先進テクノロジーで
小売業は新業態へと進化せよ

CCCマーケティング株式会社 取締役 田代誠氏

※この記事は、2016年3月2日に開催された「流通業マネジメントセミナー」の日本IBM グローバル・ビジネス・サービス事業 流通サービス事業部の井上勝敏氏の講演内容をまとめたものです。

スマホから店舗のリアルタイム在庫が
把握できるホームデポ

ホームデポ(http://www.homedepot.com)はネットとリアルを融合して利益を向上させるオムニチャネル化を推進し、業績拡大につなげている。店舗にはさまざまな部品や材料などの品揃えがあるが、顧客はその情報をスマホでいつでもどこでも確認することができる。

顧客が探している商品やスマホで注文した商品が、どの店舗に何個あるのか、店舗の中に陳列されている場所もスマホに表示される。顧客からの問い合わせを減らすことで業務の効率化を図るとともに、顧客をスマホから店舗に誘導することによる“ついで買い”の効果も狙っている。

実際にホームデポの店舗を訪れて商品を購入してみた。購入後にスマホアプリを見ると、店舗在庫の数はその分減っていた。顧客がレジを通過すると、ほぼリアルタイムで店舗の在庫管理システムに反映される。その結果は、すぐにスマホアプリにも共有される。

先進企業はすでにここまでやっている。テクノロジーが小売業の姿を大きく変えようとしているのである。日本でもやがて、ホームデポのような仕組みを構築する小売業が出現するだろう。

小売業のみならず、多くの分野において新しい産業革命が起きている。その革命を駆動するエンジンはIoT(Internet of Things)とビッグデータ、そして人工知能へと続く潮流だ。こうした、テクノロジーを武器に新しい新サービスを繰り出す主体は、既存の小売業だけにとどまらず、ベンチャー企業や異業種からの参入企業なども含まれるだろう。

今、世界のタクシー業界を変えつつあるウーバーのような新しいプレイヤーが、さまざまな分野で急成長している。ユニコーンと呼ばれる時価総額10億ドル以上の非上場スタートアップ企業はすでに約80社もあるといわれている。こうしたスタートアップ企業やグーグル、フェイスブックなどデジタル世界の巨大企業が、カスタマー・エクスペリエンス(顧客体験)の期待値をどんどん高めていくことだろう。

手に入れた利便性や心地よさをユーザーは手放そうとはしない。いったん上がった期待値のハードルは元には戻らないだろう。そのことは、小売業の経営者も強く認識しているようだ。モバイルの普及により、これからはパーソナライズされたカスタマー・エクスペリエンス(顧客体験)が重要になると多くの経営者が考えている。

IoT+人工知能時代の
新しいビジネスモデルを構築する鍵とは

今に始まったことではないが、モバイルのIT環境を手に入れた消費者のパワーは格段に高まっている。また、破壊的なイノベーション、世の中全体のデジタル化への対応を考えながら、小売業はその戦略を考えなければならない。

戦略の柱と考えられるのは2つのR。“リシンク(Rethink)”と“レスポンス(Response)”である。IoTと人工知能が明らかにするのは、商品と顧客のリアルタイムな変化である。よって、商品の動きがリアルタイムに把握できれば、既存のオペレーショナル・モデルを再構築することができる。これが”リシンク(Rethink)”だ。それに対して顧客の変化をリアルタイムに把握して築く新しい顧客との関係、これが”レスポンス(Response)”である。

ライバルに勝つために、今後の小売業にはさまざまな投資が求められる。オムニチャネル化はその1つだが、やがてはドローンや自動運転などの技術への対応も求められるかもしれない。投資力を維持・向上させるためには、物流などバックエンド業務のオペレーションを徹底的に効率化する必要がある。顧客体験を高める鍵である従業員のモチベーションを高めつつ、いかに効率的なプロセスを確立するかが問われている。

一方、”レスポンス”という新しい顧客との関係を構築する変革には3つのポイントがある。エンゲージメントと差別化、アジリティ(俊敏さ)である。

オムニチャネルという概念は店舗やECサイトなどのチャネルに注目し、その統合を志向するもの。IBMはその一歩先に、“The Customer is the Channel”(顧客体験で変わるチャネル)というコンセプトを提唱している。個客という唯一のチャネルにフォーカスし、個客に対して最適な体験を提供する。これによりエンゲージメントを強化し、レスポンスの質を高めようというアプローチだ。

また、店舗での体験やつながり、バリューチェーン全体で差別化を追求しつつ、顧客のニーズに対して無駄なく俊敏に対応するための仕組みも重要だ。たとえば、店舗にセンサーを設置すれば、顧客の動きなどさまざまなデータを収集することができる。そのデータを分析すれば、オペレーション改善のヒントが得られるだろう。迅速に改善を実行し、結果を見ながら修正を繰り返すといった取り組みも重要だ。

