歴史を動かすビジネス作法

難聴という絶望を受け入れ、時代を超えて愛される名曲の数々を残したベートーヴェン

プライドの高さから、自殺まで考えた

ベートーヴェンは20代後半から耳が聞こえづらくなり、難聴(聴覚障害)に悩まされるようになります。30歳の頃には、ほとんど何も聞こえないほどになったとか。音楽家なのに「耳が聴こえない」という苦しみは想像を絶するものだったはずです。難聴が進むにつれ、演奏の技量は低下。彼は10代の頃から宮廷でピアノ演奏を行ない、そこで評価され名声を高めていましたが、それができなくなり、大きな絶望感に包まれたといいます。

常に「自殺」を考えるようになった彼は、生前に遺書まで記しています。遺書の内容によれば、プライドの高い彼は、人に話しかけられたときでも、「もっと大きい声で話してください」という一言がいえなかったのです。「自分は本来、社交的である」と信じていた彼ですが、思うように人とコミュニケーションがとれず、家に引きこもり、ふさぎ込んでしまいます。それで「人間嫌い」と見られてしまい、次第に人間不信になっていったようです。

「他の人に比べて、ずっと優れていなくてはならぬはずの感覚が衰えているなどと人に知らせられようか。おお、私にはできない。だから、私が引きこもる姿を見ても許して欲しい」と、遺書にはあります。しかし、そんな絶望感にさいなまれつつも、彼は寸前で自殺を思い留まりました。「これからは作曲に自分の才能を使おう」と方針を変えたのです。

仕事を「使命」と心得て、作曲活動に専念

「自ら命を絶たんとした私を引き止めたものは、ただひとつ“芸術”であった。自分が使命を自覚している仕事(作曲)をやり遂げないで、この世を捨てるのは卑怯に思われた」(ハイリゲンシュタットの遺書より)

ベートーヴェンは、聴力を補うために特注ピアノを注文し、口に咥えたタクトから、歯を通じて音の振動を感じ続けました。また、作曲にメトロノームを取り入れます。メトロノームは、リズムを視覚的に刻む道具として知られますが、それまでは、あまり存在を知られていない道具でした。こうした道具を積極的に取り入れ、なお止むことのなかった音楽に対する情熱を燃やし続けたのです。

遺書を記した後、ベートーヴェンは数多くの傑作を生み続けました。交響曲では三番(英雄)、五番(運命)、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ曲では『熱情』『エリーゼのために』などです。特に1804年から1814年までの10年間は「傑作の森」と呼ばれる黄金期でした。難聴の悪化も一時的に止まり、作曲に打ち込むことができたのです。

作曲の仕方ですが、彼は何度も楽譜を破り捨て、悩み苦しみながら書き直し、修正を重ねたそうです。彼には弟子が何人かいましたが、楽譜を破かれたり、中には噛みつかれた人もいました。 本気で音楽を学びたい、根性のある人だけが残ったとか。家の使用人も彼の癇癪に耐えられず何人も変わりました。このあたりは、あまりお手本にしたくない部分でもありますが、そのように苦しみ抜いて作られたからこそ、『交響曲5番』(運命)のように、彼の曲には感情を揺さぶられるものが多いのかも知れません。

死の2年前に行なったコンサートでの拍手喝采

1824年5月7日、ウィーンでベートーヴェンが作った最後の交響曲『交響曲第九番』の初演が行われました。当初、彼は自分の重厚な作風は受け入れられないと感じ、初演をベルリンで行おうとしましたが、ウィーンの文化人らは「どうかウィーンで初演を!」と署名入りの嘆願書まで出しました。それに感動した彼は、ウィーンでの初演を決定します。

ステージに立ったベートーヴェンは自ら指揮棒を振りましたが、聴覚の問題があるため、そのすぐ後ろに別の指揮者を立たせ、演奏者はそちらに合わせるという形式がとられました。終演後、客席から大きな拍手喝采が巻き起こりましたが、ベートーヴェンはそれに気づかず、振り向きません。歌手のひとりが彼に歩み寄り、手をとって振り向かせ、ようやくベートーヴェンは観衆の反応を目にしたのです。何度もアンコールの声援が続き、なかなか鳴りやまなかったといいます。

