日経ビジネスオンラインスペシャル
田根 剛

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建築の仕事は
場所の記憶を未来に連れていくことです。

建築家
ドレル・ゴットメ・田根/アーキテクツ(DGT.)共同主宰

田根 剛

TANE Tsuyoshi

2016. 10 .18 公開

interview : KATASE Kyoko 
photo : KIM Yongduck

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26歳でエストニア国立博物館(2016年10月開館)のコンペを勝ち取り、2020年東京オリンピックの新国立競技場の「古墳スタジアム」案がファイナリストに選ばれるなど、世界をまたにかけた大型プロジェクトを手がける建築家の田根剛さん。かつてJリーガーを目指すサッカー選手だった田根さんがこだわるのは、場所の記憶と土地の暮らしとを自分の建築物に練り込むこと。老舗の店舗、個人住宅から、パリの駅プロジェクトまで。日本の建築は、世界の建築は、はたしてどこへ向かうのか。過去と未来とを建築でつなげようという田根さんの構想と焦燥と希望とは。

エストニアの歴史と未来を日本の建築家がかたちにする

── 2016年10月1日、田根さんが設計を担当したエストニア国立博物館がオープンしましたね。

10年がかりのプロジェクトがようやくかたちになりました。
2006年、26歳の僕はロンドンの建築事務所で働いていました。そのとき、友人である2人の仲間、レバノン人のリナ・ゴットメ、イタリア人のダン・ドレルと「何か大きな仕事のコンペをやろう」と探してきたのが、エストニアの国立博物館の国際コンペでした。

こうした国家プロジェクトの場合、最初から大物建築家を指名するケースが少なくないのですが、エストニアのコンペは僕らのような無名の若手にも門戸を開いてくれていました。

昼間の仕事が終わったあと、夜中じゅう議論を戦わせながら、僕たちはアイデアを練りました。期間はたった3週間。ほとんど寝ずにコンペ案をつくり上げました。
すると、最優秀賞を受賞してしまった。いちばんびっくりしたのは僕たち自身です。ただちに独立し、3人でパリに事務所をつくりました。

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── 何が勝利の決め手となったのでしょう?

おそらく、エストニアの過去の歴史を新しい博物館の建物に積極的に練り込もうとしたアイデアが評価された、と思っています。

博物館の建設予定地は、エストニア第2の都市で、古都タルトゥの郊外です。周囲は原野と森林が広がっていて、唯一の人工物は旧ソ連時代の広大な軍用滑走路跡。この風景を見たときにひらめいたんです。

古い滑走路を新しい建物と融合させよう、と。

エストニアはバルト海とフィンランド湾に面した人口140万人の小国です。首都のタリンは貿易都市として中世に栄えましたが、常に周囲の大国に翻弄されてきた歴史があります。スウェーデン、ロシア帝国に支配されたのち、1940年にソビエト連邦に併合。91年、旧ソ連崩壊の直前に独立を果たしました。今のエストニアになってから25年しかたっていないのです。

建築のコンセプトを考える上で、僕らの間でも議論がありました。旧ソ連時代の歴史は、エストニアの人たちにとっては、ある意味で負の遺産でもあります。未来を見据えた国立博物館に過去の滑走路をつなげてしまうのは、マイナスにつながるのではないだろうか。

それでも、3万4000㎡の巨大な博物館の建物が長さ1.2kmの軍用滑走路とつなぐように配置される設計案を、提出することにしました。

土地の歴史、人の記憶には、輝かしいものもあれば、深い傷を負ったものもある。そのすべてが重層的に積み重なって、その場所をつくる土台となっている。歴史を隠すのではなく、その存在を認めて、未来につなげよう。それを建築のコンセプトにしました。

コンペに勝てたのは、そんな僕たちのアイデアをエストニアの審査員の方々が積極的に評価してくれたからだと思っています。

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エストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura

とはいっても、完成までの道のりは平坦じゃなかった。途中でプロジェクトそのものが止まりかかったり。このまま永遠に完成しないんじゃないか、と苦悩することも何度もありました。

エストニアには合計で100回は通ったと思います。中世からの古風で美しい街がそのまま現代に引き継がれて人々が暮らしている。そして今はというと、世界でもトップクラスのIT先進国です。あの「スカイプ」が開発されたのはエストニアです。中世の街が、20世紀をすっとばして、21世紀とつながっている。すごく不思議な世界です。

そして、あるときには、エストニアの人々の歌が勇気づけてくれました。
僕たちはエストニアのソングフェスティバルに出くわしたのです。野外劇場のステージに民族衣装をまとった3万もの人たちが次々と上がって歌を披露する。劇場に詰めかけた10万以上の人たちがコーラスする。

ソ連占領下を生き抜くために、寒く長い冬を過ごすために、彼らがつないできた美しい歌。

あの歌を聴いたとき、なんとしてでもこのプロジェクトをやりとげよう、と思いました。この土地のために自分のできることをやろう。くじけそうになりながらもやりぬくことができたのは、ほかならぬエストニアの人々の力によるものです。

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── 建築にあたって、どんな点に留意しましたか?