オペレーショナルモデルを再構築するためのITの重要性については言うまでもないが、以上の3つのポイントを満たす上で先進テクノロジーの役割は極めて大きい。さまざまな産業において注目されているのが、コグニティブ・コンピューティングである。 

自然言語処理のフロンティアを切り拓いた「IBM Watson」はよく知られているが、コグニティブ・コンピューティングはより広い概念である。自然言語などの非構造化データだけでなく、構造化データを含めた多様な情報源から学習して新たな価値を生み出す。

たとえば、トップパフォーマーの専門知識を収集・分析し、企業全体の人材力の底上げを図る。ソーシャルデータは品揃えの改善などに生かせるだろう。

コグニティブ・コンピューティングが
小売業の未来を拓く

コグニティブ・コンピューティングの持つ可能性は大きい。特に小売業において期待されているのがエンゲージメントと発見、意思決定といった領域である。

まず、エンゲージメント。コグニティブ・コンピューティングを活用すれば、自然言語を理解して複数言語で顧客と対話ができる。顧客との接点を強化し、よりよい顧客体験づくりが可能になる。さらに顔認識などの技術と組み合わせれば、「Aさん」という個客を認識した上で、背後のシステムに蓄積されたAさんの購買履歴を参照しながらAさんに最適な提案やアドバイスを行うこともできる。

次に発見だが、そのベースにあるのが大量のデータである。社内の情報システムはもちろんだが、ソーシャルデータやオープンデータといった社外の情報も合わせて分析することで新たな発見がもたらされるだろう。

そして、意思決定。属人的、あるいは勘と経験に基づく意思決定からデータに基づく意思決定に移行することにより、在庫管理の最適化や機会損失の最小化といった成果を収穫することができる。

では、小売業はコグニティブ・コンピューティングをどのように活用すべきか。IBMが提案しているのは、主として2つの領域。つまり、1人1人の顧客体験の改善・強化、迅速・適切なレスポンスである。

たとえば、顧客の好みを熟知した上で最適の提案を行う。顧客と顧客を取り巻く多様なデータ分析を通じて「自分にぴったり」と思われるような洋服、「こんなサービスが欲しかった」と言われるような顧客体験を実現すれば、売上拡大だけでなくエンゲージメントの強化にもつながる。

あるいは、天候やイベント情報、ソーシャルデータなどを統合的に分析し、「明日のイベントには多くの人が集まる」と高精度の予測ができれば、仕入れをより適切なものにできるだろう。レスポンスの質向上の一例である。

社会課題の解決に貢献する
コグニティブ・コンピューティングの可能性

日本では今後、高齢化がさらに進行する。労働力人口の減少という背景もあり、働く女性は増え、外国人労働者の増加も予想される。こうした社会環境の変化に伴うさまざまな課題に対して、コグニティブ・コンピューティングは有効な手段となりうる。

シニアに対しては、自然言語での対話を組み込んだ見守りサービスなどが考えられる。いつも時間に追われているワーキングマザーに向けては、一人ひとりのニーズにあった提案をしてくれるECサイト、新しい形のコンシェルジェ・サービスなどが生まれるかもしれない。また、外国人のコミュニケーションをサポートする通訳サービスは、コグニティブ・コンピューティングにより一層洗練されたものになるだろう。

社会課題は大きなビジネスチャンスでもある。小売業が困っている消費者に貢献できることは多いはずだ。

コグニティブ・コンピューティングのような最新技術を既存のさまざまな技術と組み合わせれば、小売業の可能性は大きく広がる。世界を見渡せば新しい顧客体験、新しいビジネスを創出する先進企業も現れている。

たとえば、アウトドア用品で有名なある米国の企業では、IBM Watsonを活用してECサイトのレコメンデーション・エンジンを強化した。このエンジンの参考情報として加わったのが、ECサイト上で行われる顧客とWatsonのチャットである。たとえば、「来週末は登山に行きます」「どこの山ですか」「X山だよ」「その日は寒くなりそうです。防寒具の準備は万全ですか?」という具合だ。このチャットや購買履歴などの情報に基づいて、ECサイトは「こんな商品はいかがですか」と提案する。IBM Watsonは多くの顧客とのチャットを通じて学習し、レコメンデーション・エンジンの進化を支えている。

こうしたイノベーションのタネは、小売業の至るところに埋もれている。店舗やECサイト、オフィスや物流現場にある大小の課題を見つめ直し、コグニティブ・コンピューティングの可能性とぶつけてみる。そうした営みの中から、多くのチャレンジングなテーマが見つかるはずだ。