APUを選んだ息子
高校時代まで、一番後ろの目立たない席を選ぶような、引っ込み思案だった。英語教師に背中を押され、広島・呉から九州・別府のAPUへ。学生寮で多種多様な外国人と混ざるうちに、いつの間にか、500人の花見を仕切る「前に出る男」になった。APUでの4年間は、「英語力」がつくだけじゃなく、「性格」まで変えてくれた。

APUに送り出した父
理系出身で、マツダに入社し、海外赴任を経て、品質・ブランド推進・生産・物流統括役員を務める。「APUに行きたい」と息子が言った当初、本心では相応に名の知れた大学への進学を望んでいた。キャンパスを訪れて、考えを変えた。若い大学だからこそ、多国籍な環境だからこそ、教師と学生が一緒にゼロから歴史をつくることができる。若者よ、世界に混ざれ。

プロレスラーの米国人教員に、「APUは、いいよ」と背中を押されました。

息子/菖蒲田健太:生まれも育ちも広島県呉市。APUのことを知ったのは、呉市の隣町にある高校に通っていた3年生の時です。高校の体育館で、各大学がブースを出す合同大学説明会があって、APUもブースを出していたんです。そこで、「APUは、学生の半分が外国人で、英語で授業が受けられる」と知って俄然興味を持ちました。というのも、この頃、大学では英語をちゃんと勉強したい、と思い始めていたからです。

英語が大好きだった!わけじゃなかったんです。もともと生物学が得意で理系志望。英語は苦手で、むしろ大嫌いでした。ところが、高校3年の時、なぜか「特進コース」に入れられてしまいました。そこで2人の恩師が、僕に「英語熱」を焚きつけました。

1人は高校1年生の時からずっと3年間、担任でお世話になった英語の先生です。僕がずっと英語の勉強が苦手で大嫌いなのを誰よりも知っていました。なのに、なぜか特進コースに割り振られた時、この先生は僕にこう言ったんですね。

「お前はこの英語の成績で、何で特進におるんじゃ!」

その言葉にカチーンときて、よし見返してやる!と奮起したのが英語を勉強しようと思った最初のきっかけです。実はこの先生、生徒に喧嘩を売って、やる気を引き出すのが得意な人で、僕はまんまとひっかかりました(笑)。

もう1人はアメリカ人の英語講師。「ほいじゃけ」と広島弁を操る実に面白い先生で、しかも現役のプロレスラーで「試合、観に来いよ」と誘ってもらったりしていました。このプロレスラー先生のおかげで、それまではいい成績をとるために英語を勉強する、大学入試のために英語を勉強する、という発想しかなかったのが、この先生と本音で英語で話したい、テストのための英語じゃなくて、コミュニケーションのための英語を勉強したい、というモチベーションを与えてくれました。

高校時代の恩師は、
広島弁が得意な、
プロレスラーで英語の講師

学校の体育館で、APUに出会った僕は、高3の夏休み、大学のオープンキャンパスに行けるツアーを見つけました。友人2人を誘い、3人でAPUを見に行ったんです。博多からバスで高速道路経由で大学に向かったのですが、途中で寝てしまって。気がついたら山の中。霧が出て真っ白。そのあといきなり視界がバーンと開けて、大学のキャンパスに到着。自分が雲の上にいるような感覚を覚えました。

これまで知っていた大学のイメージとまったく違う。

バスから降りると、黄色いTシャツを着たオープンキャンパスをサポートする学生スタッフのGASS(Global Admissions Student Staff)が迎えにきてくれました。インドネシアの学生だったんですが、日本語がとてもうまい。度肝を抜かれました。

この時、最初はちょっと引いちゃったんですね。あまりに世間から隔絶した場所だったので。京都の大学のキャンパスも見て回っていたので、大学に入ったらサークル活動やアルバイトもしたいなあ、というよくあるイメージを持っていたんですが、APUの環境は全く違う。ここで本当にやっていけるかな、大学生活を楽しめるかな、と思ったんです。

