APUを選んだ次男、三男
2人とも、実家を出て海外で仕事がしたかった。「だったら、まず国際感覚を学んだら」との母の勧めで、地元の大学APUを選んだ。海外の学生たちと「混ざる」につれて気づいた。グローバルって海外に行くことじゃなく、自分の強みを世界に発信することなんだ。振り向けば、「糀」があった。卒業して数年後、次男は閉める寸前の家業を支えようと戻り、空前の「塩糀ブーム」を母と創る。

APUに送り出した母
大分県・佐伯市の老舗跡取り娘として育った。自分自身が世界に出たくて外国の人がいればうちに連れてきて居候させていた。そんな家庭で育った子供たち。次男と三男が海外に出たいと言った時、県内にあるAPUへの進学を勧めた。糀の仕事は自分の代で閉めるつもりだったが、数年後、APU で学んだ2人の息子は「本当のグローバルは糀を世界に伝えることだ」と戻ってきた。

あなたが行かないんだったら、
私がAPUに行きます。

次男/浅利良得:僕は2002年入学の第3期生です。高校時代は、海外留学に憧れていました。というのも、我が家には、僕が子供の頃から常に外国の人たちが身近にいて、海外が身近な存在だったんです。

母がとにかく外国の人たちが好きで、道を歩いている外国人がいれば、声をかけて家に連れてきたり、福岡空港で会った外国人を連れてきてしばらく家に滞在させたり。父も若い頃はバックパックを背負って海外を旅して歩いていたようです。

ただ、両親ともに海外のことをよく知っているからこそ、僕が高校を卒業していきなり海外の大学に留学するのは「まだ早い」と思ったようです。そこで高校の進路の先生に相談したら、「別府市に面白い大学ができたから受けてみたら」と勧められました。それがAPUだったのです。母もAPUのことを知っていたので、目指すことになりました。ちなみに佐伯市内では、僕がAPUの卒業生1人目で、弟の善然が2人目です。

APUでは、まだ3期生だったので「自分たちがこの大学の伝統を創っていくんだ」という思いに学生みんなが燃えていた。僕も入ってすぐに、高校からやっていた合気道の部を立ち上げました。

母/浅利妙峰:私は300年以上続く、大分県佐伯市の「糀屋本店」の跡取り娘として生まれました。小さい時から海外に憧れていて、ガールスカウトに入って外国人の団員と一緒にインターナショナルキャンプなどに参加して英語を磨きました。

その後、東京の短大を卒業して、地元に戻って家業を継ぎました。子供たちには国際感覚を身につけてほしいと思って、昔から外国人が街を歩いていると、すぐに家に連れてきて泊めていたりしたんです。おかげでうちの家族は、外国人に対してまったく物怖じをしなくなりました(笑)。

そんな私が、APUを進学先として次男に勧めたのは、2000年に開学したばかりのAPUにたまたま行ったことがあったからです。

当時私は「公文式」の指導者で、APUで開催された公文式のイングリッシュ・イマージョン・キャンプの見学に参加したんですね。これは、公文式を学んでいる子供たちを海外からの留学生たちがアテンドして、英語だけを使ってさまざまなアクティビティを一緒にやるキャンプです。

そのキャンプをAPUの第1期生の国際学生たちが手伝っていたんですね。国際学生たちは、みんな責任感が強くて、一所懸命子供たちの指導を頑張っていました。その姿を見て、この大学いいなあ、と思いました。

その後、次男から進学先をAPUにしたいと相談された時、「あの大学、いいわよ。あなたが行かないんだったら、あなたに糀屋本店を継いでもらって、私がAPUに行く」って、背中を押しました(笑)。

三男/浅利善然:僕は2003年に入学した4期生です。世界に対して何か発信したい、世界に通じている場所に行きたいと思っていて、その場所がまさしくAPUだと思ったんですね。

僕が通っていた高校は大分県の中でもガチガチの進学校でした。高校時代は、自分がきちんと考えて発した言葉に対して、「それは教科書に載っていないだろう」と先生の基準に合った答えを言わないと怒られたりしました。しまいには「反抗的」とレッテルを貼られたり。そんな高校生活がけっこう苦痛だったんです。

そんな時、兄がAPUに入学したこともあって、APUのオープンキャンパスに遊びにいきました。世界中から集まってきた外国人の国際学生がたくさんいたのにびっくり。中でも1期生のトンガ出身のフナキという先輩がAPUにおいでよ!と口説いてくれました。ここは世界に繋がっている! そう思って僕も兄に続いてAPUへの進学を決めました。

APUに入学してからは、高校時代とは大違い。先生も先輩も同級生も、こちらが考えたアイデアや答えに対してきちんとリアクションしてくれる。和太鼓のサークルの代表をやったりして異文化のメンバーと共に1つのものを創りあげる難しさを体感しながらも楽しく充実した毎日を送ることができました。

