アスリートに聞く Vol.2

平野 早矢香 選手 卓球

追い詰められた場面でこそ、
日々の積み重ねが活きる

 2012年、卓球女子団体のメンバーとして出場したロンドンオリンピックでは、日本卓球界に初のメダルをもたらし、先頃東京で開かれた世界卓球2014女子団体でも、31年ぶりとなる日本チームの決勝進出に大きく貢献した平野早矢香選手。世界卓球の準決勝で見せた、土壇場からの大逆転劇は記憶に新しい。

 たびたび劇的な逆転勝利を収めることで知られる平野選手だが、逆境を跳ね返す強靱な精神力は、どのようにして培われたのだろうか。これまでの競技生活を振り返ってもらいながら、ピンチを乗り越える逞しさの源を探るとともに、トレーニングやコンディション調整、健康管理の仕方などについて聞いた。

全国トップを目指し、中学から親元を離れて仙台へ

——卓球との出合いについて教えてください。

 もともと私は水泳を習っていたのですが、両親がともに学生・社会人と卓球を続けていたことから、卓球の試合を見にいく機会も多かったんです。そのように卓球が身近にある環境でしたので、幼稚園のころから卓球に触れていて、初めてやったときは「面白い」と感じたのを覚えています。最初はラケットにボールを当てることもできなかったのが徐々に当たるようになり、ラリーが10回続いた、15回続いたといったことが楽しく、どんどん卓球に夢中になりました。そのうち試合に出場するようになって、勝つことの楽しさも経験し、小学校を卒業するころには、卓球で同年代のトップになりたいという気持ちが芽生えました。

——中学、高校時代は仙台で過ごされましたが、県外への進学を決めた理由を聞かせてください。

 私が生まれ育った栃木県には、当時、全国に通用するような卓球部の強い中学校がなかったので、地元にいては全国のトップを目指すことは難しいと小学生ながらに思っていました。今後の進路をどうするか悩んでいたときに、憧れていた宮城県の仙台育英から誘っていただいて、とても嬉しかったです。親元を離れての寮生活となるため、母は「高校からではダメなの?」と心配していましたが、レベルの高いところでプレーをしたかったので、自分の意思で仙台に行くことを決めました。仙台育英では卓球に打ち込む環境に恵まれ、高校1年生で全日本卓球選手権・ジュニアの部で優勝し、初めて個人の全国タイトルを取ることができ、自分で定めた最初の目標を達成しました。

世界の舞台で活躍する選手になるため、
一から技術の改善に取り組む

——高校卒業後、ミキハウスに入社し、いきなり2004年の全日本卓球選手権・女子シングルスで優勝されました。現在の攻撃的なスタイルもこのときから築いたものですね。

 入社後、ミキハウスの大嶋監督と相談し、世界で活躍できる選手になるために、ラケット、スイング、サーブ・レシーブ、体の使い方など、あらゆる点を見直し、一から技術の改善に取り組みました。また、ミキハウスにはトップレベルの選手が集まっていましたから、その中に身を置くことで、勉強になったり、刺激を受けたりすることも多かったですね。今の自分があるのは、高い目標を持ったトップ選手たちと同じ場所で一緒に練習できた経験が大きかったと思います。

——オリンピックに出場して、どういう印象を持ちましたか。

 私は北京、ロンドンと2度のオリンピックに出場しましたが、どちらも、その前年に、オリンピックで対戦した同じ選手と、同じ会場で試合を経験しています。でも、オリンピックはやはり特別な舞台でした。4年に1度のこの大会にかける選手たちの思いや緊張感、独特の雰囲気、人々の注目度は、他の大会とは全く違います。オリンピックに出場して感じたのは、自分の性格や技術、さらには日々の積み重ねの全てが試合に表れる、重みのある大会だということです。オリンピックを経験してみて、またこの舞台で試合をしたいという思いを強く持つようになりました。

——世界卓球2014女子団体の準決勝は見事な逆転勝利でした。後のない追い詰められた場面で、どのようなことを考えていたのですか。

 準決勝の香港戦を振り返ってみると、自分でも過去に経験したことのないような劇的な勝ち方をしたのですが、試合の最中は、次の1球をどう組み立てようかと必死に考えているばかりでした。とにかく、次はどうしようか、その次はどうしようかと、目の前のことだけに集中していましたから、相手選手がマッチポイントを握ったことにも気がつかないほどでした。夢中でプレーをしているうち、徐々に自分に流れがきているのを感じはしたものの、気がつけば逆転して勝っていたというのが正直なところですね。

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