日経ビジネスオンラインスペシャル
山田進太郎

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すべては個人のために
だから世界を目指すんです。

株式会社メルカリ 代表取締役社長

山田進太郎

YAMADA Shintaro

2016. 12 .6 公開

interview : KATASE Kyoko 
photo : KIM Yongduck

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インターネットサービスは世界で使われてこそ意味がある

── 山田さんはいつ、起業を志したのですか。

愛知県の中高一貫の進学校に通っていた高校3年の頃ですね。それまでは建築家とか小説家とか、芸術的な仕事をしたいと思っていたのですが、そこまでクリエイティブな才能は自分にはないなあ、とあるとき気がついてしまったんです。一方で、大企業で働いたり、官僚として活躍するという道も、周囲の頭のいい同級生を見ていると、とてもかなわないだろうな、とも感じていました。
だったら、小さくてもいいから、自分の山を自分でつくって、その山頂を目指すような仕事がいいんじゃないか。そう、起業家だ、と思い始めました。Windows95が発売されて、インターネットが日本に本格上陸して、起業やベンチャーという言葉が高校生の耳にも入るようになった頃でした。

早稲田大学に入学したあとは、起業を目指す学生サークルに参加して、ソフトバンクの孫正義さんやワタミの渡邉美樹さん、ソニー・コンピュータエンタテインメントの久夛良木健さんなどの講演を聴きにいきました。そのとき、勝手にちょっと挫折したんです。皆さんすでに大物すぎて、あまりに自分から遠い存在じゃないか、と。自分があの立場に行き着けるイメージがまったく湧かなかったんですね。

運が良かったのはちょうど同じ頃、インターネットをいじり始めていたんです。周囲でも同じようにインターネットを使い始めた友達がいて、これで何かをやろうよ、という動きが出てきた。僕も自分でプログラミングを勉強して、ホームページをつくったりしました。出版社のインターンをやって、ウェブ上のメディア構築も実地でやらせてもらいました。
そして大学4年生の頃に、楽天と出会うんです。まだ社員が20数人の楽天を人づてで紹介してもらい、その場で内定をいただき、翌日からインターンとして働くことになりました。そこで配属されたのが、楽天オークションの立ち上げの仕事だったんです。

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普通だったらここでそのまま楽天に就職するところなんでしょうが、若気のいたりで、僕も起業するぞ!と内定を最終的に辞退し、フリーランスとして社会に出ることになりました。それが2000年。インターネットビジネスでの起業がブームとなり、渋谷に若手ベンチャー経営者が集まり、ビットバレーという言葉が生まれた頃ですね。周囲に起業家が増えていました。大学生のときに遠い存在だった「経営者」が身近な存在になってきました。

翌2001年、有限会社ウノウをつくりました。インターネットを使えば、既存のビジネスを置き換えるまではいかなくても、効率よくいろいろなことができる可能性があると実感できるようになっていました。

楽天のインターン時代に開発した、上映中の映画のレビューやランキングを載せるサイト「映画生活」が、どんどんユーザー数を増やして毎月100万人くらいのアクセスを稼ぐようになりました。写真を共有できるサービス「フォト蔵」もつくりました。どちらも後に僕の手を離れましたが、今でもサービスが続いています。
「映画生活」にしても、「フォト蔵」にしても、一般個人が参加するコミュニティ型のビジネス。僕は、インターネットって個人がどんどん参加して新しい何かを産む場所なんだ、と思っているところがあります。
最近、「シェアリングエコノミー」という概念が登場しています。所有から共有へ、という新しい経済の流れがある。個人が所有物を自由に売り買いするメルカリはその先駆者といわれることもあるのですが、そもそもインターネットは、個人がどんどん参加し、お互いいろいろなものをシェアすることで面白くなるところですよね。

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── メルカリは北米でも積極的にサービスを展開していますが、昔から世界進出を考えていたのですか。

そうですね。ウノウのときも「世界で使われるインターネットサービスを創る」ことをミッションにしていました。当時もアメリカ発のインターネットサービスが次々と世界を席巻してきました。インターネットって国境を超える力がある。だったら、展開するサービスも最初から世界規模を目指さなくっちゃ、と。