自身が代表を務めた、和太鼓サークルの香港講演の風景。

グローバルな仕事は、家業の
「糀」ビジネスを立て直すことだった

次男/浅利良得:僕はAPUの学生時代に「地域づくり」について学びました。自分の故郷のこの佐伯市という町がだんだん寂れていくのを実感していたので、学生のうちに学校で学んだことをいろいろ試してみようと、3年生の終わりごろに1年半休学して地元の佐伯市に帰ってきました。夜は地元の人の地域づくりの会議などに参加し、昼間は暇なので家の手伝いをしているうちに、これほど面白い仕事はないと思うようになりました。

なぜ地元に戻ったかというと、日本文化に関わる仕事がしたかったんです。きっかけは、休学して地元に戻る直前にアメリカに旅行して、アメリカの合気道の道場を訪問した時の経験です。

僕が見てきた日本の道場では、ひたすら「型」の練習をします。でも、アメリカの道場では「型」をやみくもに練習するのではなくて「最初の人はこういう考えでこの動きをとってみた。では、この人と同じ視線に立った時、あなたならば次にどう動きますか」という具合に、生徒たちに考えさせながら練習をしている。

日本で見てきた合気道とはずいぶん違うけど、こちらの方が真理に近いのではないかと感じました。もともとこういう試行錯誤から合気道の「型」は生まれてきたんじゃないかって。

アメリカの合気道道場で日本の文化の源流に触れたことで、日本の文化を突き詰めて深く掘り下げていく仕事をしてみたい、と思うようになったのです。

カリフォルニア滞在時、現地で参加した合気道セミナーにて。

アメリカから戻って、学校を休学し、家の「糀」の仕事を手伝ってみたら、これほど日本の文化に深く根づいている仕事はないことに気づいたんです。何百年も続いてきた、自分にとっては当たり前の存在だった「糀」こそが、自分が探していたものじゃないかと。

当時、「糀屋本店」は、母親も、祖父が死んだら「店を閉める」と言っていました。このままでは、「糀屋本店」は母の代で300年以上の歴史を閉じてしまうことになる。後を継ぐ仕事はもう僕にしかできないんじゃないかと。

ただ、改めて本気で「糀」と向き合ってみると、自分がなんの知識もないことに気づくんです。糀は発酵でできますから、理系の知識が欠かせません。これは一から勉強するしかない。

僕はいったんAPUに復学して、卒業した後、地元の別の大学に新設された醸造学科に編入し、糀の仕事のイロハを学びました。第2の学生時代を送りつつ、糀屋本店の仕事を手伝うようになったのです。

母/浅利妙峰:糀屋本店は、私の代で店を閉めるつもりでした。跡取り娘としては閉めたくはなかったんですが、当時、お店はジリ貧の状態で商売も不調でした。次男の良得が「俺が継ぐよ」と言って戻り、地元の別の大学で糀の勉強をしながら店を守る気になってくれた。

そこで、私も奮起しました。もう一度店を盛り立てよう。そんな時、大分県の新製品開発セミナーに参加して、さまざまな本を読んだりしていくうちに、「塩糀」にたどり着くんです。

糀屋本店を盛り上げるには、糀の新商品を作る必要がある。そう考えて、江戸時代の古い文献を調べたら、『本朝食鑑』という本草書の中に「塩麹漬け」という言葉を見つけたんですね。

漬け床の一種なんですが、糀がたんぱく質を分解していろんなものを美味しくするらしい。そこでこの「塩糀」を試行錯誤しながら、作ってみました。そしてさまざまな料理に使ってみたら、たしかに美味しくなるんです。

満を持してこの「塩糀」を商品化したら、テレビ局が特番を組んでくれて、全国で知名度が上がり、塩糀ブームにつながりました。

息子がAPUに入って、地元に戻ろうと思わなかったら、家業も途絶えていたかもしれないし、塩糀ブームも生まれてなかったでしょう。

次男/浅利良得:僕がいったんAPUに戻って卒業し、地元の大学の醸造学科に編入した直後のことです。2008年2月、新宿伊勢丹の食品売り場に出店が決まりました。僕たちは、開発したばかりの「塩糀」と「こうじ納豆」、甘酒の元になる「甘糀」の3つの商品を抱えて上京しました。その時、地方の食の紹介者として有名な「やまけん」さんが、当時開発したばかりの「こうじ納豆」をブログで絶賛してくださったこともあり、大いに売れました。

佐伯市に店を構え、糀を用いたオリジナル商品を扱う『糀屋本店』。肉や魚料理に、塩の代わりに使うことで、素材本来の旨みを引き出す「塩糀」(左)や、ひとさじ加えれば、かつおや昆布、椎茸などの風味豊かなだし汁が作れる「にっぽんの旨味シリーズ」(右)が人気。

