APUを選んだ息子
野球少年だった。甲子園を目指していた。勉強もできた。進学した高校は甲子園常連校で、野球部は特待生しか入部が許されない。好きなだけでは通用しない厳しい世界があると知った。初めての挫折。バットを置き、進学コースで学ぶうちに、別の世界を見たくなった。九州で教師を勤める祖母が教えてくれたAPUの存在。世界の若者が集うというその大学の門を、彼は自ら叩いた。

APUに送り出した父
国立大学法学部を出て、民営化したばかりのNTTグループに入社した。エリート候補生たちと席を並べた大学4年間の思い出は、記憶に薄い。むしろ、入社後に社内留学制度で留学した米国の大学院での2年間の生活が、自分にとって、仕事の基礎となった。息子がAPUに入学した時、一緒に訪れたキャンパスの匂いは、アメリカのそれを思い出させた。うん、ここは、あいつに、向いているかもしれない。

「東京の大学で遊ぶより、田舎でみっちり勉強していらっしゃい」と
母に言われました。

息子/尾﨑啓明:高校3年生になってから、国際的な大学に行きたいなと考えるようになったんです。それでいろんな大学を検討していた時に、九州で高校教諭をやっている祖母が「APUの留学生が学校紹介で来校したのだけど、とても印象がよかった」と教えてくれたのが、APUを知ったきっかけでした。

合格して初めてキャンパスに足を運んでアドミッションズオフィスに伺った時に、たまたま韓国、ウズベキスタン、中国、ベトナム出身の4回生の先輩の方々がいらっしゃってキャンパスを案内してくださいました。

その時に、それまでの高校時代とは全く違う、この大学でしか体験できないインターナショナルな環境に触れて、とてもワクワクしたのを覚えています。東京や京都の大学も受けていたのですが、実際にキャンパスに来てこの大学でしか出会えないような人たちに出会ったことが、APUに進学することを決めた理由です。

母は、「東京で遊んでいるより、田舎で勉強をたっぷりしたほうがいいんじゃないの」と背中を押してくれました。父は、僕がAPUに決めて別府で一人暮らしすることに一切反対せず、むしろAPUを気に入って勧めてくれました。

アメリカの大学と
同じ匂いがしたんです。

父/尾﨑英明:息子がAPUに行きたいと言い出したのは、たしか高校3年生の時に東京の説明会に彼が出てからではなかったかと記憶しています。2012年のことです。その頃はまだ東京でのAPUの知名度はそれほど高くなかったと思います。

息子がAPUに入学した直後に父母の会の仕事をしてほしいという依頼があり、父母会出席のために初めてキャンパスを訪問しました。ちょうどその時に安倍晋三首相が来校して、学生寮の「APハウス」の中で国際学生や国内生と座談会を持ったのですが、大いに盛り上がり、臆することなくディスカッションする学生たちの様子を目の当たりにして、「すごい大学が日本にできたんだなあ」と感じたことが強く印象に残っています。

私自身、20数年前に、社内留学制度を利用して、アメリカのペンシルべニア大学に留学して勉強した時期がありました。

私にとっては、懐かしい学生生活の思い出は、日本の大学ではなく、米国に留学した時にあります。息子が進んだAPUのキャンパスの空気が、私が過ごしたペンシルべニア大学と似ているな、と思ったんです。

学生はみんな親元を離れて入寮し、平日は何百ページもの課題に追われ、教授と学生が対話をしながらテーマを掘り下げていくスタイルで、日本とはまったく異なる教育の場がありました。一方で、週末にはスポーツやパーティを楽しんで、学生同士が交流を深める。その点も似ていますね。息子には、こんな思い出話、したことないんですが(笑)。

APUには、レジデント・アシスタント(RA)や、ティーチング・アシスタント(TA)といった、先輩が新入生の面倒を見る制度があります。あれはまさに私がアメリカで体験したことです。

もうひとつAPUに共感した点があるのですが、答えのある問題と格闘するばかりでなく、正解のない課題に取り組み、自分なりの答えを見つける力、相手に自分の考えを理解してもらうプレゼンテーション力を自然に養うことができる大学なのではないか、という期待はありました。

APUに入って変わったのは、いろいろなことに積極的にチャレンジするようになったことです。

息子/尾﨑啓明:中学まで野球をやっていたんですが、高校は進学校であると同時に甲子園常連校でもありました。野球部に入りたかったのですが、スポーツ推薦の学生以外は野球部に入ることができなかったんです。

それで仕方がなく、いわゆる「帰宅部」として高校生活を送っていました。そのため、高校の3年間はあまり充実感を得ることができませんでしたね。2年生の後半からは受験に追われてみんな同じ方向に進む。典型的な進学校の環境でした。

そんな中、2週間の短期留学でオーストラリアのケアンズに行ったのですが、とても楽しい経験でした。今まで育ったのとは全く異なる環境に身を置く面白さを、あの時に感じたんです。

