979年東京生まれ。2002年北海道東海大学芸術工学部建築学科卒業。デンマーク王立芸術アカデミー客員研究員、ヘニング・ラーセン事務所(デンマーク)、デビッド・アジャイ・アソシエイツ(英国)を経て、06年にダン・ドレル氏、リナ・ゴットメ氏とDGT.(ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ)をフランス・パリに設立、共同主宰。コロンビア大学GSAPPで教鞭を執る。代表作にエストニア国立博物館(2016)、A House for Oiso(2015)、とらやパリ店(2015)など多数。2014年シチズンのインスタレーションでミラノデザインアワードをダブル受賞、小澤征爾の舞台装置など、建築の枠を超えて活躍中。

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CHANGEMAKERS 10

Column DRIVE de Cartier

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

DRIVE DE CARTIER

ドライブ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 41mm ¥640,000(税抜)

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

挑戦なくして、成功はない。カルティエの3代目ルイ・カルティエは、良き挑戦者であり、常に業界をリードするパイオニアであった。その最大の功績の一つが、紳士用腕時計を世界で初めて製作したことだろう。1904年、彼はブラジルの飛行家にして、ベルエポック期のパリで注目を一身に集めただて男、アルベルト・サントス=デュモンのためにエレガントな腕時計を製作。これこそが紳士用腕時計の始まりであり、その後のメンズウォッチの方向を決定づけた。名作「サントス」の誕生である。

カルティエは、その後も「タンク」「バロン ブルー」「カリブル ドゥ カルティエ」など、数々のメンズウォッチを生み出し、いまも時計業界のパイオニアであり続けている。そして、それらの傑作時計すべてに当てはまるのが、官能的なデザインと機械的精緻さの両立である。美しいフォルムを持つカルティエの時計は、ひと目見ただけでそれとすぐに分かる。これは、ウォッチメーカーとしての高い技術力なしには成し得ないものだ。

今年、メンズコレクションに新たに加わった「ドライブ ドゥ カルティエ」にも、その伝統は受け継がれている。ローマン数字のインデックスやフランケ模様のギヨシェダイヤル、ソード型の針など、随所に際立つ“カルティエらしさ”。優雅なクッションケースのボリューム感が目を引くが、実際は薄く作られており、腕にすると驚くほどよくなじむ。スケルトンバックからは、自社製ムーブメントCal.1904の美しい仕上げを堪能できる。

腕時計としては揺るぎない正統派。それでいて、7のインデックスに小さくCartierの隠し文字を入れるカルティエの伝統的な遊び心も、現代の粋人を引きつけている。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