2年後の1827年3月、ベートーヴェンは56歳で世を去ります。先のコンサートもそうでしたが、当時のオーストリア政府は市民の集会の自由を制限していました。それにも関わらず、葬儀には2万人もの市民が参加。参列した友人であり、作曲家のシューベルトは、「尊敬するベートーヴェンの隣に眠りたい」と、今でも、ウイーン中央墓地に隣り合って眠っています。一般的に、いかにも芸術家肌といいますか、偏屈で気難しいとされるベートーヴェンですが、彼の苦しみを理解し、その魂のこもった曲を愛した人は当時から多かったのかもしれません。

文・上永 哲矢(うえなが てつや) 
参考文献:ハイリゲンシュタットの遺書ほか

DODAキャリアアドバイザーからのコメント

ベートーヴェンから学ぶビジネス作法
~なりたい自分に至るため、絶えず試行錯誤すること~

大きな困難を抱えながらも、亡くなる直前まで数々の名曲を生み出し続けたベートーヴェン。彼の人生を見るに、おそらく強い“目的思考”の持ち主だったのではないでしょうか。

音楽家にとって、難聴はとくに越えがたい困難のはずです。しかし、彼の経歴を見ると、作曲への情熱が亡くなる直前まで少しも冷めなかったのが伺えます。かの有名な『交響曲第九番』が、完全に耳が聞こえなくなってから作られたという事実には、大変驚かされました。いったいどうやって、音をまったく聞かずに作曲をしたかというと、そちらは上のコラムにも記載がありますが、なんと「口にタクトを咥えて、歯に伝わる音の振動を感じとることで作曲した」そうです。振動が感じ取れようとも、音自体は聞こえていたころの記憶だけを頼りに想像するしかないですよね。その状態で、現代まで愛される名曲を自在に生み出すその情熱と努力する力は、なかなか持てるものではありません。常人には真似できない、といえばそれまでですが、彼の生き様において「現代のビジネスパーソンが」注目すべきは、作曲の“才能”でも、努力の“才能”でもなく、先ほども言った“目的思考”である点だと思います。

みなさんが自身のキャリアを考えるとき、どのような基準で決めていますか?例えば、次の仕事はどう決めようかと考えていたとして、どのような基準で求人を選ぶでしょうか。いま自分の持っているスキルを活かせることでしょうか。それとも、いま自分がやりたいことができるということでしょうか。どちらの基準も、等しく大事であり、どちらの考え方も持っておくべきだと思います。ベートーヴェンの場合は、後者の思考だったのです。いま自分が何よりも情熱をささげたいことが作曲で、作曲が自由にできるためには何が必要だろうか、と考えたのです。音を聞ける“スキル”を失っても、では「作曲するのに聴力ってなくちゃあいけないのか?他で代替できないのか?」と考え、自分に必要なものを自分で思考錯誤して、特注のピアノやメトロノームを用意してみる。もし自分のいま持つスキルありきで物事を考えていたら、こうはいかなかったと思います。

現代のビジネスパーソンである私たちがキャリアを考えるときにも、この目的思考は大事な考え方です。いま持っているスキルも、キャリアパスを描く上で大事な要素ではありますが、まず「自分は何がしたいのか?5年後、10年後にどうなっていたいのか?」を書き出し、そのゴールから逆算してキャリアのマイルストーンを置いていくことは、あなたの自己実現に大変役立つはずです。

内藤 久亮

パーソルキャリア株式会社
DODAキャリアアドバイザー

アドバイザー

2010年に大手広告会社に法人営業担当として入社。法人向けに広告掲載提案を5年経験。その後2015年にパーソルキャリア株式会社に入社し、ハイクラスの企画・マーケティング人材の転職支援を行っている。

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