この短期留学の経験から国際系の大学に行きたいと思うようになりました。そして、APUを目指すことになるのですが、それまで僕の通っていた高校から進学した先輩はたった1人しかいませんでした。僕の同学年も、受験するのは僕ともう1人の2人だけ。知名度はまったくなく、「なぜ、九州に行くの?」と同級生に言われたりしました(笑)。

ずっと東京で生まれ育ったせいか、かえって東京を離れることに躊躇がありませんでした。APUに入学して海外からやってきた国際学生の友達がたくさんできたあと、夏休みや冬休みに東京に戻った時に高校の同級生と話をすると、自分が出入りするコミュニティーの幅がすごく広がったなと実感します。留学生の数が東京のどんな大学よりも圧倒的に多いですから。

日本人って結構初対面の人に対して身構えたりすると思うんです。僕も最初はそうでした。でも、いろんな国や地域から集まっている学生たちは、自分のガードも外しながら僕のプライベートゾーンにずかずかと入ってくる。

その影響を受けて、僕自身も入学後、初対面の人と積極的に話したり、友達になろうと素の自分を見せられるようになりました。人とコミュニケーションをとる上で、とても大事な部分ではないかと思います。相手が外国人の場合は特に。

もうひとつAPUに来て自分の中で変わったことは、いろんなことにチャレンジするようになった点です。卒業生と在校生をつなぐ学生団体をはじめ、在学中に3つの学生団体に関わってきましたし、カナダ・カルガリーのレスブリッジ大学に1年間の交換留学にも行きました。

東京の大学に通っていたら、自宅通学で何の苦労もなく、アルバイトをしたりしてごく普通の大学生活を送っていたと思います。APUに来たからこそ、積極的にいろんなアクションを起こすようになったし、そうせざるを得ない。そんな環境でした(笑)。

就職活動でも、OBがいない中で、会ってくださる方を自分で探す事から始め、その方の紹介でまた別の人に会って話しを伺ってといったかんじで、人と人とのつながりがうまくいって希望の会社に内定をいただくことが出来たんです。APUじゃなかったらそれが出来たかどうか・・・(笑)。

内定先は総合商社です。世界を舞台にいろんなビジネスの立ち上げに関わったり、新しいビジネスを作っていったりしたいと思います。

父/尾﨑英明:APUの父母会の会長を拝命して最初の父母会の集まりで皆さんに申し上げたのは、APUの開学宣言についてです。「アジア太平洋地域の平和的で持続可能な発展と、人間と自然、多様な文化の共生が不可欠」と書いてあります。

つまり、「人間は、自然と共に生きている、生かされている」という価値観がこのキャンパスで具現化されている。校舎は山々に囲まれ、APハウスの窓からは別府湾が一望できます。東京から来た学生、アジアから来た学生が、そこで共に学び生活している。彼ら彼女らは多様な文化に触れることで、お互いの文化を受け入れたり尊重したりするようになる。

その上で、「アジア太平洋の未来創造に貢献する有為の人材の養成と新たな学問の創造」がAPUのゴールだと。

こういう理念のもとに集まっている学生たちはとてもガッツがある。それぞれの国を背負っているということのほかに、おそらく授業で鍛えられるからでしょうね。だけど、同時にあまりギスギスしていない。別府ののんびりした雰囲気のおかげでしょう。

息子もAPUで4年間を過ごして、周囲に気配りができるようになりました。そして、独り立ちしましたね。全部自分で選んで掴み取りに行く、という意味での独り立ちです。これらの資質は、これからの人生を生きて行く上で一番大事なことだと思います。

新しい環境というのは自分の能力の限界を超えさせる力があります。APUにはそういう仕掛けがいたるところにあって、周りの学生がみんなそうだから、知らないうちに自分もプラス思考になって成長する。

企業人としての観点からもAPUの卒業生は面白いと思います。型にはまっていなくて、大きな発想をして行動力がある。プレゼンテーションの能力も磨かれていて、1年目からすぐに一緒に働ける。

仕事の環境がワールドワイドに広がるようになって、今は国によってビジネス環境も全く異なる中で仕事をしなければなりません。今、私は香港にあるNTTコミュニケーションズの現地法人で仕事をしていますが、会社の風土は、東京本社と全然違います。新しく進出した国の市場で認めてもらい、その土地に根付くためには、やはりその国の社員と一緒に「混ざって」事業を進めていかなければなりません。

いろいろな国の人と接して、意見をぶつけ合って、互いに認め合う、そういうことはまさに仕事の場でしょっちゅう起こります。だから、そういう環境の中で揉まれていて、挑戦し続けることができる人材が財産であり、これからますます必要になると思います。

世界中からやってきた国際学生と日本人学生とが混ざり合うAPUは、まさにこれからの時代に必要な若者が育つのにうってつけの「場」と言えるでしょう。

APUを卒業する息子が、そんな国際的な人材に育ってくれていることを、親としても企業人としても願っています。

混ぜる教育

APU開学までの経緯から、多文化環境で実践する独自カリキュラムの内容、企業から見たAPUなど、ユニークなAPUの魅力をあますことなく収録した一冊。巻末には、早くからAPUの「混ぜる教育」に注目してきた、糸井重里氏による解説も。さらに、電子書籍も好評発売中。

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