ただ、そのあと模擬授業を受けさせてもらって、学生寮のAPハウスを見学させてもらって、留学生の先輩たちにアテンドしてもらって、心の迷いが晴れました。英語を勉強したい。ただし、自分にはまだ留学するだけの力も自信もない。だったら、APUに行こう。

そう思って、父親を説得することにしました。父は理系出身でマツダの社員で、祖父もマツダでものづくりの仕事をしていました。歴史の浅い学校だし、反対されるかな、と思ったんですが、父は僕の話をじっと聞いて、「なるほどな」とひとこと言って、APUへの挑戦を認めてくれました。

一応、公立や私立の著名な国際系の大学も併願しようと思ったのですが、プロレスラー先生が「君はAPUに行くべきだ」と強く推薦してくれました。「何でここにおるんや」と焚きつけてくれた担任の先生も「APUは、いい学校だから」と背中を押してくれて。APU1本に志望校を絞り合格することができました。

APUを知るきっかけとなった合同大学説明会での3D下敷き

父/菖蒲田清孝:APUという大学の存在は以前から耳にしていたのですが、この大学に目を留めたきっかけは、高3の夏に、息子が「APUに行きたいんだけど」と進学の相談を私にしてきた瞬間です。

息子は、小・中学校までは自分から積極的に勉強するタイプではありませんでした。高校も推薦入学だったんです。高校時代に、先生の影響を受けて英語に興味を持ち始め、勉強して次第に得意科目にしたようです。

私は仕事の関係でアメリカに赴任していた時期があり、まだ小さかったのですが、息子も私と一緒に1年半ほどアメリカで生活した経験があるんです。次に、2008年から2010年までの2年間、タイに単身赴任した時は、時々息子も含め、家族を呼んで短い期間でしたがタイでの生活を経験させたこともあります。また、仕事の関係で海外からやってきた仕事関係の仲間を自宅に招いて一緒に食事をすることも度々ありました。

こうした環境で育ったために、息子自身が、英語や国際コミュニケーションに興味を持つようになった側面があるのかもしれません。

息子の口から「APUに行きたい」と打ち明けられるまでは、相応に名の知れた大学に進学したほうが息子にとってもいいのかな、と思っていました。

息子の希望を聞いてから、APUがどういう大学なのか調べてみると、2000年に開学したばかりで、どのような学びがあるのか、卒業後の進路がどうなるのか、疑問点や心配ごともあったものの、グローバル人材の育成に力を注いでいることがよく理解できました。学校の歴史が浅いということは、逆に大学の先生や職員の方々もこういう大学にしたい、という熱意を持っておられるだろうし、学生と教師や職員の皆さんが一緒に大学の歴史を作っていけるという意味では良いチャレンジの機会ではないか、と考えを変えたのです。

私自身が大学に初めて足を運んだのは、入学式の直前、息子が学生寮=APハウスに入寮する時でした。自動車ですぐ脇にある高速道路のサービスエリアを降りて、山の中腹にあるキャンパスを見て、すごい田舎に来たなと。勉強に集中できるだろうなと思う半面、学生の時にはアルバイトをするなどして社会勉強もしたほうがいいと思っていましたので、アルバイト口があるのかなと、ちょっと余計な心配もよぎりました。

ただ、入寮の時に、中国とインドネシアから来た国際学生が、とても丁寧にAPハウスの中を紹介し、親身に息子の案内をしてくださったのを見て、安心しました。ここの学生さん達がAPUでのキャンパスライフを、志を持って楽しんでいることがすぐに伝わってきたからです。世界中からさまざまな文化や習慣、言語や価値観を背負った学生が集まってきている大学で、息子が学生生活を送ることへの期待感を持つことができました。

