アスリートに聞く Vol.4

岡崎 朋美さん スピードスケート

緊張の一瞬も入院生活も、全てを愉しむ勝負の哲学

経済的な事情で治療が受けられないことのないように、
費用負担を国民全員で分け合うのは自然なこと

——どういうときに健康保険のありがたみを感じますか。

 椎間板ヘルニアで手術・入院をしたとき、病院で安心して回復に専念することができたのは、健康保険があったおかげだと思います。ほかにも現役時代は、スタートダッシュなど瞬発的な力を出すときに強く歯を食いしばるので、奥歯に相当な負荷がかかってヒビが入ることも多く、よく歯医者さんのお世話になりました。また、娘がしょっちゅう熱を出して病院にかかる機会が多いので、そういうときは特にありがたみを感じます。

 病気やケガは誰にでも起こり得ることです。思いがけない多額の医療費がかかってしまうこともあるかもしれません。経済的な事情で治療を受けられないことのないように、その費用負担を国や国民全員で分け合うのは自然なことではないでしょうか。これからも、保険料や税金を上手に使って、私たちの健康を支える健康保険制度を守っていく必要があると思います。

世界でメダルを目指すなら生半可なトレーニングでは通用しない

——100分の1秒を争う競技だけに、スタートラインで緊張に足が震えるということもあったのでしょうか。

 高校を卒業して富士急行に入社した当時、スケート部には橋本聖子さんをはじめ、世界のトップレベルで競う選手が何人もいて、私は先輩方の練習量の多さにまず驚きました。そして、世界でメダルを目指すなら生半可なトレーニングでは通用しないということを学びました。レースで緊張しないためには、トコトンまで練習をして、確かな自信を身につけるしかありません。十分な練習を積み、自信を持ってスタートラインに立てたときは、足が震えることもありません。一方、子育てをしながら挑戦したソチオリンピックの代表選考会は、どうしても練習時間が限られてしまい、自信のないままスタートラインに立っていました。経験は十分だったのに、そのときは足が震えましたね。

——レース中に観客の声援は聞こえるものなのですか。

 観客の人たちの声援はよく聞こえます。特に長野オリンピックの大声援は印象に残っています。レース前は、厳しい練習を積んでいたので落ち着いていて、スタートラインに立ったときの緊張感も心地よく、わくわくするような高揚感がありました。長野の会場となった"エムウェーブ"は独特で、観客席がリンクの全周を囲むように設置されています。そのため、スタートした選手が観客席に近づくと大声援が湧き上がり、その声援がリンクを波のように移動していきます。私はその波を追いかけるように滑っていて、ムダな力が抜けて浮遊するというか、飛んでいるような感覚でした。声援が力になりましたし、その分、結果を出したいという思いも強かったので、メダルを獲れたときは本当に嬉しかったですね。

——現役を引退されてから生活の環境も変わったと思いますが、健康管理で気をつけていることはありますか。

 現役に比べるとどうしても体力が衰えてしまいますから、ジョギングなどで体を動かすようにしています。ただ、公園の階段や坂道などを見ると、現役のころを思い出して、いまだに全力で駆け上がりたくなる衝動にかられることがありますね。また、3歳の娘を乗せて自転車で走っていると、「ママ、速い!」と怖がられることもあったり、スピードの出し過ぎなんでしょうね(笑)。

——将来について聞かせてください。

 会社の配慮もあり、当面は子育て中心の生活を送りながら、可能な範囲でお声がけいただいた講演会やイベントに参加していきます。また、今年から都留文科大学の特任教授を務めることになったので、若い学生の人たちにも自分の経験を伝えていくことができればと思っています。

岡崎 朋美氏

1971年9月7日生まれ。北海道斜里郡清里町出身。1990年、富士急行に入社。オリンピックには94年のリレハンメルから5大会連続で出場。98年の長野では銅メダルを獲得し、「朋美スマイル」とともに一躍日本中の人気者に。2006年のトリノでは日本選手団の主将を務め、10年のバンクーバーでは旗手も務めた。現在は富士急行営業推進室次長として主に広報業務や社会貢献活動に従事している。

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