有識者インタビュー Vol.1

渋谷 健司氏 東京大学医学部医学系研究科 国際保健学専攻 国際保健政策学教室 教授

国民皆保険の意義と課題解決の道筋

市場経済の考え方を採り入れるメリット

──健康で長生きするために機能してきた国民皆保険制度を維持していくために、私たちはどうすればよいのでしょうか。

 日本では診療報酬を公定価格とし、国が一律に厳格に管理しています。他方で、医療サービスの供給は自由放任です。価値観が多様化している中で、医療サービスを受ける消費者である患者と、医療サービスを提供する医療者の間で、需給のミスマッチが起きています。診療報酬の公的管理はある程度必要だと考えますが、価格決定メカニズムも含めて市場原理と離れ過ぎていて、患者のニーズに合わなくなっているのではないでしょうか。

 例えば、専門医を揃えて予約時間通りに診療してくれるクリニックがあれば、多少高いお金を出してもそちらを選ぶ患者は出てくるでしょう。患者が医療サービスの質に応じて選択できる環境を整えることで、健康保険制度を含めた医療への満足感は高まると思います。

 一方、健康アウトカムの改善に結び付かない無駄な医療を削減して、医療の質を高める努力をする医療機関や保険者には、なんらかのインセンティブを与えるという方法もあります。

 また、個別化医療や電子カルテの活用などで、医療が情報産業化や生活総合産業化していく傾向にあります。そう考えると、医療を社会のコストと考えること自体がそぐわなくなってくるかもしれません。GDP(国内総生産)の中で医療費の占める割合がもう少し高くなってもよいという選択肢もあるでしょう。

 ともすると財源論に偏りがちな医療制度の話ですが、多様化している価値観に合わせた制度を設計することで、基礎的な国民皆保険制度を維持し、健康で長生きできる社会を作っていきたいものです。

経済成長や安全保障にも寄与できる

──渋谷先生はWHO(世界保健機関)のスタッフを務められるなど、グローバルヘルス(地球規模の保健医療)に長年取り組んでおられます。グローバルヘルスの観点から日本の健康保険制度を眺めると、どのようなことがいえるのでしょうか。

 患者や医師がどんどん国境を越えていく時代です。グローバルヘルスに取り組むことには3つの利点があり、その結果として日本が直面しているさまざまな課題を解決するヒントを得ることもできると考えています。なぜなら、医療のグローバル化と国内医療体制のあり方は表裏一体だからです。

 第1は日本の経験が海外の国から求められているということです。多くの中進国では、政治が安定してきて、人口構成が若く、急速に経済成長を遂げつつあります。これはかつての日本と同じ状況で、国民皆保険制度を導入する好機です。

 第2は発展途上国から学ぶ必要もあるということです。発展途上国では、限られた予算や人材を有効に使うために、極めて効率的なサービス供給を実践したり、スマートフォンやクラウドといったIT(情報技術)を駆使した医療システムを構築し始めています。非常に素晴らしい技術や制度のイノベーションが起きていて、これは日本が直面している課題の解決の糸口になり得るものです。

 第3はこのような双方向の国際的連携が、互いの経済成長や安全保障に寄与する、すなわちソフトパワーとして国益に結び付く可能性があるということです。日本ではできないビジネスが可能になったり、日本に採り入れるべきビジネスのヒントを見つけたりすることができ、そうした結び付きが互いの国の人々の信頼感を高めていくことにつながります。

 グローバルヘルスは、先進国が貧しい国に援助するといった施しの仕組みではなく、双方向の学びのプロセスです。国民皆保険をいかに維持していくかという課題に対して、グローバルヘルスに取り組むことで、その解決の道筋も見えてくると考えています。

渋谷 健司氏

1991年東大医学部卒。医師免許取得後、帝京大医学部附属市原病院麻酔科、東大医学部附属病院産婦人科を経て、99年米・ハーバード大より公衆衛生学博士号取得。帝京大医学部産婦人科助手、同大医学部公衆衛生学講師を経て、2001年WHO(世界保健機関)シニア・サイエンティスト、04年WHOコーディネーターなどを歴任。08年から現職。JIGH理事長。

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