日経ビジネスオンラインスペシャル
南谷真鈴

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10代でエベレストにだって登れたんだから
どんな夢物語も、現実に変えてみせる。

早稲田大学 学生
七大陸最高峰日本人最年少登頂記録保持者

南谷 真鈴

MINAMIYA Marin

2016. 10 .25 公開

interview : SAKIYA Miho 
photo : KAWAZU Tatsunari

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エベレストに登頂し、生まれ変わった気がした

── 世界最高峰レベルの登山となると、準備や渡航などで、多額のお金が必要になりますよね。資金はどうしたんですか?

父は一切協力してくれない。
学生の私に大した蓄えがあるわけじゃない。
そこですぐに自力でスポンサーを探しました。
とにかくメールや電話でいろいろな企業に連絡しまくったんです。おそらく1000件以上、メールを送りました。もちろん、そんな簡単にはサポートしてくれる企業は現れません。女子高生が「エベレストに登りたいのでサポートしてください」と言っても、大半の場合、冗談と思われちゃう。お願いしに行った先では、「こんな小娘がエベレストに登れるわけない」とプロの登山家に言われたこともありました。

あきらめずにいろいろな企業にアクセスしているうちに、私の行動が企業の間で噂になり始めたようなんです。現在、マネジメントしてくださっている企業の方と出会い、ユニクロをはじめ、サポートしてくださる企業とつながることができました。

スポンサー探しと並行して、トレーニングも進めました。格闘家のニコラス・ペタスさんの西麻布のジムで、30キロの重りをつけたベストを着て階段を上り下りしたり、ダンベルを使って足腰を鍛えたり。自分の体重以上の物を持ち上げられるようになるまで、筋力をつけました。
高校も寮も東京・練馬の端っこにあったので、授業が終わると電車を乗り継いでジムへ向かい、3時間たっぷり特訓して、寮に戻る。大学受験の勉強もしなければいけなかったので、眠くってしょうがない。さらに休日は、友人と国内の山に登って、練習を重ねました。
毎日へとへとでしたが、「エベレストに登る」という目標がはっきりあったので、ちっともつらくなかった。

そして2014年12月。
期末テストが終わって冬休みに入ると、単身アルゼンチンに行きました。手始めに南米最高峰のアコンカグアに挑戦したんです。幸いにも、年末から新年にかけて登頂に成功しました。
アルゼンチンから帰ってきたらすぐに大学受験。第1志望の早稲田大学に合格し、2015年春、晴れて大学生になりました。私は1年後の19歳になる春に、エベレストに登頂できるよう、大学入学と同時にスケジュールを立て始めました。

アコンカグアにて登頂前に

南米のアコンカグアにて登頂前に

── アコンカグアに登るときは、誰かと一緒に行ったのですか?

いえ、1人です。
だって、まわりにアコンカグアに登りたいなんて人はいないじゃないですか(笑)。
私は著名な登山家じゃない。当時も今もただの学生です。日本でチームをつくって現地に行くなんてこともできません。アルゼンチンまで行くのは心細かったけれど、まあ仕方ない。その後の登山もエベレストを含め、アフリカのキリマンジャロも、ネパールのマナスルも、南極のヴィンソン・マシフも、ロシアのエルブルスも、北アメリカのデナリも、すべて日本から1人で行きました。

キリマンジャロ登頂時ヴィンソン・マシフにて。南極大陸でクリスマスを迎えた冬季のエルブルス南極で出会った仲間たちと。デナリ登頂前に

(左上)アフリカのキリマンジャロ登頂時/(右上)ヴィンソン・マシフにて。南極大陸でクリスマスを迎えた/(左下)冬季のエルブルス/(右下)南極で出会った仲間たちと。北米のデナリ登頂前に

実際の登山では現地でチームを組みます。インターネットで各地の最高峰に登るためのチームを募るサイトがあるんです。こうしたサイトに登録して現地に出向き、世界各国から集まって初めて顔合わせする登山家たちと一緒に登る。
いずれの登山でも、常に私が最年少で、ほとんど唯一の女性でした。エベレストのときだけは信頼できる女性クライマーが1人一緒だったのですが、彼女は残念ながら体調を崩し、途中で下山してしまいました。女性1人で見知らぬ登山チームに加わるのは、体力面も含めてさまざまなリスクがあります。いくらジムで鍛えようと。だから決して過信しないように自分に言い聞かせています。

