日経ビジネスオンラインスペシャル
デービッド・アトキンソン

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日本人より日本の売り方を知る英国人。
「観光」で日本を救う。

小西美術工藝社 社長

デービッド・アトキンソン

David Atkinson

2016. 11 .1 公開

interview : SAKIYA Miho 
photo : KIM Yongduck

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1990年代、ゴールドマン・サックス金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、「伝説の金融アナリスト」と呼ばれたデービッド・アトキンソンさん。いまは小西美術工藝社の社長として日本の国宝や重要文化財の修復に精を出し、伝統文化を守ると同時に、日本に持続可能な「観光産業」を誕生させるための提言を行っています。「短期移民=外国人観光客」を増やすことが日本の進むべき道、というアトキンソンさんの「新・観光立国」論とは?

金融の世界から「ご縁」に導かれ文化財の世界へ

── アトキンソンさんは、自著『新・観光立国論』などを通じ、これからの日本にとって海外からの観光市場が有望なフロンティアであると指摘し、日本の観光ビジネスの問題点と改善策を具体的に提言されました。もともと、オックスフォード大学で「日本学」を学ばれた、ということは、10代の頃から日本に興味があったんですか?

ええ、高校時代から日本文化にものすごく興味が……あったわけじゃ、実はないんです。
種を明かすと、当時「いま日本を勉強しておくと、仕事にありつけるぞ」と思っていたんですね(笑)。
私が大学に入ったのは1983年。イギリスは長い不況に陥っていました。国内企業はガタガタで失業者があふれ、大学を出ても就職が難しかった。ちょうどマーガレット・サッチャー政権が大ナタを振るって経済の立て直しをはかっていた頃です。
一方、世界を見渡すと上り調子の国がありました。日本です。日本経済は、オイルショックを経てまだまだ成長のまっただ中にあり、日本企業は世界中を席巻しつつありました。イギリスでは、日本を学ぼうという学生が増えていた。私もその1人だったわけです。
その後、大学を卒業して、コンサルタント会社に勤めた後、1990年に来日しました。それからソロモン・ブラザーズへ移り、以来26年間、日本暮らしが続いています。

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——アトキンソンさんは92年にゴールドマン・サックスに移籍して、日本の銀行の不良債権額が20兆円に及ぶ衝撃のレポートを書き、金融崩壊を予言されました。2006年には同社のパートナー(共同出資者)に上り詰めたのに、2007年には42歳の若さで引退。どうしてですか?

金融の世界に疲れてしまったんです。社内的にもう出世は限界だし、アナリストとしてのやりたい仕事は終わった。もうここらで隠居を決め込もうかなと。京都の二条城近くに町家を購入し1年かけて修復し、10年以上前から始めた趣味の茶道に没頭するという楽隠居の日々を送っていました。
茶道は、「日本に住んでいるからにはちょっとたしなんでみようかな」という軽い気持ちで始めました。それが、いつのまにか生涯の趣味になってしまった。私の日本とのかかわりあいはいつもそんな感じなんです。気がついたら、東京、軽井沢、それに京都と、3軒も家を持っていた。日本には深い愛着があります。一方で、長年暮らしているから嫌いなところもある。なんだか結婚生活みたいですね(笑)。

——2011年、隠居生活をやめて、文化財の修復を手がける創立300年の老舗「小西美術工藝社」の社長に就任されます。

軽井沢にある私の別荘のお隣さんが偶然、小西美術工藝社の先代社長でした。知り合ったのは、お茶を始めた頃で、しだいに交流を深めていきました。私が金融の仕事を引退してのんびりしていたあるとき、先代社長が私に悪魔のささやきを。
「文化財保護の仕事は、普通は見られない『お宝』が見られるし、一般の人が入れないところにも入れますよ」。気がついたら文化財の世界に出入りするようになり、同社の社長業を継ぐことになりました。

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——金融業界と文化財業界は、まったく違う世界ですよね。

まったく別です。でも、私がかつて問題を指摘した「日本」の金融業界と、ひょんなことから関わることになった「日本」の文化財業界、観光業界。どちらの業界も、抱えている問題点はそっくりでした。2つに集約するとこうです。
1つ目は、日本は特別なんだ、という幻想にとらわれていること。
2つ目は、数字に基づいた経営ができていないこと。

例えば、「日本型経営」「日本型資本主義」という言葉がありますね。アナリスト時代に私が日本の銀行の経営について疑問を投げかけると、銀行関係者は「これは日本の経営のやり方ですから」と言い放つ。私が「経営に日本も西洋も違いはありませんよ」と指摘すると、「いやいや、日本は農耕民族でしょう。あなたのような西洋人は狩猟民族じゃないですか。全然文化が違うんですよ」と言い返す。

人類の文明は、農耕が基礎です。エジプトもメソポタミアもヨーロッパも小麦を大量生産する農耕が発明されたから、文明が生まれ、都市が発達しました。東洋でも、小麦と米の違いだけで、文明の発達パターンは一緒。現代文明は洋の東西を問わず、みんな農耕がベースなんです。パンやパスタは狩猟ではできません。日本人=農耕民族、西洋人=狩猟民族、というのは、めちゃくちゃな例えです。

現代の企業経営も市場経済資本主義も世界共通の仕組みです。日本型も西洋型もありません。なのに日本人はしばしば、日本特殊論に逃げ込もうとする。蓋を開けたら、案の定、日本の金融界からは不良債権の山が見つかりました。単に経営がおかしかっただけなんですね。

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Column DRIVE de Cartier

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

DRIVE DE CARTIER

ドライブ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 41mm ¥640,000(税抜)

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

挑戦なくして、成功はない。カルティエの3代目ルイ・カルティエは、良き挑戦者であり、常に業界をリードするパイオニアであった。その最大の功績の一つが、紳士用腕時計を世界で初めて製作したことだろう。1904年、彼はブラジルの飛行家にして、ベルエポック期のパリで注目を一身に集めただて男、アルベルト・サントス=デュモンのためにエレガントな腕時計を製作。これこそが紳士用腕時計の始まりであり、その後のメンズウォッチの方向を決定づけた。名作「サントス」の誕生である。

カルティエは、その後も「タンク」「バロン ブルー」「カリブル ドゥ カルティエ」など、数々のメンズウォッチを生み出し、いまも時計業界のパイオニアであり続けている。そして、それらの傑作時計すべてに当てはまるのが、官能的なデザインと機械的精緻さの両立である。美しいフォルムを持つカルティエの時計は、ひと目見ただけでそれとすぐに分かる。これは、ウォッチメーカーとしての高い技術力なしには成し得ないものだ。

今年、メンズコレクションに新たに加わった「ドライブ ドゥ カルティエ」にも、その伝統は受け継がれている。ローマン数字のインデックスやフランケ模様のギヨシェダイヤル、ソード型の針など、随所に際立つ“カルティエらしさ”。優雅なクッションケースのボリューム感が目を引くが、実際は薄く作られており、腕にすると驚くほどよくなじむ。スケルトンバックからは、自社製ムーブメントCal.1904の美しい仕上げを堪能できる。

腕時計としては揺るぎない正統派。それでいて、7のインデックスに小さくCartierの隠し文字を入れるカルティエの伝統的な遊び心も、現代の粋人を引きつけている。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