アスリートに聞く Vol.4

岡崎 朋美さん スピードスケート

緊張の一瞬も入院生活も、
全てを愉しむ勝負の哲学

 5度の冬季オリンピックに出場し、1998年の長野では女子スピードスケート500mで銅メダルを獲得。W杯でも日本女子最多となる通算12勝を挙げるなど、数々の偉業を達成した岡崎朋美さん。現役引退後の現在は、所属企業で社会貢献活動に従事しつつ、一児の母として子育てに奮闘する毎日を送っている。爽やかな笑顔の奥に秘めた強い意思とともに、トップスプリンターとして長く活躍した岡崎さんに、目標に向かって挑戦し続けた競技人生を振り返ってもらい、ケガとの向き合い方や、世界を舞台に戦ったアスリートならではの体験を聞いた。

大事なのは目標を追い続ける強い意思

——20年以上にわたってトップレベルで競技を続けることができた秘訣を教えてください。

 4年に1度開かれるオリンピックに照準を合わせ、そこを見据えて目標を設定するようにしていました。そのサイクルが自分に合っていて、やるべき課題を見つけながら1日1日を過ごすうちに、気がつけばベテランと呼ばれるようになっていました。

 スピードスケートは、薄い刃1枚に全体重を預けて生み出す推進力で、時速40〜50キロのスピードを出しタイムを競い合う競技です。スケートテクニックが重要で、それをマスターしてスピードが出ると単純に嬉しいし、楽しい。私の場合はカーブの滑りが得意ではなかったので、そこを技術的に修整していけばまだまだタイムが伸びるという思いが常にありました。練習を何度も繰り返すことでカーブワークが少しずつ改善し、タイムがよくなってくると、ますますスケートが面白くなりました。年齢を重ねるごとに成長の手応えが感じられて、最後に自己ベストを更新したのは37歳のときです。長く競技を続けていると、年齢のことが取り上げられることもありましたが、大事なのは目標を追い続ける強い意思で、年齢は関係ありません。

——印象に残っているオリンピックを教えてください。

 出場した5度のオリンピックそれぞれに思い出がありますが、あえて挙げるなら、2002年のソルトレイクシティです。2000年に椎間板ヘルニアの手術を受けたため、万全でないコンディションで臨んだ大会でしたが、1本目のレースでいきなりオリンピック・レコードを更新するタイムをマークしました。電光掲示板にお祝いの花火が表示され、大歓声に包まれて「この一瞬は私だけのもの」という喜びで一杯になったことは忘れられない思い出です。故障明けのオリンピックで、スピードの恐怖心に打ち勝つ滑りができたという意味でも、強く印象に残っています。ただ、ソルトレイクシティは標高が高く好タイムの出やすいリンクだったので、記録は私の後に滑った選手たちが次々と書き換えてしまいましたが(笑)。

トップアスリートでは前例のない椎間板ヘルニアの手術を即決

——椎間板ヘルニアでの手術を受けることを決断したとき、不安や迷いはありませんでしたか。

 それまでも腰痛はあったのですが、1晩休めば治る程度のものでした。ところがある朝、目を覚ますと起き上がれないほどの激痛が走り、ドクターに診ていただくと「競技を続けるなら手術が必要」といわれました。当時、椎間板ヘルニアの手術から復活した選手はいなかったので、富士急行の長田監督は手術をさせてよいものか悩んでいましたが、私はその場で手術を受けることを決めました。もともとポジティブな性格なので不安や迷いもなく、厳しい練習の毎日を過ごしていたので、「ゆっくり休めるなー」くらいの気楽なものでしたね。術後の経過も順調で、復帰への焦りは全くありませんでした。手術や入院にかかった費用は健康保険が適用されましたから、経済的な心配もありませんでしたし、約1カ月の入院生活はよい休養と考えて過ごしました。

——病気療養も前向きに捉えていたわけですね。入院中に困ったことはなかったのでしょうか。

 入院中は運動もしていないのに、カロリーの高いアスリート用の食事を摂っていたため、見る見るうちに太ってしまい、退院時は別人のようになってしまって(笑)。そこで、どうやってアスリートの体に戻すのか、栄養士さんと相談しながら、栄養バランスを考えた食生活の改善に取り組みました。食べ物の好き嫌いはなかったのですが、栄養士さんと話すうちに摂取不足の栄養素があることに気づいたり、アスリートの体づくりに必要な栄養素を学んだり、入院が食生活を見直すよい機会になりましたね。

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