日本では、大学進学が受験の目的と化していて、入学がひとつのゴールになっている印象があります。しかし、APUでは国際学生たちが大学生活の中で貪欲に成長しようという意識を持っている様子が伺えました。「同世代のハングリーな留学生たちと良い仲間になって、しっかり勉強してこい」と息子を励ました覚えがあります。

引っ込み思案から、500人の花見を仕切るリーダーになるまで。

息子/菖蒲田健太:僕のAPUライフは、「学生寮のAPハウスにあり」といっても過言ではありません。入寮時に2人部屋で一緒に暮らすことになったのが韓国人の留学生。それまで韓国に対する情報は、韓流ドラマか反日感情かのどちらかで、正直あまり良いイメージはなかったんです。ところが彼は、おおらかでフレンドリーで実に優しい男で、あっというまに親友になりました。この経験で、国のイメージっていうのはつくづくあてにならないことを知りました。APハウスは、通常2回生に進学する時点で退寮する決まりですが、僕はなんと3回生の途中まで2年半にわたって暮らしました。

寮生活があまりに充実しており楽しくて、2回生の時はハウススタッフとして住み込むことになりました。寮生のためにイベントを行ったり、掃除をしたりする係です。17人いたスタッフは、インドネシア人、中国人、韓国人やスリランカ人など、国際学生が15人を占めていて、みんなでさまざまな寮のイベントを企画しました。そのあと、寮全体のマネジメントを行うレジデント・アシスタント(RA)という職に就き、3回生の途中までAPハウスで暮らすことができたんです。

APハウスに入ると、自分が当たり前だと思っていることと、周りの寮生たちが感じていることが全く違います。そこが面白い。例えば、僕がイメージする会議室というのはホワイトボードがあって、テーブルがあって、プロジェクターがあって、という具合なのですが、ある国際学生は机があればそれは会議室だと言うんです。

勉強の面ではとにかく国際学生のアグレッシブさに圧倒されました。日本人って大学に入るのがゴールみたいに考えていて、あとはキャンパスライフを謳歌しようという人が多いですよね。そして4年間安穏と過ごして、どこかに就職できればいいと。でも、国際学生はここで勉強したことを生かして、自分はこういうことをやりたいんだという、大学のひとつ先のイメージをしっかりと描いています。そのためにどうやってそこに近づいていったらいいか、チャンスをどうやって掴み取ればいいか計画を持っていて、その計画を実現するためにプロセスをきちんと踏んでいるんです。

APUではサークルには入らず、その代わりにRAをはじめとして、「アシスタント」と名のつく学生スタッフをいっぱいやりました。授業をサポートするTA(Teaching Assistant)や、FLAG(Fellow Advisory Group)という、履修登録から別府での生活まで新入生をサポートする学生スタッフなど、片手に収まらないくらいです。

FLAGの仕事で一番の思い出は、500人を動員した「花見」を開催したことです。もともと、FLAGでは毎年春になるとお花見をやっていたんですが、徐々に人が集まらなくなったのでもうやめようという話が出ていました。

僕は、実家に自分が生まれた時に植えてもらった桜の木があって、花見が大好きなんですよ。お花見は日本の文化でもありますから、ぜひ海外から来た国際学生たちに味わせてあげたいと思いました。そこで、APハウスの入り口にブースを作ってビデオを流しながら、日本のお花見という伝統文化を体験しませんかと告知をしたら、国際学生たちが「私も行きたい」と集まってきました。最終的には、500人が参加することになりました。

そうなると交通手段を確保しないといけません。花見の会場予定地は、別府駅の近くの公園で、郊外にあるキャンパスからは遠く離れています。そこで、大分交通さんに無理にお願いして、臨時便のバスをしたててもらいました。結果、APU初の大お花見会が無事に成功しました。みんなが喜んでくれて、達成感がありましたね。

リーダーを務めたFLAG(新入学生をサポートする学生スタッフ)

実は、高校時代までの自分は、席替えの時もあまり目立たない隅の方を選ぶような性格だったんです。そこに座ると先生から死角になって目立たないぞ、と思って。人前に立つのは大の苦手だったから、生徒会なんかも縁がなかった。

