アスリートに聞く Vol.3

松田 努さん ラグビー

ラグビーの楽しさと「ノーサイド」の精神を
伝えていきたい

大事なのは自分に合ったトレーニングや体調管理、
そして自然体であること

——第一線で長年、活躍し続けることができた秘訣は、どんなところにあったのでしょう?

 自分では自然体でやってきただけで、特別なことをしてきたつもりはありません。あえていうなら、自分に合ったトレーニングや体調管理をしたということでしょうか。例えば、ラグビー選手の中には効果的な筋肉増量を目的にプロテインを飲んでいる人が多く、私も若いころに試してみましたが、全く口に合わず続きませんでした。また、寮生活を送っていた新人時代、隣室に自己管理の厳しい村田亙さん(現専修大学ラグビー部監督)という先輩がいて、トレーニングや食事のアドバイスをいろいろしてくださったときも、村田さんと同じことはできませんでした。日々の練習や節制を怠らないことで、村田さんも長く現役を続けられましたが、私の場合は節制しすぎるとストレスがたまって、かえって調子を落とすのです。こうした経験からいえば、自分の体と対話しながら、自分に合ったスタイルを見つけることが大切だと思います。結婚後は妻が栄養バランスを考えた食事をつくってくれていましたから、それを食べていたのがよかったのかもしれません。

——引退を決めた理由を聞かせてください。ご自身としては、まだやれるという気持ちもあったと聞いていますが?

 そうですね。自分ではまだプレーを続けるつもりで、チームの監督にその意思を伝えていたのですが、監督の判断もあり現役から退くことになりました。ある程度の年齢になってからは、いつかはそういう日がくることを覚悟していましたし、準備もできていたつもりでしたが、草加高校でラグビーを始めてから27年間、当たり前のように続けてきたことを、もう明日からはできなくなるというのは不思議な感覚で、しばらくは実感がありませんでしたね。ただ、選手は誰もが経験することですし、次のステップに進むことが大切だと思って、引退を決めました。

ラグビーも健康保険も支え合いで成り立つ

——ラグビーは激しく体をぶつけ合う過酷な競技ですが、大きなケガや病気をしたことはありませんでしたか。

 長く競技を続けたわりには、比較的、大きなケガは少ないほうだと思います。ただ、30歳を過ぎたころに腓骨を骨折し、3カ月のブランクを経験しました。手首や手指の骨折などは走るのに支障はありませんし、練習もできるのですが、脚の骨折だと走ることができませんから、トレーニングが難しく復帰には時間がかかりましたね。東芝府中の場合、練習や試合中のケガも健康保険の対象で、治療費は個人ではなく、チームが負担してくれていました。経済的負担を気にすることなく治療に専念できたのは、本当に恵まれていました。普通の病気、例えば風邪をひいたときなどは、一般の社員と同様に健康保険を使い、自己負担分は自分で払っていました。

 ケガや病気を経験すると、改めて支え合うことの大切さを感じます。会社や同僚、家族、多くの人の支えがあったからこそ、安心してラグビーに打ち込むことができたと思います。ラグビーでは「One for All, All for One」という言葉をよく使います。大柄な体格を活かして突進する選手も必要ですし、小回りのきくすばしっこい選手も必要です。傑出した1人の選手がいても勝つことはできません。適材適所で1人ひとりが持ち味を発揮して初めて勝利が見えてくる競技なのです。支え合って成り立つという意味では、ラグビーと健康保険は似ているかもしれません。

——2019年には日本でラグビーW杯が開催されます。松田さんは、アンバサダーに就任されましたね。

 アンバサダーの役割は、全国各地で展開されるワークショップや各種イベントに参加して、ラグビーW杯の日本開催を広く知らしめ、ラグビーの普及に取り組んでいくことです。平日は会社員としての仕事、休日はジュニアチームのコーチやアンバサダーの活動に力を注いでいるので、今は現役時代より忙しくしています(笑)。

 ラグビーは試合終了のことを「ノーサイド」といいます。試合中は敵味方として戦った選手たちが、試合が終われば敵も味方もなく、お互いを讃え合うという意味が含まれています。ラグビーの素晴らしさは、この「ノーサイド」の精神にあるのではないでしょうか。これからは、子どもたちも含めて多くの人々に、ラグビーの楽しさと「ノーサイド」の精神を伝えていきたいと思います。

松田 努氏

1970年4月30日生まれ。埼玉県出身。草加高校、関東学院大学を経て、東芝府中ラグビー部(現東芝ブレイブルーパス)で活躍。ジャパンラグビートップリーグの最年長出場および最年長トライの記録保持者。日本代表としてラグビーW杯4大会に選出された。2013年3月に現役を引退し、現在はブレイブルーパス府中ジュニアでコーチをする傍ら、ラグビーW杯2019アンバサダーとしても活動している。

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