その後、テレビ番組が塩糀を取り上げたことをきっかけに、調味料としての市民権を得ることができました。おかげさまで糀屋本店を目的にわざわざ佐伯市を訪れてくださる観光客の方も増え、少しは地域に貢献できているのではないかと思います。

僕は、昔から自分の個性を育てたいと思っていました。でも、中学、高校までは、学校や教科書で学んだことが中心で、本当の自分の個性を育てることはできませんでした。

APUに入って、世界観はぐんと広がりました。多様な国際学生たちと出会うことで、目を開かされたんです。海外から来た学生たちの多くは、自分なりの考えをきっちり持っていました。彼らと触れ合う中ではじめて、自分の個性というものが見えてきたのです。

もっともっと、自分自身を深めていきたい、個性を磨きたい、自分の命をどう輝かせるのか。突き詰めた時に、今のこの仕事に出会うことができました。結局、答えは足元にあったわけです(笑)。

三男/浅利善然:僕は、就職する時点では「糀屋本店」に関わるつもりはまったくありませんでした。APU生ならではの野心を抱き、「世界や日本に対してインパクトを残す仕事をしたい」と思って東京のベンチャー企業に入りました。でも、1年間営業の仕事をしていてもその手応えを感じなかったんです。

ちょうど1年経った時に退社をして、長兄の紹介で看護補助士として2年間働きました。その仕事は、目の前の方々のお世話ができ、誰かを幸せにできていることを実感していたのですが、自分の命が一番輝くのはどんなフィールドだろうと考えた時、地元の大分や佐伯のために行動を起こすことが、これからチャレンジすべき分野なんじゃないかと思い始めたんです。

実家は佐伯で300年以上糀屋本店の商売をさせていただいている。浅利家は地元の皆さんのおかげで生きてこられ、今も商売をさせていただいている。母と次兄はその商売をもう一度再興しようと必死になっている。だから、今こそ僕たちの世代が地元の皆さんに恩返しをするタイミングだと。

僕は地元に戻ってきて、まちづくり活動を3年間やりました。今は、家業のコンサルをメインに大分県各地の地元企業を対象とした経営コンサルタントとして独立しています。商売人=経営者をまず元気にする。佐伯の町が、日本全国の地方が元気になるきっかけは、経営者にある、と思うからです。売り上げを作る、従業員を雇う、従業員や家族が幸せになる、子供が生まれる、人口が増える。そんなサイクルを、経営者を元気にすることで生み出したい。

そうそう、うちの妻もAPUの卒業生なんです。母の秘書ですよ。

三男妻/浅利歩美:私は善然さんの和太鼓サークルの後輩だったんです。出身は大分市で、APU を卒業してからは、東京の人材派遣企業に就職していました。当時東京で付き合っていた善然さんが地元に戻ることになり、私もちょうど仕事の転機を迎えていました。その時糀屋本店は塩糀ブームで人手が足りない状況でした。前から食の仕事に興味があったこともあり、私が糀屋本店で働くことになりました。結婚したのはそのあとです(笑)。

母/浅利妙峰:それぞれの国の大学はその国への愛国心を教えるところです。アメリカに留学すれば米国の公民としての教育を受けます。だから、アメリカ人じゃなくても、留学生はアメリカ大好きになる。フランスに行けばフランス大好きになる。それは、良き国民としての教育をそれぞれの国の大学で受けるからです。

APUの場合、各々の価値観、日本、アメリカ、韓国、トルコなど137カ国・地域の学生の国籍の数だけ価値観がある。APUの学生は1つの価値観にとらわれず、いろんな異質な価値観を受け入れて、上手に使いこなしていく能力を養える。そういう点がとてもいいなと思いました。

それから、日本の大学はどんどんレジャーランド化しているといわれますが、APUは海外から来ている勉強熱心な学生が多く、大学はまさに勉強するところだという意識が高くて、夜遅くまで図書館でみんな勉強している。

私は子供たちに愛国心を持ってほしいと育てました。ただし、その愛国心は、多様な国の人たちのそれぞれの愛国心を尊重し、理解した上でのものであってほしい。

APUで学ぶ日本人学生は、国際学生たちがそれぞれ持っている自国に対する愛国心やロイヤリティーに触れることができます。すると日本人学生も触発されて、故郷や自国の文化が、どれだけかけがえのないものなのか、実感し求めるようになります。

うちの息子たちが、ただ海外を目指すのではなく、家業の昔ながらの「糀」づくりを継いでくれたのは、APUで「真のグローバルとは自国の文化伝統を学び、それを世界に発信することなんだ」という真理を身につけたからだ、と誇りに思っています。

糀屋本店 http://www.saikikoujiya.com/

混ぜる教育

APU開学までの経緯から、多文化環境で実践する独自カリキュラムの内容、企業から見たAPUなど、ユニークなAPUの魅力をあますことなく収録した一冊。巻末には、早くからAPUの「混ぜる教育」に注目してきた、糸井重里氏による解説も。さらに、電子書籍も好評発売中。

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