それが、入学してまもなくの頃に、APハウスの部屋のシェアメイトの韓国人からこう言われたんですよ。

「この大学にはチャンスがいっぱい転がっている。でもチャンスの神様は前髪はあるけど、後頭部には髪がない。だからチャンスの神様がやってきた時には前髪をしっかり掴んで離さないようにしないとダメなんだ」

彼の言葉が、僕を動かすきっかけになりました。APUで学んで、APハウスで暮らして、たくさんの国際学生たちと混ざっていると、引っ込み思案なのがバカバカしくなってくるんです。いつのまにか、失敗が怖くなくなり、前に前に出るようになりました。自分で「性格」だと思っていたものが、案外簡単に変わるものなんだ、と我ながらびっくりしました。

父/菖蒲田清孝:息子が帰省するたびにその成長ぶりに驚かされました。こいつがこんなことを言うようになったのかと、驚きの連続でした。

彼がAPハウスのRAに就いた時の話です。APハウスの共同台所がどうしても綺麗にならない、というんですね。張り紙をして、みんなに片づけるように注意するんだけど、綺麗にならない。なぜだろう、と考えたようです。つまり「台所が綺麗」の水準が、各国の人によってバラバラだからじゃないか。だったら、「こういうふうに片づけましょう」と、片づけの具体例を写真で説明した張り紙を貼ったら、次第に綺麗になっていったそうです。抽象的に「綺麗にしろ」と言っても、多文化の世界では伝わりません。具体的に「こうしてください」と納得できる事例を示せば、みんな動いてくれるようになります。海外でマネジメントをする時も、こういうケースは多々あるんですが、こいつは大学の中で、私と同じ経験をして、自分で解決しているなと感心しました。

いろんな価値観を持ったさまざまな外国人と日本人とが混ざり合っている環境で、みんなが納得してくれる答えを導き出すこと。これは、世界を相手にしたビジネスにおいては、必ず求められる力です。APUは、そんな経験をリアルに学生たちに与えてくれています。しかも、大学側が学生たちに命じるのではなく、学生自らが手を挙げてエントリーして、自分の意見をまとめてプレゼンして、まさに自主的に試行錯誤しながら問題解決をしているんです。

まず、自らが前に一歩踏み出す力。いろんな価値観の人たちと一緒に考え抜いてみんなが納得できる答えを出す力。チームで働いてそれを実行に移す力。これらの3つの力は社会に出てからとても重要です。APUは、そんな力を引っ込み思案だった息子に与えてくれました。

世界を目指そうと英語を磨き、自分を変えたら、父と同じ会社にたどり着きました。

息子/菖蒲田健太:3回生で入ったゼミも大きく自分を成長させてくれました。韓国人の李根煕(イ・クニ)という准教授のゼミなんですが、先生の授業を受けてから自分がガラッと変わったと思います。先生は学生の目線ですごくよく話を聞いてくれるんです。まず君の意見はどうなんだと聞いてくださって、しかも否定されないんです。それもいいね、じゃあこういう視点を加えたらこうなるんじゃないか、ってどんどん僕の意見を磨き上げてくださる。そこでまた新しい気づきを得ることができるんです。

そのゼミで、ひとつ学校の課題を解決したんです。僕が入学してから2~3年は学校のバス停での並び方がカオスだったんです。バスが来たらみんながわーっとバスの入り口に向かって突進していく。日本人のように1列に並んで待つ、という習慣がない国の人がけっこう多いからなんですね。それで李先生が一言「なんとかならないか」とつぶやいたことから、ゼミのプロジェクトが発足しました。