小国エストニアは、街が美しく、食事が美味しく、ITが発達していて、治安も良好。国外からの観光客数も年々上昇しています。
僕たちも、最初は「観光」の視点を意識していました。たった140万人しかいないエストニア。第2の都市といっても人口14万人の小さな街タルトゥ。そこに建てる博物館は、やはり「世界中からの観光客が訪れる場所」であることを念頭に置いたほうがいいのではないか。僕たちはエストニアの博物館関係者の方たちに聞いたのです。

意外な答えが返ってきました。

「いや、そんなことは考えなくていい。ここはエストニアのための場所なんだ。地元のタルトゥの街の人たちにとって最高のものをつくってほしい。街の記憶を、歴史をつむぐ場所をつくってほしい」

建築はその土地の歴史を未来につなぐものであること。そして、そこに住む人たちにとって、まず日常の景色として溶け込み、無意識に利用してもらえる存在であること。

現在、僕が建築物を設計するときは、必ず共通して掲げるコンセプトです。これは、最初の大仕事であるエストニアの国立博物館の設計を通して、エストニアが僕に教えてくれたことだったのです。

僕は、地元の人たちが毎日使う公共空間をこの博物館の中にたくさん用意しました。街の人々が出会ったり、たたずんだり、イベントを開いたりできるように。隣接した旧滑走路も大きな催しができるような場にしました。

エストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura, Arp Karmエストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura, Arp Karmエストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura, Arp Karmエストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura, Arp Karm

エストニア国立博物館 写真撮影:Takuji Shimmura, (左下)Arp Karm

── エストニアの人たちの感想はいかがだったでしょう?

10月1日のオープンに先立って、9月29日にセレモニーが開かれました。僕も出席し、たくさんのエストニアの方たちと話をしました。正直、どきどきしていました。この建物がエストニアの人々に受け入れられるのか、と。
すると、会う人会う人がにこにこしながら僕に話しかけてくれるんです。

「100年以上もエストニアが待ち望んでいた博物館だよ!」
「こんな素敵なものができて、本当にうれしい」

みなさん、エストニア語で話しかけてくるので、大半は何を言っているのかわからない(笑)。でも握手してくれたり、ぎゅっとハグしてくれたり、とにかく、博物館の完成をみんなが喜んでくれていることがはっきり伝わってきました。
若い人もお年寄りも。政府の人も博物館の人も一般の人も。

会場ではかつてフェスティバルで聴いたエストニアの人々のコーラスに再会することができました。民族衣装に身を包んだ森の民の歌。本当にうれしかった。人生最高の瞬間でした。

博物館の展示がまた素晴らしいんです。エストニアの歴史が体感できる。IT先進国らしくすべての展示物には電子ブックパネルが備え付けられていて、博物館に入館するときに渡される電子チップ付きのチケットをかざすと、複数の言語で説明を読むことができる。さらに詳しい説明をダウンロードすることもできる。

人類がヨーロッパに到達した氷河時代のやじりや遺跡の展示物があり、数々の歴史を伝える展示物があり、そしていちばん最近の展示物として、小さな事務椅子がぽつんと置いてある。

なんとあのスカイプを開発した創業者が座っていた椅子なんだそうです。

エストニアという国自体がチェンジメーカーなんです。国を代表する建築物を世界に公募して、無名の20代の若者たちに設計を任せる。あえて負の遺産を練り込んだアイデアをくみ取る。リスクをとって、未来を創ろうとする。ITなどの分野で先進的な国と見なされているのも当然だな、と思います。

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Column DRIVE de Cartier

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

DRIVE DE CARTIER

ドライブ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 41mm ¥640,000(税抜)

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

挑戦なくして、成功はない。カルティエの3代目ルイ・カルティエは、良き挑戦者であり、常に業界をリードするパイオニアであった。その最大の功績の一つが、紳士用腕時計を世界で初めて製作したことだろう。1904年、彼はブラジルの飛行家にして、ベルエポック期のパリで注目を一身に集めただて男、アルベルト・サントス=デュモンのためにエレガントな腕時計を製作。これこそが紳士用腕時計の始まりであり、その後のメンズウォッチの方向を決定づけた。名作「サントス」の誕生である。

カルティエは、その後も「タンク」「バロン ブルー」「カリブル ドゥ カルティエ」など、数々のメンズウォッチを生み出し、いまも時計業界のパイオニアであり続けている。そして、それらの傑作時計すべてに当てはまるのが、官能的なデザインと機械的精緻さの両立である。美しいフォルムを持つカルティエの時計は、ひと目見ただけでそれとすぐに分かる。これは、ウォッチメーカーとしての高い技術力なしには成し得ないものだ。

今年、メンズコレクションに新たに加わった「ドライブ ドゥ カルティエ」にも、その伝統は受け継がれている。ローマン数字のインデックスやフランケ模様のギヨシェダイヤル、ソード型の針など、随所に際立つ“カルティエらしさ”。優雅なクッションケースのボリューム感が目を引くが、実際は薄く作られており、腕にすると驚くほどよくなじむ。スケルトンバックからは、自社製ムーブメントCal.1904の美しい仕上げを堪能できる。

腕時計としては揺るぎない正統派。それでいて、7のインデックスに小さくCartierの隠し文字を入れるカルティエの伝統的な遊び心も、現代の粋人を引きつけている。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