エベレストにトライしたのは、2016年春。
大学2年生になったばかりの私は、現地で14人のチームに加わりました。
第2キャンプ、第3キャンプと少しずつ頂上に近づいていきました。私自身は体調が絶好調でした。でも、自然はこっちの体調と関係なく変化します。天候が悪化したので、雪崩の危険を避けるためにいったん下のキャンプまで戻りました。せっかく近づいた頂上が遠のく。今回、登頂できるだろうかと、不安がよぎりました。
翌日、天候が回復しました。体調もいい。
ぐいぐい登ってラスト800メートルの斜面に挑みます。登山家たちが並んで歩くその向こうに、頂がはっきり見える。あとちょっと。
そのとき、涙が止まらなくなりました。
急にこれまでの苦労が胸にこみ上げてきたんです。ゼロからスタートしたときから支えてくれた人たちの顔が次々と浮かんできたんです。ひとりでここまで来たつもりだったんだけど、そんなことはない、たくさんの人がサポートしてくれて、いま私はエベレストのてっぺんに立とうとしている。
世界で一番高い山の頂に立ったとき、ずっと泣きっぱなしでした。
本当にここまで来ちゃった。
可能性を信じれば、なんでもできるんだ。
あのとき、新しく生まれ変わったような気持ちになったのを覚えています。

写真

エベレスト登頂達成!

── エベレストはやはり、他の山よりも登頂するのが困難でしたか?

エベレストだけが特別ということはないですね。それぞれの山がそれぞれ難しい。
マイナス60度まで気温が下がるところもある。風速100km/h以上の吹雪が吹き荒れるところもある。斜面がかき氷が固まったようなアイスバーンと化していて、一歩滑ったら奈落の底、というところもある。スケジュールの都合で登れる時間が極端に短いところもある。自分自身が、登山直前に食あたりになったりすることもある。楽だった登山は、ないです。
だからこそ、さまざまな困難を乗り越え、山の頂に立った瞬間は、何物にも代え難い達成感と絶景を得ることができる。だから、何度でも挑戦したくなるんです。

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Column CLÉ de Cartier

Simplicity is an Art.

凛とした強さこそ、美しい。

CLÉ DE CARTIER

クレ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 31mm ¥485,000(税抜)

Simplicity is an Art.

凛とした強さこそ、美しい。

自立した現代的な女性のファッションやライフスタイルにマッチし、対等なパートナーとして気持ちを奮い立たせるモノ……。それがカルティエの時計である。

どのコレクションもかれんなフォルムを持っているが、単に美しいだけでなく“凛(りん)とした強さ”を感じるのは、カルティエが時代の変革者であるからに他ならない。
170年を超える歴史と文化、伝統は守りつつ、そこに安住するのではなく、時代の変遷に合わせて明確なビジョンを持ち、常に新しいスタイルを作り出してきたという実績が、時代を切り開いていく女性たちから支持されるのだろう。

「クレ ドゥ カルティエ」はクッション型のたおやかなケースと小ぶりなローマン数字のインデックス、そして華やかに広がるフランケ模様のギヨシェという、カルティエらしいディテールを持っている。

しかし最大の特色は、目に飛び込んでくる角型のリュウズだろう。これはクレ(フランス語で“鍵”の意味)と呼ばれ、ケースのサイドフォルムを際立たせるために考案されたもの。デザインと機構の両面で常に新しいチャレンジを行ってきたカルティエらしい斬新なディテールだが、角型にすることで指先にフィットし、針を操作しやすくなったという実用的なメリットも見逃せない。

バリエーションも豊富で、日常使いに適したステンレススティールモデルもあれば、特別な時間を過ごすためのダイヤモンドが配されたモデルもある。その“鍵”は、幸せの扉を開くアイテムとして、貴女にそっと寄り添ってくれるに違いない。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