まずはバス停に1列に並ぶ癖を学生たちにつけよう。そこで、バス停前の歩道にガムテープでラインを引いてみました。目印となる線があると、人はそれに沿って並ぼうとします。視覚から行動を変えさせようとしたわけですね。これでけっこう並ぶようになりました。でも、まだ行列を無視してバスに乗り込もうとする学生もいました。じゃあ、これをマーケティング手法で解決しようと考えました。僕らは、「Facebook」を使って、フェイスブックページに、ある絵を投稿しました。

バスに学生たちがばらばらで群がっている。「バイオハザード」のゾンビのイメージのパロディです。並んでないあなた、バスから見ると、おぞましいゾンビとおんなじですよ、というメッセージですね。この絵がフェイスブック上で学生たちにたくさんシェアされて、みんなの行動が変わりました。ちゃんと並ぶようになったんです。

今は、父と同じ会社に入り、現在、福島マツダで研修中です。

幼稚園時代の話です。両親が共働きだったので、幼稚園が終わると近所の祖父の家で親を待っていました。そこで色々パズルをして遊んでいた時に、木で作ったロータリーエンジンの模型が出てきたんです。三角形のローターが綺麗に、コト、コトと回るんです。

おじいちゃんにカッコイイねと言ったら、「これはわしが検査をしてオーケーを出したからみんなが乗れたんだ」と話してくれたのを今でもはっきり覚えています。ロータリーエンジンは、マツダの象徴。そして祖父もまたマツダのエンジニアでした。

就職活動を始めた時、なぜかこの祖父の言葉を思い出したんです。ああ、僕も祖父のように、人の役に立つ「ものをつくる」仕事に関わりたいなあ、と。で、いろいろな企業をあたった結果、まったく父とは関係なしに、マツダを受けて入社することになったんです。

入社して半年は、マツダの本社工場で自動車組立の経験を、次に、長野県のディーラーで営業の経験をしました。APUで鍛えた交渉力や人付き合いの力が役立ちましたね。ありがたいことに、福島に移ってからも連絡をいただくお客様がいらっしゃいます。現在は、福島マツダで経理の仕事を勉強させてもらっています。2年ほどで自動車企業がどう活動しているのか、現場から徐々に理解し始めたところです。自分たちの会社がつくった車が、お客さまの手に届いて、毎日ハンドルを握ってもらえる。本当にやりがいのある仕事だと思っています。

僕を鍛え、さまざまな経験を積ませてくれたAPUの学位授与式(卒業式)

父/菖蒲田清孝:息子には社会に出てからも、自分が何をやりたいかをしっかり考え、夢や好奇心を持ち続けてほしいと思っています。それから、失敗を恐れないことですね。成功には幸運があるけど、失敗には原因があるというでしょう。失敗にはいろいろな学びがあるということです。3つ目は良い友達を持ってほしい。4つ目は書物を読むと疑似体験ができるので、そこから学んでほしい。

企業の経営に携わる立場から学生に求めるのは、ひとつはきちんと専門性を持ってほしいということです。もうひとつは社会性を身につけてほしいということです。息子の成長を見るにつけ、APUは、その2つの教育の軸のバランスをしっかり考えて、学生たちを指導していると思います。

今の日本人の若者は海外への関心が低くなっているといわれます。けれども、あらゆる企業は、業界を問わず市場の主軸を自国だけではなく、新興国を中心とした海外にも移しています。となると、求められるのは、国籍や文化の違いを乗り超え、現地でビジネスを共に動かしていける人材です。海外への赴任辞令が出たら、それをキャリア構築のチャンスだと前向きに捉えることができる、好奇心に富んだ若者たちがたくさん出てきてほしいと思います。日本と世界の明日をつなぐ若者たち。APUから、そんな若者たちがたくさん輩出されることを願っています。

混ぜる教育

APU開学までの経緯から、多文化環境で実践する独自カリキュラムの内容、企業から見たAPUなど、ユニークなAPUの魅力をあますことなく収録した一冊。巻末には、早くからAPUの「混ぜる教育」に注目してきた、糸井重里氏による解説も。さらに、電子書籍も好評発売中。

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