2000年代後半、世界のどこでも楽しんでもらえるのは何だろう、と考えたとき、結論のひとつは、ケータイでできるソーシャルゲームでした。そこで、「まちつく!」というプレーヤーがどんどん街をつくるゲームを開発しました。モバイルゲームの走りです。この「まちつく!」がきっかけとなり、数億人のユーザーを抱えるアメリカのソーシャルゲーム最大手Zynga(ジンガ)から買収のオファーがありました。
独立を維持するか、世界でビジネスを展開するか。僕は後者を選びました。ミッションを優先させたんです。世界で使われるサービスをやろうと。かくしてウノウをZyngaに売り、僕はZyngaの日本支社のジェネラルマネジャーになりました。

その後、Zynga日本支社をやめて世界一周の旅に出たんです。行き先は、南米、アフリカ、中東、東南アジア。先進国ならばいつでも行ける。今じゃないといけないところを歩こう。自分が今まで関わってきたインターネットやデジタルなどからちょっと離れていそうな新興国をゆっくり回りました。

そして日本に戻ってきたら、スマホが一気に普及していた。
あのとき全世界でスマホの時代が来る、ここでいろいろなサービスが展開するようになる、と思えたのは、10カ月の世界旅行のおかげでもありました。
新興国の多くでは、パソコンはないけれど、ケータイは普及している。空港に着けばSIMカードを売っていて、すぐに現地でケータイを使うこともできる。それを見て、モバイル端末がインターネットの主役になるなあ、そうすると、CtoC、個人間のやりとりが、次の時代のビジネスの中心になるだろう、そんなことを感じていたんですね。
だから日本に帰ってきて、スマホで個人間が自由に物を売り買いできるフリマのアプリをつくろう、と瞬時に思えたのかもしれません。

これだけ日本でスマホが使われているなら、全世界の人は、パソコンの時代を飛ばして一気にスマホをベースにいろいろなことを始めるだろう。スマホこそが、本当の意味のパーソナルコンピュータ=個人のコンピュータになるだろう。CtoCのサービスも、新興国を含めて当たり前になるだろう、と。

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Column DRIVE de Cartier

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

DRIVE DE CARTIER

ドライブ ドゥ カルティエ ウォッチ SS 41mm ¥640,000(税抜)

What drives You?

変革へのパッションこそ、すべての源だ

挑戦なくして、成功はない。カルティエの3代目ルイ・カルティエは、良き挑戦者であり、常に業界をリードするパイオニアであった。その最大の功績の一つが、紳士用腕時計を世界で初めて製作したことだろう。1904年、彼はブラジルの飛行家にして、ベルエポック期のパリで注目を一身に集めただて男、アルベルト・サントス=デュモンのためにエレガントな腕時計を製作。これこそが紳士用腕時計の始まりであり、その後のメンズウォッチの方向を決定づけた。名作「サントス」の誕生である。

カルティエは、その後も「タンク」「バロン ブルー」「カリブル ドゥ カルティエ」など、数々のメンズウォッチを生み出し、いまも時計業界のパイオニアであり続けている。そして、それらの傑作時計すべてに当てはまるのが、官能的なデザインと機械的精緻さの両立である。美しいフォルムを持つカルティエの時計は、ひと目見ただけでそれとすぐに分かる。これは、ウォッチメーカーとしての高い技術力なしには成し得ないものだ。

今年、メンズコレクションに新たに加わった「ドライブ ドゥ カルティエ」にも、その伝統は受け継がれている。ローマン数字のインデックスやフランケ模様のギヨシェダイヤル、ソード型の針など、随所に際立つ“カルティエらしさ”。優雅なクッションケースのボリューム感が目を引くが、実際は薄く作られており、腕にすると驚くほどよくなじむ。スケルトンバックからは、自社製ムーブメントCal.1904の美しい仕上げを堪能できる。

腕時計としては揺るぎない正統派。それでいて、7のインデックスに小さくCartierの隠し文字を入れるカルティエの伝統的な遊び心も、現代の粋人を引きつけている。

Text by SHINODA Tetsuo

主催:日経ビジネスオンライン
 特別協賛:リシュモン ジャパン カルティエ